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異類婚姻譚、伊坂幸太郎、便利屋68【読書録:2024年2月】

「食」と「エロ」は通底しているなと思う。扇情的。本能的な欲求をかき立てる。グルメ番組はポルノと言って差し支えない。CMで、バナー広告で、あれが当たり前のように流れているのは、ただ単に、現在の文明では食事が日常的な習慣として定着しているからであり、そこに企業が訴求することに暗黙の許容があるからに過ぎない。扇情的なエロ広告に辟易とさせられるなら、こっちだって本来は同程度に「はあ……」ってならなくちゃいけないのかもしれない。感動ポルノという言葉もある。

2024/2/2の日記(一部抜粋)

 もっとこう……かっこいい日記を書きたいんですけどね。でも気づいたらこんな文章ばかり書き散らしてる。そんな人間の読書感想文です。目次で気になったタイトルからどうぞ。



『ツレが「ひと」ではなかった 異類婚姻譚案内』川森博司

・古今東西の「異類婚姻譚」(動物や異形など人間以外の存在と人間が結婚する物語)の類型および事例、そして読み解き方を易しく概説するガイドブック。大学教授がまとめてるちゃんとしたやつ。当方、「ケモミミの楽園を築いてやるからな」と宣言したオタク。これは読まざるを得ない。

・個人的に面白いなと思ったのは『鶴女房』。「決して覗いてはなりません」という約束を破ってしまった男は、女の正体が鶴であることを知り、彼女が飛び去って行く姿を呆然と見送る――この結末は日本人にとっては馴染み深いものだ。しかし、これはヨーロッパの研究者からすれば、話がぷっつりと中断されてしまった、「女房が鶴になって飛び去ったのに、夫はなぜそれを追っていかないのか。日本の夫は何をしてるんだ」と感じるらしい。言われてみれば確かに……起承転結の「転」であってもおかしくない。ひっそりとした余韻なんかぶち壊して「ちょっとあんた❗ 何ぼーっと見てんのよ❗ あの子が好きならさっさと追いかけなさいよバカッ❗😡💢」ってお節介ヒロインになりたくなっちゃうな(ハピエン厨)

・無論、この結末に留まっているのは、物語が不完全だからではなく、古来より根付く日本人の精神性や「別れの美学」が投影されているからだ。第四章は「異類婚姻譚からみえる人間社会」と題して、ジェンダー、精神分析学、自然主義とアニミズム、ルッキズムなどの観点から、読み解き方のヒント概説される。同じ類型でありながら結末が全く異なるのはなぜ? そこにはどのような問題意識があるのか/ないのか? また、それを踏まえて、「新しいファンタジーを創造する」という観点からは、どのような方向性が考えられるのか――

[……]北山はそこに物語を書き換える契機があると主張します。<与ひょう>(男性的自我)が、「醜いものを見て驚いたとしても逃げず、そして矛盾感や嫌悪感をそこに置いて、『すまない』を味わえば、別れの物語が変わるかもしれない」というのが、そのポイントです。
 このような契機を経て書き換えられた物語が、河合の言う「新しいファンタジー」に相当します。それは「別れの美学」やあわれの美意識を相互主観的な段階へと一歩深めたものといえるでしょう。

『ツレが「ひと」ではなかった 異類婚姻譚案内』川森博司

「別れの物語が変わるかもしれない」……何となく救われる思いがしましたね。あの鶴が幸せに結ばれる物語も作れるんだなって。民俗学やミステリを読んでいるようで面白く、変身譚やケモミミが好きな身としても解像度を高めることができたので大変良かった。オタクの教養本、創作資料としてもおすすめの一冊です。


『手の倫理』伊藤亜紗

 一般的に、人の体にふれることは、しばしば「安心」「リラックス」といった感情と結びつけられます。「ふれあい」などという言葉がもつイメージも、まさにそのようなものです。もちろん、習慣的にふれている相手であれば、それは「安心」や「リラックス」を生むでしょう。
 けれども、そうでない場合、つまり「まなざし」を通しては知っていても触覚的な関わりのなかった相手にふれる場合には、しばしば「出会い直し」のようなショックを経験することになります。「手の表面の奥」に感じたその人が、思っていたイメージを裏切るという「不意打ち」や「意外性」。特に熊谷のように表面上の体の動きが健常者に比べて少ない人と接触する場合には、その驚きはいっそう大きくなるでしょう。ふれあいが常に「安心」や「リラックス」でないことは、倫理を考える上では非常に大切です。

『手の倫理』伊藤亜紗

・何となく動物カフェに行った時のことを思い出した。店員さんから触り方について事前に説明された上で、「大丈夫かな……嫌がってないかな……?」と反応を窺いながら、フクロウの身体を手の甲で優しく撫でつける。そして、「あっすごい……こんなにふっわふわなんだ……😊」という発見。動物園で柵の外から眺めているだけでは得られない、「ふれあい」でドキドキする感覚と、相手を深く知る体験がそこにあった。

・思えば、私はネットを通じて「見る/見られる」という行為に慣れ過ぎてしまったのもしれない。数値化されたインプレッション数が客観的な指標になり、SNSのタイムラインや動画のコメントは、すすっとスクロールするだけで別れを告げる。時にはそんなおびただしい情報の錯綜と氾濫に呑み込まれる。それが当たり前になって、現実にすらも侵食しているように思う。そうであればこそ、note記事をじっくり読んで、画面の向こう側にいる見ず知らずの誰かの感性に「ふれる」ような体験、身近なものに「見る」だけではなく「ふれる」ことを通じて「出会い直し」を経験することの大切さを痛感する。コミュ障だからこそ余計にね。本書で説かれる「さわる/ふれる」という行為に秘められた奥深さは深く身に刻みたいと思う。


『ゴールデンスランバー』伊坂幸太郎

・ある日突然、首相爆殺事件の実行犯に仕立て上げられた男。必死の逃走劇に立ちはだかるは巨大権力の刺客。目の前に次々と現れる人物は信用できるのかと疑心暗鬼に襲われながらも、一癖も二癖もある裏社会の人間、周囲の人々と奇妙な絆で結ばれていく。脳裏に浮かぶのは、学生時代の何てことはない思い出と、ビートルズの曲――

・600ページ超の骨太なサスペンス小説でありながら、読んでいると、なぜだか友人と学食でうどんを食べた何気ない光景を思い出したり、Red Hot Chili Peppers"Under The Bridge"が脳内再生されたりした。不思議な感覚だったな。――きっと誰もが何かから必死に逃げ続けるように生きている。必ずしも後ろ向きではなく、前向きに。どんなに無様でも生き続けよう。そんな勇気をもらえる作品でした。個人的にはジム・キャリー主演の『トゥルーマン・ショー』に近いものを感じた。

・本編が面白いのはもちろんですが、巻末の解説(?)で本作の面白さがうまく言語化されていて、とても腑に落ちた。これ込みで良い本に出会えたなと思う。題は『「偉さ」からの逃走』。私が伊坂作品を読むのは『オーデュボンの祈り』以来これが2冊目で、いわゆる伏線回収や、単純明快なエンタメ小説に定評がある作家というイメージを抱いていた。しかし意外にも、伊坂氏は「物語の風呂敷は、畳む過程がいちばんつまらない」「いちいち描写をしなければ、言葉がなくなってしまう」と語っているのだそう。この点を踏まえて、インタビュアーの木村俊介氏が分析している。長くなりますが引用すると、

 話の風呂敷を広げて畳むというだけの一貫性からは逃げる。細部をいちいち描写することで一元的な表現方法、価値観からも逃げる。そうしなければ言えることは限られてしまうから、という思いは、小説家とは違う仕事をしている取材者の私にも、職業的な経験から理解できることである。話の広がらなかった不自由なインタビューというのは、語り手か聞き手が「俺は偉い」「自分は正しい」と思いすぎていることにうまくいかなかった原因があることがしばしばだからだ。
 取材現場において、「俺は偉い」という前提で話がはじまると、過去の体験のほとんどが、現在のその人の偉さを裏づける「だから俺は正しかったんだ」というオチに回収されがちだ。過去ばかりでなく、現在進行形のニュースなどに対する感想までもが「普通はみんな、こう思うだろうけれど自分の分析によれば」などと「偉い俺」のアイデアを発表するプレゼンテーションになりかねない。
 どこに出かけても、何を見ても、誰と話しても、そこから「だから俺は偉いんだ」という同一の結論しか見つけられないのならば、どこに行ってもどこにも行けてない、というような事態も起こりうる。何しろ、「偉い俺」は、間違えることさえできないのだ。そのような語りは不可避の一本道、「偉さ」への一本道を直線的に辿るものにもなってしまう。そのことで話が真剣なものになるのは多少はいいことかもしれないけれど、語り口の呼吸もリズムも割と息苦しくはなり、笑える要素は減りがちになる。

『「偉さ」からの逃走』(『ゴールデンスランバー』文庫版収録)
木村俊介

・これはねー……とても腑に落ちました。私はかれこれ3年くらいnoteを続けているのですが、以前はここで語られているような「偉さ」の意識がどこかにあったように思います。今にして思えばあれは息苦しかった。ブルアカ感想記事を書くようになってからは色々と吹っ切れまして、今ではこうしてざっくばらんな読書録も書くようになりました。以前は自分が書いた記事なんて恥ずかしくて全然読み返せなかった。それは「偉さ」が価値基準の一つとしてあったからなのかもしれない。

それは自分だけではなく、他の方の記事にも言えることで。(もちろんこれに該当しない記事にも面白いものはたくさんあるけど)直線的ではない、回り道を楽しむ、ざっくばらんで素朴な感じ。そういう日記は、その人の生活感や人となりを感じられて、読んでいて面白いし、好きだなーと思う。ついついスキを押しちゃいます。

・『ゴールデンスランバー』はまさにそれに似た手触りがある。あらすじを説明すれば「陰謀に巻き込まれた男がひたすら逃げ続ける話」というたった一言で事足りてしまうが、好きな描写を挙げればキリがない。「何を語るか」も大事だが、「どう語るか」。本編も解説も含めて、その大切さを改めて教えられた作品でした。来月も何か伊坂作品読もうかな。


漫画『火の鳥』『便利屋68業務日誌』

『復活編』を読みました。聞くところによれば『沙耶の唄』は本作のオマージュなのだとか。事故から奇跡的に復活した青年。彼は肉体改造手術を受けたことで認知機能が歪み、周囲の人間は土くれの怪物に、美しい景色すらもくすんで見えるようになってしまった。周囲は手を差し伸べてくれるが、それすらもおぞましい光景に映る。そんな絶望と孤独の中で、青年は唯一美しく見える女性に出会い、恋に落ちる。しかし、彼女の正体は――

何が人を人たらしめるのか。肉体か、心か、法か、あるいは愛か。何をもってして「生命」とするかの定義が曖昧であるように、人の境界もまた自他共に揺らぎがある。それでも人は、自らの信じる自己同一性や人間性にしがみつきながら、生き続ける。その根源的なテーマは、連載当時よりロボットやAIが発達した現代社会だからこそ、ますます痛切に胸に響く。『鳳凰編』に続き、手塚治虫という作家が今なお語り継がれる理由を実感できる名作でした。また図書館で続きを借りてきます。

・『ブルーアーカイブ』のコミカライズ版。ファンの間で人気が高いアウトロー集団(?)便利屋68の愉快な冒険活劇を描いたスピンオフ作品。イベント『0068 オペラより愛をこめて!』の予習で最新の2巻まで読みました。イベント感想記事はこちら

・昨今、こういうコミカライズでは、「みんな気になるあのキャラ」を主軸にした個別エピソードや、本編では語られなかった設定の掘り下げなんかがしっかり描かれ、ファンにとっては真っ当に嬉しい作品になっている印象。本作もその例に漏れない。色んな生徒との絡みがあり、さまざまな衣装があり、末っ娘ポジションの子がつよつよフィジカルを見せつける、というギャップを感じさせる場面もあり。便利屋68を色んな側面から楽しめる、ますます好きになれる作品に仕上がっていました。

・個人的に好きなのは5話。なるべくネタバレしない範囲で言うと……ふと思ったのは「学生時代の友人はいつまでも一緒じゃない」という事実。卒業後は別々の道を辿り、それっきり連絡がつかなくなることなんて当たり前だ。便利屋にしても――何かとトラブルに巻き込まれがちな4人だけど、何だかんだみんな優秀。それぞれに特性があり、「無限の可能性」を秘めている。いつまでも一緒とは限らない。そうであればこそ、彼女たちの騒がしい「青春の物語」が余計に愛おしくなった。それに、たとえ離れ離れになっても、たまに集まっては騒がしくしているんだろうなという安心感も覚える。なんかこういうのって大人になってからの方がホロリとさせられるんすよね……涙もろくなっちまったなあ……

・3巻には14話、伝説のアルカヨ回が収録されるはずなので楽しみです。カヨコ、俺達結婚しよう(条件反射)


余談、来月読む本

 思い付きでふらっと書いた先月の読書録日記で、思いのほかスキをいただきました。ありがとうございます。割と卑猥な話ばかりだったので、普段より多くの方々に読まれたのかと思うとちょっと恥ずかしいですね……じろじろ見ないでよえっち。

 でもこの手の話題は、たとえ気心知れた相手だとしても中々しづらい。語れる場としてnoteがあるのはありがたいし、読んでくれる方もいるというのは大変嬉しいです。

 だってほら、やっぱり言えないじゃないですか。一応、履歴書には「趣味:読書」と書いてるんですが。たとえば面接で「最近は性に関する本を読んでいます。先月は『女性器の文化史』『ペニスの文化史』を読みました。今気になってる本は――

 『美少年美術史 禁じられた欲望の歴史』です」とか言ったら"終わり"です。……いや読みたいと思った時点でもう"終わり"か。いずれ『美少女美術史』『官能美術史』とセットで読みたいと思います。

〇読みかけの本
『エロスの涙』ジョルジュ・バタイユ
『乳房の神話学』ロミ
『支配について──Ⅰ 官僚制・家産制・封建制』マックス・ウェーバー

〇対策委員会編3章(ブルアカ)の予習
『エジプト神話物語百科』キャサリン・チェンバーズ
『地下室の手記』ドストエフスキー

 オススメ本があれば、ぜひコメントやマシュマロにお願いします。自分の好みだけで選んでると偏りがちなので助かります。ほな、最推しの誕生日SSを書く作業に戻ります。二次創作を書くのは6年ぶりくらい。頑張ります。それではまたどこかで。


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