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【読書の時間】本当の自分はいくつある?

題名:私とは何かーー「個人」から「分人」へ
著者:平野 啓一郎

▶︎選書理由

SNSでおすすめしている人がいて、タイトルが印象的で手にした一冊です。

▶︎感想

これまで自分が感じていた違和感を言語化されていて、腑に落ちる箇所がいくつもあった。
この本を読んでそう感じた人は、たくさんいるのだろうとも思った。

つまりは、誰もが心の奥底で密かに感じていることを掘り起こし、言葉にした、そんな印象を受けた。

この本のキーワードは、

”本当の自分”

副題にもある「分人」とは

”1人の人間は「分けられない」存在ではなく、複数に「分けられる」存在である”

と記されている。

個体としてはもちろん分けられないが、意識としては分けることができる。
属するコミュニティや接する人によって、それぞれ異なる自分が存在する。

確かに
家族に見せる顔と仕事での顔、友達と一緒にいるときの顔は全て異なる。

これは、当たり前といえば当たり前。
そのコミュニティでいわば、
”上手くやっていく”ために皆がやっている術である。

では、いくつもの分人を持つ自分の
「本当の自分」とは何か?

誰とも接していない1人の時の自分が
本当の自分なのか?

そうではないと書かれていた。
とても面白く、納得のいく表現がされていた。

”人間は桃ではなく、タマネギなのだ。”

どういうことかというと、
桃のように真ん中に本当の自分というものがあるわけではなく、タマネギのように剥いて剥いてみた結果そこには何もないということ。

つまりは
ブレない本来の自己などというものは存在しない
ということだという。

妙に納得した。

これまで自分探しと称して、
多少なりともいろんな場所に行き、いろんな経験をした。

それでも自分は見つかっていない。

まだまだ経験が足りないのかと思い、更に新しいことをやってみる。

それでも自分は見つからない。

複数の顔を持ちながら、確固たるひとつの”自分”が何処にあるはず、確立させなければいけないと思い込んでいた。そんな自分はダメだと思っていた。

しかし、それは違った。
それぞれの自分が全て
”本当の自分”である。

どの分人を中心に足場として過ごしていくか、それぞれの環境で比率を変えていけばよい。

それをブレただのなんだのと思う必要はない。全て本当の自分なのだから。

ただ、分人は1人で作ることはできない。他人と接することで作られるものである。

その中で自分が好きな分人を増やしていくことが、心豊かに過ごしていくひとつの答えだと改めて感じた。

読んだ後に残った問いは、

自分を構成すり分人はいくつあるのだろう?
そして、その割合はどうなっているのか?どの分人でいる自分が好きなのか?

それは、これから少しずつ感じながら考えていきたい。

▶︎印象の残った一節

中でも印象の残った一節を3つ紹介します。

人間には、いくつもの顔がある。私達は、このことをまず肯定しよう。相手次第で、自然と様々な自分になる。それは少しも後ろめたいことではない。

こうはっきり言って貰えると肩の荷が降りた気分になる。芯のない自分は価値がないと思っていたから。

大学時代、私が人から訊かれて一番苦痛だったのが、「将来、何になりたいの?」という質問だった。その問いに爽やかに即答できる人たちのことが心底羨ましかった。

私も同じ事を思っていた。
大学の教授に、
今の時代何かなりたいものひとつに決めなければいけない君達は可哀想だ
と言われたことが今でも心に残っている。
当時はピンとこなかったが、今では教授がどんな意図で言ったのかなんとなくわかる。

好きな分人が一つずつ増えていくなら、私たちは、その分、自分に肯定的になれる。

肯定的な自分が増えると悲観的なこともま、いっかとやり過ごせる。



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