するっと的「人生=映画」論。
こんにちは。
ご機嫌いかがでしょうか。するっとです。
さて今回は、人生は「映画」である、という持論を述べてみたいと思います。
そう、人生。
よく色々なものに例えられますが、私は「映画」だと思っています。
もちろん主人公は「私」。
そして、主人公が出会う友人や恋人、家族がいて、様々な出来事が起きる・・・そんなイメージです。
ジャンルで言ったら、主人公の成長物語、ですかね。
人生を終える時、長い長いエンドロールに次々と登場人物名が流れてくる、そんな様子をよく想像したりします。
人生半ばではありますが、この半生を振り返ってみて、たとえば
大学時代からの親友でルームシェアをしたこともあるあの子は親友A、
あの時告白してきてくれたけど断ってしまったあの人は男性A、
同棲して両家挨拶までしたけど結婚にまで至らなかったあの彼は元彼B
自営業でお店をやっていた時に何度も通ってくれたお客さんの常連さんC
居心地の悪い職場の原因となっていた裸の王様のあのオヤジ上司は・・・クソ上司A
とでもしておきましょうかね。
こんな感じで、きっと人生を終える時、それはそれは多くの登場人物がエンドロール画面に流れて、余韻に浸らせてくれるんだと思います。
主人公は「私」。
では、プロデューサーや脚本家、演出家は?
・・・これも全部「私」だと思います。
ただ、正確に言えばこれらは「私を客観視している私」です。
映画の中のリアルを生きる「私」という人物を、
どういう道筋で歩ませ、どういう言葉を発させ、どう魅せるか。
これらの仕事は、どれも私という人物をよく知る「もう一人の私」が担っているのです。
ただ、起きる出来事だけは決められない。
決められるのは、その「次から次へとやってくる出来事」に対して主人公がどう考え、どう立ち向かうのか。
その出来事の先の方向性は、逆に「自分で決めていい」のです。
それから、さらにいうと、キャスティングも自分で決めていいですよね。
自分の人生に登場させたい人物は誰でしょう?
自分の人生という映画において、あの人は何役ということにしましょうか?
・・・こう考えると、人生という映画づくりって、めちゃくちゃクリエイティブですよね。
なんでもアリだし、これ以上に大きく自由にクリエイトできるものってないんじゃないでしょうか。
人それぞれ、その人主演の映画があるわけなので、
すると今度は、果たして、
私はどのような役名で他の人のエンドロールに流れてくるのだろうか。
そんなことも考えます。
どのような形でその人と関わったかが、きっと如実にその役名に現れることでしょうね。
「欠かせない大事な人物A」なんていう大役で、誰かしらの映画1本くらいには出演できていたらいいなぁ。なんて。
とまぁ、こんな感じで私は普段から「人生は映画だ」と捉えております。
だから、何が起きてもそれは映画のワンシーンに思えて、
自分のことながらなぜか興味深い、みたいな心境になるんですよね。。
それがたとえ笑えない出来事だったとしても、
監督(私)はいつでも
「いいねー!そうきたか!はい、じゃあ主人公(私)どうする!?次どういう方向でいく!?」
とメガホンをブン回しているんですよ。
あ、ちなみにこれが先日書いた「無敵ワード」にも通じております。
「人生=映画」であるということ、
そしてエンドロール後のスタンディングオベーションに向けて、
自分がその映画作品を今この瞬間も作っているということ、
このワクワクする感覚は忘れたくないなぁと思います。
それでは、また次回。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?