自己啓発に物申す

 時間術とか自己啓発とか、人生を変えるとか、そういう類の本や動画を見ていると、必ずと言って良いほど朝の時間を活用するように書かれている。
 朝に散歩をする、運動をする、瞑想をする、執筆をする、勉強をする、等々、枚挙に暇がない。体感で言っている訳ではなく、脳科学的見地からも朝の時間というのは非常に重要らしい。能率だけでなく、朝の空気は澄んでいて気持ちが良いというような心的メリットさえも伴うことも理解している。
 そう、理解している。それでも一つ、どうしても言わせてほしい。

うるせぇこちとら6時には出勤してんだよ!!!! そんな生活できるんだったらとっくの昔にやっとるわ!!!!

 ふぅ、すっきりした。どうかここで帰らず、私の言い訳を聞いていただきたい。
 書籍や動画になる過程で必ず全てを語らなくてはならないという訳ではなく、「万人に向けての普遍的な回答ではない」ということは言うまでもないことであるので語られないことは重々承知している。
 かつ、自己啓発というのは完全なコピー人間を作るのではなく、個々の生活に照らし合わせ、各々今の生活と比べて取り入れられそうなことは有効活用してね、というのが本旨だということも理解している。
 理解はしているが何度も何度も何度も何度も目にしたり耳にしたりしていると流石に嫌気が差してくるのもまた事実。同じことを何度も言われたり、何度も話す羽目になったりすることが非常に苦手なことも遠因かもしれない。
 つまりは行動出来ない言い訳をしているに過ぎない。まあ物理的に無理という話もあるのだが。4時30分に起きて支度をする生活において、更に早く起きて作業だの散歩だの……どこに差し込めばいいのだろう。更に8時間の睡眠時間を確保するとなれば帰宅してすぐ寝なくてはならないのではないか?
 通勤に自転車を使用しているので、ここを徒歩にすればいいのではないかと一瞬考えたが、やはり移動速度は代えがたい。それに仕事中も歩き回る羽目になるので、少しくらいは楽をさせていただきたい。
 大体朝型夜型は遺伝子である程度決まっているから変更は難しいという話もあるのに、必ず朝やれ! という論調になるのもいかがなものか。何時だとしても起きてからを『朝』とし、『朝』の数時間以内でやれ、というのならまだ分かるが、判で押したように誰も彼も朝ないし午前中に拘る。不思議だ。
 勿論、昼夜逆転しているよりは朝日の出と共に活動を開始し、日の入りと共に休息をとる方が健康的なのは間違いないだろう。日光を浴びることでセロトニンが分泌される云々はあまりにも有名な話だし、日光を浴びないと精神疾患になりやすい等のデメリットも多数ある。しかし仮に、方々で語られる朝やった方がいいことを、昼でも夜でもとにかく起床後にこなしたのであれば、同じ効果を得られないのだろうか。
 とある作家は睡眠を分割し、意図的に『朝』を作ることで生産性と創造性を高めているらしい。『思考の整理学』でもブランチの後に昼寝をし、寝すぎてしまった『朝』を演出することで再び集中力を高めるというような記述があった。別の本でも、決まった生活リズムは無いが、起きて執筆をして体力の限界が来たら寝て、再び起きたら執筆をするというような生活をしていると書いている人も居た。仮説が正しいと断言するにはあまりにも少ない実例だが、全くの絵物語とも言えないと思っている。

とはいえ

 長々と語ってきたが、結局のところ見る人によっては言い訳にしか見えないかと思う。実際、自分でもただの言い訳だと思っている。
 私はとにかく負けず嫌いでもある。
 やってやろうではないか。朝の執筆を。
 とある本では朝、集中できる時間で行った仕事は通常時と比べると、短時間でクオリティも作業量も通常時のものを超えるとかなんとか記載されていた。その本に関しては正直なところあまり好きではなかったが(書名を出さないのもそれが理由)、有益な部分は存分に活用させていただくとしよう。
「短時間でも」という言葉を信じて朝の執筆時間は30分に限定する。というかそれ以上には恐らく伸ばせない。まず間違いなく書きかけの状態になるが、書きかけで気持ちの悪い状態を作っておくことで敢えて執筆せざるを得ない状況を作り出してみよう、というのが狙いである。
 実はこの投稿も、冒頭の数行は朝の時間に書き、残りを夕方に執筆している。私はいつも書き終えた後簡単に誤字脱字だけチェックしてから投稿しているので、今までの記事は夜に書いたものばかりだ。皆さんの目から見てクオリティはどうだろうか?
 個人的には朝も夜もどうでもよくて、夕方の今が一番集中出来ているような気がしてならないが……時間的余裕が精神の余裕に繋がり、落ち着いて執筆が出来ている≒集中出来ている、ということにしておこう。


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