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街の中にある私の「居場所」

今日は、ある公園に行った。最近お気に入りの公園だ。広大な芝生の上に小さな森がいくつかあり、テニスコートや野球場、子どものための広場まである。ご高齢の方から小さな子どもたちまで、様々な声が飛び交う。

私はこの公園を自分の「居場所」だと感じている。木々はいつも優しく私を受け入れ、日によって異なる顔を覗かせる。その声に私も応え、木々たちとコミュニケーションをとるのが好きだ。

ヘルプマークをつけて電車に乗る。私は、電車も好きだ。学生の頃は、家や学校に居場所のない私が、唯一居られる場所だった。家でスマホを触るのは禁止だったし、夜以外の時間に寝るのも禁止だった。だが、電車ではゆったりとスマホを触り、うつらうつらとすることができるのだ。ぼーっと学校のある駅を通り過ぎた時の「やってやったぜ!」感もたまらない。今日はどんな言い訳をして、職員室に行こうかなぁと思考を巡らせる。最近は、普段行く「べき」場所はないから、どこまでも電車に乗っていられる。

その駅ごとに人の営みがあり、生き方がある。進級して疲れていそうな学生には、「無理しないでね」と言いたくなるし、生まれたばかりの子どもとスーパーの袋を抱えて歩いているママには、「何かお手伝いしましょうか?」と言いたくなる。

私はずっと「居場所」を探している人間だった。
「女性 居場所」「若者 居場所」「精神疾患 居場所」「LGBT 居場所」
毎日のように検索していたが、私が「ここに居たい」と思える居場所は見つからなかった。でも、検索の手を止めるとふと見つかる。

この公園好きだ。このカフェが好きだ。電車に座っているこの時間が、好きだ。

そんな「お気に入り」を組み合わせて、日々を過ごしていると、この世界も案外悪くないなと思える。行きたい場所ができると、「生きたい」明日が見えてくる。そんな毎日が今は愛おしいし、ちょっと楽しい。


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一度は行きたいあの場所

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