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奇跡はほとんど起きないからこそ奇跡。知ってたけど。

2018年5月の下旬、私は田んぼと畑が広がる九州の小さな町にいた。電車が1時間に1本か2本通っている単線の周りは青々とした山に囲まれた、とても静かでのどかなところだった。

2月から喉の放射線治療が、3月中旬から化学療法も始まって入院しゴールデンウィークに退院した。治療の副作用のいろいろの影響で、すっかりしぼんだおばあさんのようになってしまっていた。いろんな自信を失って人と会いたくなかった。

そんな時、趣味を通じて知り合った友人を九州に訪ねた。
知り合ったときから離れて住んでいて会ったのは数回だけ。彼女が整体治療家さんと結婚したことはSNSで知っていた。『整体』といっても骨を整えるのではなく『見えないもの』も含めて身体を全体的に整える。
以前からどんなふうに見えないものを「みる」のか興味があったから、古い大きな一軒家の一室を治療室にした自宅兼治療院に1週間ほど滞在させてもらって、治療を受けてみることにした。近くない関係性だから見せたくない自分を見せることに抵抗がなかった。

体力が回復したら次は食道の治療だと言われていた。もしその時にがんが消えていたら治療を受けなくていいということだ。がんを消せたら――そんな思いがあった。
『効かなくてもともと。効いたらもうけもん』最初からそのくらい。だけど、「もしかしたら私は“奇跡”が起こっちゃう側の人だったりして?」なんて奢りのようなものがなかったとは言い切れない。

聞いた話によると、彼はある整体治療法に感銘を受けて勉強を始めて、得た情報や自分の感覚で独自の『治療法』を編み出し整体院を営んでいた。軽く触れたり近くで手を動かしたりして身体の一部を動かすような施術もあったけれど、見えないものとの“交信”を使った施術が中心だった。

彼はいろいろな“エネルギー”に対して敏感であるらしかった。患者(お客)さんの身体が発する何かに耳を傾け“交信”し、過去世などもみる。そうやって身体が必要としているものや身体に合わないもの(『不耐性』があるもの)、傷ついたたましいを癒すものを見つけて“処方”する。ふと現れたカマキリと交信して、「こんなメッセージを伝えているよ」と言われたりもした。

モノのエネルギー量も“測定”できるそうで、彼が「エネルギーが高い」と測定したものほど善いみたいだった。善いと言われるものは、添加物のない、オーガニック、品種改良されていない、混じりけのない、自然由来の、古くからある、といったものが多い感じがした。

彼らには病気と治療の状況を話してあった。いちばんの希望はがんがなくなったらいいなということ。治療の後で身体がじゅうぶん回復していないこと。

私への処方は、がんに対して漢方薬の名前をいくつか。グルテンに不耐性がある。合う砂糖はココナッツシュガー。そのときの身体に合っていた水はシリカ水。近くにあるいくつかの温泉のうち合うのはここだと言って、滞在中は毎日その温泉場に車で連れて行ってくれた。

グルテンはそのときの体調で食べられなかったからやめてみたら、ずっと悩んでいたお腹の調子がよくなったと感じてそれ以来あまり食べない。ココナッツシュガーはおいしいしミネラル豊富ならいいかと考えてずっと使っている。シリカ水は変化がまったくわからず、シリカのうたい文句の『白髪が減る』も起こらなかったから、数か月後にやめた。
そのほかにもいろんな『処方』があったけれど、試さなかったからよく覚えていない。
漢方薬も、専門家ではない人の勧めなのがひっかかり飲まなかった。

興味があった過去世リーディングは、主に精神の痛みや傷を癒すために使うようだった。
仕事で裏切りを感じてわだかまりのある相手がいると話すと、「その人のことを頭で思い浮かべてみて」と言い過去世をみていた。話によれば私たちは源平の時代の頃の人生で出会っていて、逃げていた私はかくまうと騙され、安心したところでその人に矢で射られて死んだそうだ。刺さったままだったその矢を心臓の後ろあたりから抜いてくれたと言い、たましいの傷を癒してくれたらしい。
ストーリーの中のその相手の腹黒い感じが現実のキャラクターと重なって笑って、わだかまりが少し晴れた私に、整体師さんは続けた。

「あれ………? その職場の別の人のことを一人ずつ思い浮かべていってください」。言われた通りイメージしていくと、ある男性のところで「この人だ!」と暗い表情になり「嫌なことを言いますけど……その人に盗聴されていましたよ」と、まったく予想しなかったことを言った。

なぜその人が?関係は良かったのに?と驚き戸惑う私に、「ただのこの人の趣味です。ピッキングなんて簡単ですから」。
このストーリーはそれまでに話した何ともつながらなかった。覚えのない電源タップを見つけて急いではずして捨てたことがある。その人と仕事をしていた時期とその時期は重なり、そのとき住んでいた部屋はピッキングが簡単だと言われるシンプルなシリンダー鍵だった。

その人が盗聴していた、されていたと想像するといろいろ気味悪くなって思わず「気持ち悪っ!」と言うと、「あぁよかった、これでたましいが癒されましたよ」と、これも意外なことを言われた。「傷つけられているのに気づかないでいるとその傷が治らない」という説明は、なんだか響いた。

いじめられている子がそれを自覚しないようにして明るくふるまっていても、尊厳を傷つけられ続けている。「自分は傷ついた(傷つけられた)」と自覚することで次に進めることって、確かにある。矢で射られた裏切りの相手とのこともそうだった。それと似てるかななんて思って、盗聴疑惑の彼にはもう会わないから忘れることにして、話の真偽は気にせず新しい視点をもらったことに満足した。

その整体師さんの妻である友人は『診断』や『治療』をたまに受ける程度で、出された『処方』も全部実践してはいないと言った。でも、治療を受けて目に見えて元気を取り戻した患者さんや、夫の整体師さんの一般的な常識からははずれた行動から得られた感動的な出来事などの投稿をちょくちょくSNSに上げていた。

彼女は、私に出されたグルテンフリー、白ごはんOK(ごはんNGや玄米になる人などもいるという)、白砂糖はNGなどの処方に沿い、治療の名残の味覚障害があっても味を拾えた醤油とマヨネーズをうまく使って食事を用意してくれた。
畑に囲まれ海も近い地元で採れた新鮮な野菜や魚を市場に買いに行って、こだわりの製法の出汁や調味料を使い、素材を活かして丁寧につくってくれたごはんは、放射線でダメージを受けた口の中や喉に刺激を与えず、でもしっかり味わいがあった。私は食べることが苦痛になっていたその時でも驚くほどたくさん食べ、しあわせを感じた。

病気の前、忙しさにかまけ、節約とか時短とかに価値をおいていた私の食生活とは全然違っていた。そのおいしいごはんを食べて、自分の身体を楽にするためや自分を喜ばせるために時間やお金を使う価値観を知ったことは、とても大きな収穫だった。
自然いっぱいの田舎でのんびりして、しっかり食べて、元気が出た。もうそれだけで行った価値があったと思った。

だけれども。帰る頃にハワイにある東洋医学系のクリニックを強く推奨された。整体師夫婦は治療は受けていないけれど訪問してドクターと話したそうで、「とにかくエネルギーが善い場所で、いるだけでも癒されるんだよ! ドクターも信頼できる人だった」と言い、食事と運動、特製の水や全身パックなどでデトックスする数日間のコースを勧めた。彼らの近くのがん経験者(がん患者)が2人行って良かったと言っていたとも聞いた。

欲が出た。『効いたらもうけもん』。ハワイを楽しむつもりで行こうかなと心が傾いた。食道の治療の検討も近づいてきていた。空きを調べて現実的な日程を出し始めた私に、ある夜「落ち着いて聞いて」と、まだ結婚前だった夫が切り出した。

「経営者を調べてみたら、犯罪歴があったよ。前にやっていた日本人ターゲットのブライダル事業で、詐欺罪で捕まって懲役刑になってた。サイトに出てる『ドクター』も、民間療法の資格があるだけで医学博士ではないよ。このクリニックも詐欺だと思う」。

夫は見えない何かの存在を否定はしないけれど、「見えないものを語る人のほとんどはいんちきだ」と言う。九州に心配してついて来て、半分くらいの施術を横で見ていた。
正直に言えば、整体師さんが語る見えないものの話の大半は、上手に作ったお話みたいに聞こえた。でもお子さんに西洋医学の薬を使わないなどリスクをとる『処方』を、自ら実践していた。自然信奉が作り上げた彼の世界の中にだけ存在する何かが見えたり聞こえたりしているのかもしれない。彼の言った一部は「もしかして?」と感じたし、最初からだますつもりで全部嘘を言っているようには思いづらかった。

私が妄信しすがっているわけでないのを確認し、九州で元気になった私を見て、夫は受けた整体ついて否定的なことは言わなかった。でも、彼は整体師さんをいんちきだと断定し、「効いたらもうけもん」でお金を使う状況にある人の弱みに付け込むビジネスだと嫌悪していたらしい。ハワイのクリニックも絶対に詐欺だと思って調べたようだ。
アメリカには経歴を調べられるシステムがあるそうだ。英語ネイティブの夫はアメリカ人の友人に情報をもらって調べ上げ、思っていた通りの情報を見つけ出して、全力で私を止めにきた。

実は、そのクリニックのサイトは日本語しかなかったことに違和感があった。そんなにいいクリニックであれば現地の人も行くはずだし来てほしいはずなのに。「日本人を対象にしたブライダル事業で詐欺の前歴」と聞いて、日本人をカモにする人たちなのだと考えるのが妥当だと思った。

その、信頼できるドクターがいて高いエネルギーだというハワイのクリニックには、行かなかった。

夏になっていた。
治療の検討までまだ少し時間があったから、性懲りもなくと言うべきなのか、20年ほど前から不調があるときに時々行っていた治療院に行った。その院長が開発した治療法によれば、痛みや症状(病気)は全身の調和の乱れの出現であり、ある刺激で調和を整えると自然治癒する。祖母の椎間板のすべり症がそのほぼ触れない治療で物理的に改善し、西洋医学の病院で要手術の診断が覆ったことがあった。

院長が言うことには、がんは『炎症』らしい。そして多くの痛みや病気は細菌感染に関連していることが多いそうだ。がんの診断と治療の経緯、診断される前に不調を感じて婦人科などで検査を受けたことなどを話して受診した。
治療を受けた後も効果や変化を感じることはできなかった。まだ私の中の治癒力が発揮されていなかったのかもしれない。週に1・2回のペースで数回通った。

4回目か5回目のとき、院長は「まったく」という風情で「あーあ、細菌に感染して悪くしたんだよ。婦人科の血液検査で感染したんだね、きっと。血液検査したでしょう?」と、細菌の特定の名前を出した。婦人科で受けた検査は子宮まわりのがん検査だけ。「していません」と答えると、「あれ、おかしいな」と急に声が小さくなった。いつも、その日もそれまで、強い調子で叱るようにあれこれ言うせんせいだったのに。
その治療院に行くのはその日で最後にした。

ニンジンジュースを飲んでデトックスしたらがんがなくなったという体験談を見た。
「がんが自然に治った」みたいな本も見た。うらやましかった。

「がんは炎症」という言い方をした人が何人かいた。がんとはそもそも何なのかよくわかっていないことに気づいて『がんの原因と対処法がよくわかる本』を読んだ。細胞~DNA~遺伝子…とミクロの世界で遺伝子の機能から解説し、がん細胞が生まれるしくみを科学的に一般の人に説明した良書だった。
10ミクロンの大きさの細胞のさらにその奥の奥……にある遺伝子につく傷によって、1時間に約200個生まれるとされるがん細胞。身体に備わった何重もの機能で死滅するがん細胞がそれらをすり抜けて免疫機能を上回ったら、がん塊になる。炎症と言い換えたり「〇〇さえすれば治る」とざっくりまとめたりできるほど解像度の低い話ではない。私はそのように理解した。

体力が戻り、時期がきて、改めて食道の検査を受けた。喉の化学治療がある程度効果を及ぼすかもしれないと聞いていたから、そこにいくつかの『治療』や『処方』がちょっと上乗せされたことに一縷の望みをかけた。
でもがんはなくなっていなかった。治療の苦痛はもう嫌で、泣いた。

私はこの期に及んで整体師さんの処方を思い出し「漢方を試すのはどうでしょうか」と主治医に聞いた。主治医は「今は身体からがんを取り去れるステージ。漢方を試していて効果が出る前にがんが進行して取れなくなったらもったいないと思う」と、率直に考えを話してくれた。

迷い、考えた末に私は食道を摘出する手術を受けた。

奇跡はほとんど起きないからこそ奇跡。知ってたけど。残念なことに私は奇跡が起きる側の人じゃなかった。それでもその後5年、生きている。この命を意味のあるものにしなければと、もがきながら。

九州の友人と整体師さんにはその後会っていない。ハワイの件を何と言ったらいいのかわからなくて。

そういえば、整体師さんは私の未来もみて「人に感動を与えるような仕事をしてしあわせになっていますよ。その仕事が何かは今度来た時のお楽しみです」と言った。でも、今聞いたら違うことを言うのかもしれない。
「未来は今の行動で変わるし、過去も変わるんですよ」というのが彼の持論だったから。

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