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「がんになってよかった」とか言えちゃうがん経験者の方が多数派なんだろうか

胸部食道がんによる食道摘出(胃管再建)手術からちょうど5年。
受けなかったら、今もうここにいなかったのかもしれない。治療の後に一度もがんが顔を出していないことは、とてもラッキーなこと。だけれども、今もその幸運を思うより治療の副作用や後遺症の対処に日々気を取られている。

手術前夜、おなかを空っぽにする下剤のため夜中に何度もトイレに通い、「眠れない」なんて思うよりも疲れ果てて眠って、準備のために早く起きたあの朝。頭はぼんやり。ただただ、「嫌だな。」という思いだけが、ずん、と重たくあった。

その年2月から下咽頭がん治療の放射線化学療法を受けて、身体になんらかの『人工的な』『不自然な』力を加えるのはできる限り避けたいと思った。どんな反応が起こるかわからないから。起こる副作用や後遺症の話は聞いていた。けれど。そこから派生した、聞いていないいろんな枝葉の症状や事象がたくさん起こった。
そしてそれはほとんどつらくて苦しくて、悲しくなった。

人間の身体って不思議で奇跡。元気って、あれこれのバランスが絶妙に釣り合った状態なんだなぁ。つくづくそう思って、もうそれ以上身体に外的な作用を及ぼしたくなかった。

それでも。嫌だけど、手術を受けると決めたので……。

よくテレビドラマなどでベッドに横たわって手術室に運ばれていくシーンがあるけれど、私は歩いて手術室に入った。戦場に赴く兵士の心持ちだと想像した。苦しいことが待っているとわかっていて、その困難に挑むべく向かう。緊張と恐怖に、勇気を奮い立たせて。それから、たぶん使命感と。
ベッドで運ばれたらもっと諦めやすかった。逃げようと思えば逃げられるのに、「嫌だ」と思いながら手術を受けに歩いていくって、矛盾してる。とても変な気分だった。

兵士にたとえてみた割に、私には『闘病』した、闘った感覚はない。病気と戦ってくれたのは主治医たちで、そのために起こることに対峙し対処してきた。言ってみれば『対病』。
もしこれが闘いなら、やられっぱなし。体調の変化で思うようにできないことが増え、「病気がなければ…」という悔しい出来事や病への憎しみに傷ついて、たくさん泣いた。私の闘いは、病気よりも自分との闘いだ。運よくも生きられていることを心から喜べていない自分に、自分自身がダメージを受けている。


なぜ治療を受けて生き続けたのかはっきりした答えが見つけられず、おめでたい理由がわからないくせに、手術の記念日にかこつけてケーキを買ってもらって食べた。考えてみれば、手術の後しばらくはケーキも食べられなかったことに気づいた。
「がんになってよかった」とか言えちゃうがん経験者の方が多数派なんだろうか。そんなこと言えないけれど、5年が経って、「ケーキおいしい」は言えるようになった。

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