見出し画像

この時間にnoteで誰かの日記読むの気持ちいいな……【日記】

 午前3時頃。ネットの某有名人の死亡報道を目にする夢で目を覚ます。んなわきゃねえよな、と思いながらも検索してみると案の定ご存命。安心した。どうしてこんな夢を見たんだろうと記憶を遡ってみると、あれかな、手塚治虫の『火の鳥』が原因かな。とりあえず宇宙編まで読んだ。また図書館で続きを借りようと思う。

 推しと呼べるほどの人物ではないけど、オタクとしてはこんな夢を見せられると心穏やかじゃない。正夢になってほしくない。お手洗いを済ませた後、横になりながら何とはなしにスマホでnoteを開き、目に留まった日記を読んでいた。この時間、こんな心理状態だからだろうか。その生活感の手触り、何となく抱えているちょっとした不安感、着飾らない言葉がとても心に染み入った。ありがとうね。救われました。

 そういえば、私はこういう感覚が好きでnoteに少しずつアクティブになっていったんだっけ。ありったけの情熱がこもったコンテンツ感想文もあれば、静謐な文章もある。やはり文体にはその人のパーソナリティや過ごしてきた人生が宿る。そういう「人間味」「生活感」を感じ取れるのが好き。やっぱり画面の前には血肉の通った人間がおるんやなって。

 一方でXはどうにも苦手になってしまった。情報の氾濫に疲れてしまう、それならいっそ読書の時間を捻出をしたい、ってのはあるんだけど、あと、

 これかなあ。どうにも「X(旧Twitter)構文」めいたものが溢れている気がして。たまに感想ポストをパブサしても、どこかで見たような言い回し、デカい言葉が目について。い、いや、私も感想記事ではデカい言葉ばっかり使ってるから人のこと言えないけど。だって気持ちいいもんな。わかるよ。

 「140文字」と、そのフィールドに思考を乗っ取られるのが怖い。今は長文も書けるらしいけど本質はあまり変わってない。「人は国に住むのではない。国語に住むのだ」とはよく言ったもので。ある程度距離を置く。デタッチメント。それは必要だなと。自分の思いを表現しようと思ったら140文字で収めきれないってのもある。何だかんだ手軽なプラットフォームがあるのはありがたいし、イベントごとでリアルタイムで感想を書きたい/読みたい時なんかは今後も使っていきたい。SNSやVTuberの配信見る時間は少しずつ減らしていきたい。読書習慣を取り戻していきたい。うおおおおお。

 それにしても日記か。毎日じゃないけど、週2回くらいの頻度でGoogleドキュメントに書き散らしてる。思考をどばーっと垂れ流すのが気持ちいい。すっきりする。note記事だと人に見られることが前提だから推敲して何度も読み返す。でも、ありったけの情熱をぶつけるためだけじゃなくて、そこまで肩肘張らない記事を書いてもいいんだなって、他の人のnoteを見てると気持ちが軽くなる。私もやりたい。あまり人目を気にし過ぎるのもね。逆張りオタクのよくないところ出ちゃうから。

今は『ペニスの文化史』を読んでる。これも『女性器の歴史』と通底する本。やっぱ男根を象ったアレやコレやとか出て来るんですけど、それはファルス信仰と呼ばれるもの。ギャグかってくらい誇張されてるけど、今の科学主義的な時代に比べたら「生命の神秘」は今よりも崇拝されていて、丁重に扱われているのが当然。逆に今の、生殖とか、ポルノグラフィーとしてばかり見る方があまりにも非人間的すぎるきらいがある。まあ神秘主義に傾倒するのもどうかとは思うけど。
「性」や「エロティシズム」関連の話読んでると、やっぱりこういう、奥底にあるものを感じられるのがいい。実存的な不安や死を前にした時の情動というものは何かしらエロティシズムと結びついているし、人間が「男性性」「女性性」をどう解釈してきたか、それは生命の強さ、エネルギーみたいなものが感じられて。この身体が疼く感じ。やはり『エロティシズム』を読んでから、オタクとして第二の人生が始まった感がある。今後も追求していきたいテーマだ。

2024/1/24の日記(抜粋)

 アウトプットも兼ねて、こういう読書録はnoteでもやっていきたい。

灰猫の3K。
K カヨコは
K かわいい
K 結婚しよう

2023/9/13の日記(抜粋)

 ……これは別に見せんでもええか。

 7時になったので切り上げます。こんな人間もいます。日記、よければ書いてみてね。私も今後はもうちょと何か書いてみます。スキやコメント等いつも本当にありがとうございます。べ、別に嬉しくなんてないんだからねっ(サムネは愛用している睡眠導入剤です)