見出し画像

《カイコとカイゴと私》はじめに  おとう(父)、時々オカン(母) 登場!

30数年ぶりの実家暮らしのはじまり


「ただいまー」
私は玄関の戸をあけて、大きな声で言ってみた。
奥の居間のテレビの前には、おとうがいた。

「おう、おかえり!」
「おとう、私が分かる?」
「お前、いきなり、なんを言いよるそか?
お前は、久美子やろ? オレは娘の顔は忘れん」

とっさ、私はそこにいるオカンと顔を見合わせた。
さっき、オカンは、何年かぶりに会う私を軽トラで駅まで迎えに来てくれて、その時に言ったのだ。

「お父さんは家におるよ。
でも、認知症だから、アンタの顔を見ても、もう誰か分からんかもしれん。覚悟して帰りよ」

私は、神妙な面持ちで、大きな荷物と一緒に、オカンの軽トラに揺られた。
おとうの具合はどんなに悪くなっているだろう・・・、
もう何も分からなくなってしまったのか・・・、
でも、もう決心して帰ってきたのだから、後には引けない・・・、
頭の中はいろんなことが、グルグル回っていた。

なのに・・・なんだか肩透かし。
でも、良かった!
私は単純に喜んだ。
少し歳を取ったけれど、昔のままの、久しぶりのおとうだった。
私のことも、ちょっと、どこかに買い物に行って帰ってきた時みたいな、
そんなサラッとした、自然に口に出たおとうの「おかえり」の言葉だった。
だけど、それが認知症ゆえ、という逆説が徐々に忍び寄る。

おとうのこと、私のこと

おとう、86歳。
80歳の運転免許更新の時、どうしても検査がクリアできず、その時、病院に行くことを勧められて、初めてアルツハイマー型認知症が分かる。
前兆はきっとあったはず。
でも、私は側にいなかったので、その時のことはよく分からない。
その後、徐々に進行。

私、55歳。
19歳のころから実家のある福岡県を離れ、
その後、遠く離れた長野県で何十年も暮らしてきた。
縁あって、シルクに関する博物館で20年ほど勤務。
学芸員として、まだまだやりたいことだらけだった。
忙しさにかまけて、もう何年も実家には帰っていない有様だった。。

あるとき、
「もう、姉ちゃんの知っている親父じゃないよ」
実家の側に住んでいる弟から連絡が来た。
その知らせを受けて、あわてて帰った私の前で、おとうは、
「お?」「おりょ?」と首をかしげて、
「オレは財布をどこに置いたかの?」
「オレはメシを食ったかの?」
いつも、何かを、誰かに聞いていた。

「困ったな・・・」
そう思っていた矢先、すぐにコロナ禍となり、実家への行き来さえ出来なくなった。
私はずっと、どうしようかと考えていたけれど、踏ん切りはつかなかった。
シルクのことを、ずっと博物館でやりたかったから。

2人の弟たちは、折にふれて、顔の見えるLINEビデオ通話をさせてくれた。
「お? お前、誰か?」
「なんで、お前は、枠の中に入っとるんか?」
「お?オレの上の方から見ていて、今、天国か?」
おとうは、分かっているのか、いないのか、
いつも私に、冗談とも本気とも言えない、とんちんかんな会話をしていた。
そして最後はいつも、
「ありがとうございました。お元気で」
と、他人行儀に言う。

「もう、帰ろう!
シルクのことは、これからも、どこでもできる。
でも、おとうのことは今しかない。
おとうが私を忘れる前に、私は一緒に暮らしたい」
そう思った。
そして、私は長い間の居場所だった博物館を離れて、30数年ぶりに、実家での暮らしを始めた。

これが現実・・「お?」と「え?」の会話

帰った日の夜は、久しぶりに、おとうとオカンと三人で晩御飯。
お寿司屋さんから買ってきたお寿司を食べた。
「お?今日はご馳走やのぉ。オレの好きなアナゴも入っとる!」
子どものように喜ぶおとう。
自分の好きなものは忘れないらしい。

「私が久しぶりに帰ってきたけん、オカンがご馳走にしてくれたんよ」
「お?なんや、お前、どっか行っとったんか?」
「え?私は、今まで長野に住んでて、今日帰ってきたやん」
「お?そうか? おかしいのお、お前は今朝、学校に行ったやないか」
「・・・・」
哀しそうな顔をしたオカンと目が合った。
「・・・・」
耳が遠くなったオカン。
やたら大きな音量のテレビの音だけが、部屋中に響いていた。

「おお、便所、便所。ションベン、行きたくなった」
好きなアナゴをさっさと食べたおとうが、ヨロヨロしながら席を立って、
トイレに向かってから、オカンが言った。
「そういうことなんよ。これが毎日。今日は良い方・・・」
「・・・・」
トイレから帰ってきたおとうのスボンは、濡れていた。

カラダの大きなおとうと、細身のオカン。
きゃしゃなオカンの肩に手を置いて、
ヨタヨタと覚束なく脚を上げて、下着とズボンをはき替えるおとう。
着替えもこの調子なのか・・・そう思った時におとうは、
「お?メシはまだかの?」
そう言った。

久しぶりの実家の夜、食事も、トイレも、お風呂も、入れ歯も、
認知症ってこういうこと???
私はおとうの行動ひとつひとつに、驚いてばかり。
私の知ってるおとうは??
昼間、オカンが布団を干してくれたのだろう、
きっとおとうと2人で重い布団を持ち運びしてくれたのだろう、
おひさまの匂いのする温かな布団に入っても、目が冴えていた。
久しぶりの実家の天井の木目を眺めながら、
明日からの自分に対して、私は何も考えられなくなっていた。

記憶の蓋

「おとう、おはよう」
「おお、おはよう。なんか、久しぶりやのぉ」
「そうやね、久しぶりやん。おとうは今日は何をするん?」
「お?オレか?オレは仕事や」
「・・・・」

私のいた博物館は、シルクに関することに特化した博物館だった。
おカイコを育てて繭にする養蚕、
その繭からさまざまな生糸をつくる製糸業、
製糸業は、明治・大正・昭和と日本の近代化を支えた一つの大きな産業。
そして、その生糸は絹の原材料で、染めたり織ったりして絹織物になる。
私は長く、かつて製糸工場で働いた女性たちの聞き取りもやってきた。

「あのおばあちゃん、昔、製糸工場にいたらしいよ」
その話を受けて、
80歳?まだまだ若いね、
90歳?ちょっと聞き取りしてみようか、
100歳!すぐに聞き取りに行こう!
そんな感じで、100歳近い高齢の人からも話をたくさん聞いた。
聞き取りを始めたころは、まだ明治生まれの人もいて、製糸工場で働いた人たちも、ちまたに大勢いた。

自宅で家族と一緒に元気に暮らしているおばあちゃんもいれば、
高齢者施設に入っている人もいた。
元気な人たちばかりではなくて、中には認知症の人も、たくさんいた。
共通することは、若い頃、製糸工場で何年も働いたということと、
繭から糸にする「糸繰り」の仕事に、良いも悪いも思いを抱いてきたこと。
その聞き取りのときに、昔の写真などを持っていくと、誰もが懐かしそうに、その時の話を10代の娘に戻ったように話してくれる。
日がな一日、外を見て暮らしてばかりの認知症の女性が、繭を手に取った瞬間、饒舌になって、たくさんの話をしはじめて、施設の方を驚かせたことも何度もあった。
半世紀以上の月日が流れていても、彼女たちの手が、その糸繰りを覚えていたことは、数かぎりない。
そして、私たちは、彼女たちの話から製糸業の要諦ともいえる情報を得る。

大事なことは、語ってもらうこと。
こちらは、分かっていても、何も知らないふうで、
「え!そうなんですか?」
「えーー!それ、どういうことですか?」
「へぇぇ、すごいですね。初めて知りました!」
そのセオリーは、彼女たちからたくさんの言葉をあふれさせた。

おとうにも、このパターンで話をすればいいのかも・・・!!

「おとうは、どこの会社に行ってたん?」
「おお、〇〇電機や」(おとうは電機メーカーで設計・開発をしていた)

「そこで、何をやってたん?」
「お?それは・・・設計とか開発や」(合ってる!)

「それって、どういう仕事?」(なんて言うかな?ドキドキ)
「機械の調子が悪くて、問題が起こるやろ。どこが問題で、それをどうやって改善するかを考えるわけや」(え?なんか、結構、話し始めた!)

「おとうは、その仕事が好きやったんやね」
「そうや、オレは開発の仕事が面白かったんや。手でやると難しいことが、誰でも簡単に出来るようになるのが機械の開発や。その機械のおかげで、
人が、楽に便利になるのが、機械の意味やねぇか」

「おとう、すごいやん!そうやってやってきたんやね」
「そうや。でもキツかったぞ。毎晩帰りが遅くて、お前たちの寝顔しか見ないころもあった。だけど、この機械のおかげで良くなりました、なんて言われたら、今までの疲れなんか吹っ飛ぶってもんや」

おとうがどんどんしゃべり出したので、今、おとうが言ってることを私が忘れないように、そこにあった新聞の上に、その場でどんどんメモした。
おとうは、聞けばきくほど、時間を忘れて、しゃべり続けた。
その口調は、とてもしっかりしていて、滑らかで、
こちらも、おとうが認知症だということも、忘れて聞き続けた。
頬を上気させ、熱く話すおとうに、オカンはタオルを持って聞いていた。
初めて聞く話がたくさんあったらしい。
新聞紙5枚分、私はマジックでなぐり書きをした。
それを、後から、家にあった使い古しのノートに書き直した。

表紙には
「おとうのことば」
そう書いた。

それがどんどんたまっていくのが、私の日常になるのかもしれない。
この現実と一緒に、私たちが知らないおとうもそこにいる。
それが、生きてきた証。
かつて話を聞いた、彼女たちと同じだな。
「おとう・認知症」が、私の中にストンと落ちた。

「おとう、また、話を聞かせてね」
「お?何の話や?オレは今、テレビをみてたぞ」

一段落のあとには、また現実が押し寄せて、おとうは、今に戻る。
一体、記憶の何に蓋をして、何の蓋が開いているやら。
これから、その蓋をちょっとの時間でも、開けてみよう。

外は、春。
私が子どもの頃に植えられた近くの公民館の桜が、大きな木になっていた。
その桜吹雪を見るおとう。
私は、その桜の毎年毎年の景色を知らない。
これからは一緒に見るからね、おとう。

              

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?