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砂嵐の意味

『「ある場合には運命というのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている」とカラスと呼ばれる少年は僕に語りかける。』


2日前の箱根駅伝エントリーメンバー発表を受け様々な人の様々な生き方に触れました。今年、あるいはかつてメンバーに選ばれなかった選手、そして彼らの力を受け本戦へ進んでいく選手。

それらの出来事に対するファンの言葉も、良くも悪くも多種多様でした。私の中にも彼らが到底受け入れ難い苦しみと向き合っていくのを励ましたいという思いはあります。しかし、今回は部外者であることの意識が強く普段軽率にリプライを送る私ですが何も言わないに留まりました。別にそれが良いとも悪いとも思っていません。判断するのは私ではないので。

何も言わなかったとはいえ何も感じなかったわけではないので、今回は苦境に立つ人に一度触れてみて欲しい文章を送ってみます。


「ある場合には運命というのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている」とカラスと呼ばれる少年は僕に語りかける。

『そこにはおそらく太陽もなく、月もなく、方向もなく、ある場合にはまっとうな時間さえない。そこには骨をくだいたような白く細かい砂が空高く舞っているだけだ。そういう砂嵐を想像するんだ。』

『そしてその砂嵐が終わったとき、どうやってそいつをくぐり抜けて生きのびることができたのか、君にはよく理解できないはずだ。いやほんとうにそいつが去ってしまったのかどうかもたしかじゃないはずだ。でもひとつだけはっきりしていることがある。

その嵐から出てきた君は、そこに足を踏みいれたときの君じゃないっていうことだ。

そう、それが砂嵐というものの意味なんだ。』


3つの括弧に分けた引用は全て村上春樹著『海辺のカフカ』上巻の言葉になります。これだけでもまあまあの文量ですが、実際には括弧の間に砂嵐に関する記述がもう少しあります。

初めて読んだ時なるほどと思いました。苦しいことがある時、自分だけ前に進めていないような気がする時、何もかも投げ出したくなる経験は誰にでもあると思います。また、それに対して何も対処できず1日が終わってしまったこともあると思います。具体的に何かを起こすことができず気持ちの折り合いがつかなかった、その1日にも意味がないわけではない。そんなことをこの『カラスと呼ばれる少年』は伝えているのだと思います。

生きているだけで良い。無理に頑張らなくていい。

そんな陳腐な言葉しか思いつかない私にとってこの砂嵐の意味は革新的なものでした。

今、砂嵐の中にいる人たちへ。実際には届かないだろうけどもしかしたら誰かに届くかもしれない。そんな僅かな期待をもって今日この文章を紹介してみました。

それぞれが立っている砂嵐がどんなものなのかは外から眺めた誰にも理解できません。砂嵐の中でもがき苦しんでも何かを乗り越えられる確証はありません。それでも懸命に前に進もうとしている人達のことを静かに応援したいです。そして砂嵐へ足を踏み入れた時とは、何かが変わって出てくる人を待ち続けます。


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