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無料 短編ホラー小説『あなた』~山着~第三話・忌み地



『先人』


 あなたはちょっとした心の安らぎを奪われたような気分になり、焦りを見せました。昨夜の『もの』の恐怖も相まり、今夜も一人で”あれ”と対峙する勇気はいまのあなたにはありません。不安と恐怖でいっぱいでした。
 そのことがあなたの尻を叩くかのように、あなたは『杜下家』の古びた民家の前で古くて懐かしい刑事ドラマでよく見るような”あからさまな張り込み”をしています。

【森下】

 という看板を確認し、杜下が出入りする所を待っている。
 普通に呼び鈴を鳴らせばよかったものの、なぜか目的の人物が出てくるのを待ちました。なにか後ろめたいことなんて何一つもない。しかし、あなたはなんだかそうしました。
 ”あの時”に少しだけ会話をし、自己紹介すらもすることもなく流れと勢いで見知った人。今はそんな人だけがあなたの唯一の頼りでもあった。

 あなたがここにいるのもただのエゴ。自己満足なだけなのも、あなたには分かっている。こんな自分なんて、何か捜索や追跡の特別訓練を受けている警察や軍人というものでもなければ、野性的で自然的な知識や能力のあるハンターやマタギという訳でもない。霊媒師でもなければ敬謙で熱心な信仰を持っている訳ですらない。

 ただの義務感と罪悪感、好奇心も少しある。そしてあなたが納得したいだけであり、付きまとう『もの』の視線とあなたを呼ぶ「おいで」という声にうんざりしている。そんな状況の打破のために、あなたはまた誰かを巻き込もうとしている。そんなことも、優しくあなたを受け入れてくれた叔父が行方不明になって痛感していた。

 しかしすがるしかなかった。特に何の能力もないあなただからこそ、助けを求めるしかなかった。そう、自分に言い聞かせ誤魔化しながら目標の人物を待ち焦がれていた。

 夕刻。

 あなたの待ち人は屋内からでなく外からやってきました。
 一台の白の普通車が目前の敷地内であろう、屋根と壁がトタンで出来た簡易な駐車スペースへと停まり、中から杜下が出てきたのです。あなたは急いで道路の少し外れた、通行の妨げにならない程度の場所に自分の車を停めたまま、待ち人の所へと駆け出します。

「す、すいません!杜下さん・・・」
 あなたは遠慮のこもった声で、呼びかけます、

「え?・・・ああ、はい」
 杜下はあなたが誰か、まだ分かっていない様子です。

「あの・・・わたしはあの時の・・・」

「・・・ああ!えっと、あの・・・あ、いや、ダメですよ!戻ってきては!」
 杜下はその後の言葉を濁したように口績ぎました。

「すいません、あの時は助けて頂いたのにお礼も言えずに、何もできなくて・・・あれから色々考えました。杜下さんに忘れろと言われ、その努力もしてきましたが・・・・・・」

「・・・・・・」

「でも、どうしても自分が原因で叔父さんが・・・どうなったのかも知りたいですし、なにかできることはないかと・・・・・・あのまま、叔母さんに何も制裁も、免罪もされずにいることのほうが、じぶんには耐えられないんです。そのまま無かったことにされるぐらいなら、なにかをさせて頂けませんか?」

「・・・んー・・・・・・」

「それに・・・・・・あれ以降、付きまとう”なにか”が増えてような気がして・・・それって、もしかして叔父さんじゃないでしょうか?!」

「!?なにかって?」

「あ・・・いえ、なんでもないです、すいません・・・」

「あの、すいません、違ってたら正直に言って頂いてかまいませんから。もしかして、何かにずっと”憑けられて”いますか?」

「!!はい!そうです!わたしにも何かは分かりませんが子供の時からずっと、時おり視線を感じたり、声がして呼ばれたり・・・ずっと気のせいだと思ってきました。それが、最近になって頻繁になってきまして、そんなことも含めて忘れるようなことなんてできずにいます」

「もっとそれを早くに言いなさい!とりあえず、中に入りね?」

 杜下はそういって家の中へあなたを招きました。あなたはやっと理解者が出来たのではないかという安心感と解放感で、目には涙が溢れこぼれ落ちそうになっていました。

 少し高揚したあなたにとっては、少し汗ばむほど暖かい室内でした。しかしエアコンでの暖ではなく部屋の真ん中に置かれた電気ストーブが煌々と焚かれた温かみのある空間で、風がなく乾燥も抑えられた環境があなたの今の心境にはまるで包み込むような抱擁に感じました。

 杜下は温かいお茶も淹れてくれましたが、体の芯が熱くなっているあなたは口に入れることはなく、表面的に冷えた末端の手だけを温めるように、陶器のカップを両手で抱きしめながら杜下の質問に答えていきました。

「早速だけど、さっきの話を詳しく聞かせてもらえますか?」

「あ、はい・・・えっと、どこから話せば・・・」

「じゃあ、無理に過去のことを思い出そうとしなくていいよ。最近の出来事から記憶が鮮明なうちに、教えてもらえればありがたい」

「はい。ありがとうございます。・・・信じられないことばかり最近は起きているので頭がおかしくなったと自分でも思うのですが・・・・・・」

 あなたは昨夜に見た『もの』の存在や叔父との出来事、付きまとう視線や呼びかける声、特にふっとした時の森林への暗闇の存在や違和感、恐怖のことをありのままに伝えた。なぜか、意識していたわけでもなく女郎屋敷の飯所の件は言うことはありませんでした。意図的でもなく不思議とこの時は、あなたの会話する思考範囲になかっただけで、隠すつもりなんてなかったのです。

「・・・・・・そうですか。あまり良くはありませんね」

「え?・・・やっぱり、何かに憑かれていますかね・・・」

「・・・君も、恐らく全て正直に話してくれたとも思います。なので、僕も正直にお話させて頂きますが。他言は禁物ですよ。約束は守れますか?」

「はい。もちろんです。じぶんは叔父さんの救出を誓い、そしてこの謎の存在を知る権利があるという覚悟で帰郷してきました。自らの犠牲をも覚悟して・・・」

「・・・いいでしょう。そこまで言われるのであれば。・・・・・・そして、この話を聞いたなら、君はもうこの村から出れなくなります。その点も、よろしいですか?」

「・・・はい。大丈夫です」

「では・・・・・・」


「杜下」


 先ずは基本的な話から。少し歴史的な部分から話させてもらうね。

 君は山窩サンカと呼ばれる、現代では日本の先住民とも呼ばれている民族のことを知っとうかな?
 北海道のアイヌや沖縄の琉球民族は、一般的にも有名であり君も知っていると思うんやけど、それらに似たような存在として専門家のあいだで今では捉えられていたりしているんだ。

 このサンカという名称、呼称は役所や昔からの警察機関、町奉行の時代から彼らの認識を分かりやすくするために付けられたものだそうで、地域や彼らの役割、生業ならわいとしての仕事などで実際には異なるんだ。

 「山人」「山下」
 川漁や竹細工を生業とした者が「ポン」
 「ミナオシ」「テンバ」と呼ばれるサンカは、箕、かたわらなどで箒や籠を作って、行商、修繕とかをやっていた人たちだね。

 彼らはこの日本では、例えば学校の義務教育とかでは習わないよね。あくまでも一部ではあまり良くない生業に用いられたりしているという話もあり、大々的に公にはしにくい面もあるみたいなんだ。

 サンカとはまた違うもので言うと、『非人』という職業なのか総称なのかも分からない、現代でいう所の差別用語や皮肉のような名称も、昔はあったほどだ。方言、地域では『穢多えった』と呼ばるところもある。

 でもそういった一面だけで判断するものではないと僕は考えている。大袈裟に言えば、国の数だけそれぞれの文化や事情があるように、山の数だけ同じようにそれぞれの地政学的のような状況があり得てくるわけであり、善悪を判断するようなことでもないとは思うんだ。

 だから、僕なりの意見と説なども客観的視点で君に伝えていくから、良くない偏見は持たないでくれ。
 学術的な詳細はネットにも普通に記載があるから、また知りたければ調べてみるといい。

 侍や武士が日本の代名詞としても時代劇にもでてくるよね。例えば彼らも藩や州、武家、部族など、国内でまだ区切られていたどこかの国に属していれば「武士」としての権威というか、今でいう社会的地位といった”箔が付く”というもの。もしそうでなければただの流浪人、やむを得ず力で生活を余儀なくされた者や傭兵を「人切り~」という二つ名や「辻斬り」という言葉が作られるぐらいだ。「切捨御免」というのはまた不思議なもので、武士に限られた特権のようなものすらあった。色々と侮辱されたや注意をしても侮辱行為を止めないといった条件があるらしい。今でいう公務執行妨害みたいだね。
 このように権力下では正当化されるが、個人や一般人が同じ行為をするとただの蛮族でしかない。

 では、忍者や隠密ではどうだろう。

 彼らもどこかの国に属していれば今でいうスパイや秘密工作員という”役職”ではあるんやが、そうではないもののほとんどは「山賊」であったという文献が多いんよ。なんで、地域によってはそんな彼らの子孫がのちにサンカとして”総称”されるようなことにもなっているんじゃないかな。武士落ちがまさしく落ち武者とかね。

 次に、なんらかの理由で追い詰められた人物たち。理由はまた様々だろう。犯罪者もいれば敵前逃亡した兵士たち。政治的な裏切りからの亡命。
 他にも、駆落ち、口減らし、姨捨、蛭子、忌み子など、公にできない事情で集団の入れず属せない者たち。

 そして、流れ着いた「外国人」や外国人に侵略を受けて逃げ延びた「先住民」・・・・・・

 日本は島国やからね。周囲の海流も様々な場所から流れ着く可能性がある。面白い考察というか、作り話ではかのフランケンシュタインが作った化け物が北極海へと焼け死ぬために流れた、というラスト設定があるけん、その海流ルートの最東端は日本のリマン海流や親潮と繋がる可能性があることから、その化け物は日本へ流れ着いた・・・そんな二次創作が作られるほどだしね。

 そんな日本はジパングと呼ばれるほど、特に海の幸を運んでくる海流に恵まれた地域だったこともあり、縄文時代からも外部干渉の必要性もなく平和に暮らしていたんだと思われる。
 なんで、海へと様々な理由で旅立った外国人が流れながれて日本のどこかの島や地域にたどり着いていた・・・というのも、無いわけがないやんね。

 日本は昔から、海だけでなく四季のおかげで山の幸も本当に豊富だったと思う。なので各エリアで住んでいた原住民、先住民として”本当の日本人”の出土する骸骨は縄文時代以前のもの全てといっていいぐらい、争った形跡がないんだって。海外では必ずヤリやオノなどで破損した頭蓋骨の痕跡があったり、そもそもその近くから武器のような物も同時にたくさん出土していくことから分かるんだけどね。

 日本ではそれぞれのエリアでみんな平穏に暮らしていたんだと思う。

 日本国内で争いの痕跡がでてきたているのは弥生時代以降。稲作が広まり「土地」という概念が人々に根付きだしてからなんよ。そしてその土地や稲作を守るために「護衛」という役職が必然とできて、そんな力自慢な人たちがのちに侍や武士という形になったかもしれないね。

 僕はそもそもこの「弥生人」たちが当時でいう「外国人」だったのではないかとすら感じている。
 まぁ、そんな時代から世界各地でも起こってきた”定番”の侵略が始まり、あらゆる”人たち”が山奥や島々に隠れ潜むように暮らしてきたのだろう。もう、何が何だかわからないぐらいに混沌とね。
 


「伝承」


 さて、ここからが本題・・・というか、僕が親父に聞いた話というか、なんやろな。伝承?とされていることなんだけど・・・・・・

 昔、いつの時代かなんてのは親父も、また更にその親父にさえ聞かされていないんやけど、日本で『天然痘』が流行した時期があったんだ。島国であった日本ではそういったウイルスの広がりは場所により緩急があるから地域的な断定なんてのは明確にハッキリできないんだけど。

 僕らが・・・君も生まれ育った場所はこの辺の平地であり、そして周辺の山に囲まれちゃいるが、少し南下と北上すればそこは海に面しているよね。そこからやってきた他国の僧侶が僕らの村にやってきた。いつもというか、普通はそんな異国の地であろうがなんだろうが、外部からの来訪者は歓迎だったんだ。なぜなら、今の時代では当たり前になりつつあるだろうけど「近親婚」は禁止されているよね。その理由は

『血が濃くなるから』

 
遺伝子的な難しい話は僕には分からないから省くよ。まぁなんとなく分かるよね。世界でも日本でもよくある話やけど、貴族や王族なら遺産や地位の確保というのもあり赤の他人に乗っ取られるのが嫌で、自分の血筋を重んじるあまり近親婚が当たり前になっていたけど、村々というか平民や農民ではあまり関係は無い問題だ。が、有識者っていうのかな?俗にいう「村長」とか「長老」「伝道師」、海外風でいえば「シャーマン」とかの知識人の中では経験という統計で知っていたんだと思うんだ。そんなのもあり、外部の人間がやってきた場合一般的には受け入れる体制があったはずなんだ。血が濃くなってしまわないようにね。

 これを裏付ける話といえば、イヌイットの民族や北欧といった特に極寒の地域だと外部干渉がほとんどないため、外部からの来客が男性であれば自らの嫁を一晩さし出すような密やかな習慣があるぐらいなんだよ。そういった事情や経緯が分からない現代文化の国が取材に行って、驚いてそのまま『淫らで強欲な民族』というレッテルを貼り社会問題にすらなっていたことも近年であったんだよ。

 しかし、通常であればそうやって受け入れていきたいところだったが、ウイルスという”謎の呪い”にかかっていた当時ではそうはいかなかったんだ。

 昔は、顕微鏡なんちゅうのも開発されていないそんなに遠くない昔、目に見えない「虫」がいるなんて想像すらできなかった。細菌やウイルスなんて認識もできなかった時代ではこれも海外でもよく聞くように病気は「呪い」「魔術」「天罰」「死神」などと認識されていた。そのころの「天然痘」や「インフルエンザ」「麻疹」や「ペスト」なんかも”呪われた””死神に憑かれた”という恐怖と絶望が一般であった。そしてこの地域も感染と流行で呪われてしまったんだ。

 そんな絶望的に呪いが、つまり感染が去るまでひたすら祈りながらも、憔悴しきったころに外国から「僧侶」が数人やってきたそうだ。
 彼らは異国の地で争いや迫害から逃げてこの地へやってきたそうだが、我々は呪われていた。とにかく昔では感染や経路なんてのも分からないので、ただ触れるな、喋るなという、これもまた何人も死人を出しながら得た「経験」と「統計知識」しかない最中、受け入れてやりたかった外部からの客人。遠路遥々やってきた人たちをむざむざ呪われた村に入れるわけにもいかなかった。

 僕の祖先は、そんな中の生き残りやそうだ。

 言葉も通じず恰好も見たことも無い姿だったので外国人か遠い地の者だろうとの話なんだけど、とにかくこの呪われた村、土地には入るな!来るな!と必死に追い返したんだって。十人ほど居た彼らも日を追うごとにどんどん数も減っていき、寒さの厳しい時期だったので山に実るものも無かったような最悪のタイミングだったんで、彼らもやせ細り餓死していっている様子だった。

 それでも死神に見舞われて、連鎖的に呪われ苦しんで死ぬ自分達よりもマシだろうって。自分達の水や食料も呪われていると考えていたんだろう。何もしてやることは出来なかった。ただ彼らをこの呪いから遠ざけることが、唯一、彼らを守ることだったんだ。

 そんな、悼まれない状況の中、彼らはとんと村に来なくなった。最後の一人もどうなったかすら分からない。ただ彼らがいつもやってくる方向が、あの山、禁足地なんだ。

 ある日、誰かが山に行ったとき、明らかに人為的に積まれたであろう石が何か所にもあった。それが九つ。たまたまだったのか分からないがその外国からやってきた僧侶たちも九人か十人ぐらいだったので、彼らの墓標、石碑かと先祖は感じたんだって。

 これは真意は実際にはわからないが、その最後の僧侶をあちらこちらで見かけた村人の証言では、わからない言葉でまくし立ちゅうて叫んでいたり、恨めしそうに睨んでいる僧侶の目撃が何度かはされていたらしく、さぞこの村を恨みながら死んでいったんじゃあなかろうかと。

 そしてその後、この村に壊滅的な「不作」「大恐慌」がやってきた。ただでさえ病気で打撃的な村にやってきた呪いというウイルスの災難。当時の人たち、僕の祖先も「僧侶の呪いだ」と痛感した。すでに呪いで死んでいく身内や知り合いが次々と死んでいく最中だ。そう考えてしまったんだろうて。

 当時の長、村長は怒りにも悲しみにも襲われて絶望の中、山へ走り出した。みんなもそれを追いかけるような気力も体力もなく絶滅を覚悟しながら生きていたので、その長の気持ちすら分かるぐらいだったんだろう。

 その翌日、僕の先祖がなんとかフラフラながら後を追ってみた。するとさっきの積み上げた石の僧侶たちのお墓の前で村長が死んでいた。
 死亡原因はわからなかった。これといった外傷がなかったんだろう。昔は仏さんを解剖なんてのは冒涜だという文化が根強い死者を敬う日本だ。調べるなんて発想もなかっただろう。村長は呪い殺されたんだと村人全員がそう思った。

 それ以来、村の大恐慌が収束したんだ。なんとか村長の決死の行動と願いが僧侶たちの恨みの呪いから解放されたとみんな感謝しながら拝み喜んだ。

 そんな事件と出来事があってから、この村では大きな不幸があるたびに山に「生け贄」を捧げた。この”定期的な風習”は”大正時代”まで続いたらしい。



「戻人」


 僕の祖先はずっと、それ以来この山で死んでいった僧侶たちや捧げてきた人たちの供養を続けてきたんだ。もう生け贄なんてしなくてもいいように。僧侶たちの成仏を願い、代々その意思だけを紡いできたんだよ。

 しかし・・・
 不作や恐慌といった大規模な不幸にはもう見舞われなくなり、生け贄なんてする必要もなくなってきた”戦後以降”だが、山では不思議なことが相次いだ。行方不明者や不審死、心霊現象などの目撃証言は絶えなかった。

 昔の村人たちはそんな”悪習”があったことすらも恥と感じる人もいれば、直接被害や亡くなった人の遺族たちは恐怖や畏怖も感じる家系もいて、この地ではあの山を禁足地として、大昔からの山神様のように「触れてはいけない事象」として、口に出すのも恐ろしい『禁句』としてすらされている。

 ここだけでなく各地方でも似たような現象が多々あるらしい。山々で悲惨な現状に見舞われてくれば同じ運命を辿るよね、大体は。場所によって様々な呼び方があるようだが、僕たちはそんな現象や存在を戻人モドリビトと呼んでいる。僧侶たちもそうだったかもしれないな。言葉や文化、集団生活と協調性を失った人が自然に還るのも当たり前、必然だよ。

 しかし、僕やこの村人出身者が事あるごとに何人か有志を集い、なんとか勇気を振り絞ってこの山を捜索してみたこともある。しかしなんらかの現象はおろかそのモドリビトすら出会うことはないんだよ。異常現象に見舞われるのは決まって外部の人たち、村の所縁のもの以外の人たちなんだ。

 次第にみんな諦めていった。そう、ただの自然現象や天災のように受け入れるしかなかった。

 ここの警察や役所の人間も、僕のようなこの地に所縁のある人物たちの子孫さ。それぞれが僕のようななんらかの「伝承」を受け継ぎ、そのルールと役割を暗黙で守っている。

 たまに、他県などから肝試しやら流行りの動画配信者などが面白がって無断で踏み入れる連中も増えてきて、最近ではその”後始末”の方が大変になってきた。
 もしかして、君や、きみの叔父さんが見たという、その人のような『もの』ってのは、そんなモドリビトだったのかもしれない。

 だが
 君はこの村の血が流れているはずなんだ。君のお父さんやお母さんのことも僕は知っている。彼らは・・・・・・
 なのに、君はなんらかの接点があるのか何度も接触をしているということになるんだ。何かが、因果が変わろうとしているのかもしれない・・・・・・


「決意」


「凄い・・・なんだか、大きな話ですね」

「あくまでも、この地域に言い伝わっちゅう話だし、僕個人も見たこともないんで、実は心では信じがたいことではあるが、行方不明者や怪奇事件が多発していることやその残骸は見てきているから、頭では信じざるを得ないんだけどね」

「あの・・・お願いします!叔父さんを見つけ出すお手伝いをして頂けませんか?なんだかよく分からないけど、じぶんならその接触が可能かもしれないということですよね」

「おいおい、聞いていたかい?だから、君にはとにかく忘れてもらいたかった、この地に居ては僕らと違い危ないかもしれないからだ。ここで安心に暮らす条件としては、あそことは今後、一切触れないこと。もしくは僕らのようにしっかりと認識した上で距離感を持って関わることなんだ。君の叔父さんも、この件に足を踏み入れて関わらなければ問題はなかったんだ」

「だからこそです!叔父は自分のせいで・・・・・・」

「僕らも、さっきも言ったように、対処法が分からないんだよ。”おもどりさん”たちは僕らとは接触しない。正体も分からないんだ。山に潜み住む実体ある代々続く子孫なのか、はたまた本当に恨みのこもった幽体なのかすら分からない。危険だよ」

「・・・だったらなぜ自分にこの話をしてくれたんですか?」

「忠告するためだ。君の叔父さんはもう・・・そして君はきみ自身を守ることを考えるんだ」

「いえ・・・違うんじゃないですか?杜下さん、さっき言いましたよね。”後始末が大変”そして”変わりつつある”と。つまり、あなたも知りたいんじゃないですか?そして終わらせたいんじゃないですか?ご自身に付きまとう運命と因縁を断ち切り自由を求めているんじゃないでしょうか」

「・・・・・・」

「自分もそうなんです。怖いし、自責の念もウソじゃありません。そんな感情の中、好奇心や使命感も燻っています。ここまで知りながら、どう放置ができますか?格好つけたヒーローを気取るつもりはありません。でも、お話を伺って尚更その思いは強くなりました。叔父さんのような被害をまだ続けますか?それでいいんでしょうか・・・この村の人たち、関係者は知りながらもよく平気でいられますね?この村人は守られている?!だから部外者が被害を受けてもいい、関係ない?関わるな?そんなのただの無責任な見殺しじゃないですか!自分達の手を汚していないだけの、ただの被害者を気取り見捨て、事案が拡大しているんじゃないですか?先祖からの供養?それで本当に供養になりますか?みんな成仏できているんでしょうか?ずっと部外者の怨念が蓄積されているだけじゃないですか!!」

 あなたは興奮して、飲まずにいた飲み物を少しこぼしながら思いをおもいのまま訴えて伝えました。

「・・・・・・」
 杜下は考え事をしながらも、何も言い返せなかった。

「・・・申し訳ございません。つい・・・・・・」

 そう言って立ち上がり、玄関へと向かい立ち去ろうとします。振り返りながら
「本当にごめんなさい、杜下さんを責めるつもりはありません。じぶんは被害をまた拡大させるつもりもありません。叔父さんに次ぎ、あなたまで巻き込むつもりは・・・なので、先ほどの発言は撤回します。忘れてください。でもじぶんは、一人でも叔父の捜索と、この山の・・・村の『土着』に何らかの一石は投じたいとは思います・・・万が一、もしかしたらじぶんも”後始末”があるかもしれません。そのときはご迷惑をおかけすると思いますが、その際はよろしくお願いします」

 そう言ってあなたは杜下家を後にしました。


『心和』


 あなたは自分の故郷、里の因縁因果、土着、歴史を理解しました。教科書やインターネットでは知る由もない真実や事実は人の伝承、言い伝えから読み解くしかない。その代々伝わる長年の伝言ゲームすら、様々な人の主観や感情が含まれ全てをそのまま受け止めるわけにもいかない。特に組織的な”隠蔽”は世界中に蔓延り、都合の悪い出来事は隠されていく。

 今は誰に向けた怒りかも分からないが、強い心を持って立ち向かう勇気をもらえた気になり、怯えや不安は消えて、再度、例のRVパークへと戻りました。助けを得ることはできなかったが、十分な情報と収穫だった。



 今宵、あなたは眠らなかった。眠れなかった。恐怖からではない。方法なんてのは分からないが、対峙する気で例の『もの』を待っていた。

 今まで消極的だった自分から変えるしかない。あなたは人に偉そうに言えた立場ではないとこのとき自覚している。あなたも今まで、ここの土地の者となんら変わりはなかった。怯え、苦しみ、悲劇のヒロインを演じ助けられることが当たり前になっていた。何を期待し、誰の為のことだろう。その昔、この場所で逆恨みを抱きながら死んでいった僧侶たちと”すらも”なんら変わりはしない。そんなものが人間らしくて、他力で他責な自分に一番腹が立っていた。

「・・・・・・あの・・・すいません」

 急にすぐ横、運転席側のフロントガラスの向こう側で女性の声がしてあなたは驚いた。その勢いで持っていたペットボトルを軽く握りしめてしまい、少しだけ水が膝上に零れてしまった。

「ああっ・・・あ、はい・・・すいません。なんですか?」
 フロントガラスを開けてあなたは言いました。声をかけてきた女性はあの愛想のいい旅館の女将さんだった。

「ああ、ごめんなさいね。あの・・・良かったらでいいんやけど、今日うちに泊まっていからへん?なんや今日はノンゲストゆうてね、泊りのお客さんが全くいいひんのよ。今日からまぁまぁ冷えてくるけ、あんま良くないんちゃうかな思て」

「ああ、いえ・・・ありがとうございます。でも・・・」

「あ、料金はええよ。ここの車中泊分だけで。今日みたいなノンゲスの日だけで、一般の人には内緒やで。その代わり、食事やらなんもでけへんけど、よかったらやし。なんか、車のエアコンも付けてへんなぁって心配やねん・・・」

「ああ、はい。ガソリンの節約なんかもしていかないといけなくて・・・でも、本当にいいんですか?」

「うん、ええんよぉ。あたしが心配やぁゆうて、したらうちも人もええよぉゆうてくれたし。よかったら、おいでぇな」

「あ、ありがとうございます!」
 あなたは好戦的な気持ちと感情が一気に無くなった。女将さんの笑顔と口調で心の底のところが少し温められた気がした。


「自然」


 全てが木造の温かみがある建物で、木造軸組構法という木組みだけで作られた日本の伝統的な建築法、在来工法とも呼ばれている旅館でもあるので、雰囲気もあり昨今では日本人よりも多くの外国人が利用してくるそうです。しかしそれも今の情勢不安や自粛などの影響からか、利用客は激減しているらしい。

 しかし、そこから最近のキャンプブームにより、今度は日本人客が増えてなんとか立て直してきてはいるものの、それでも立冬から真冬にかけては毎年、お正月明けまで客足は少なくなるようだった。女将さんが言うには山が禁足地でさえなければ、山頂で初日の出を見に来るお客さんが増えるのにと少し愚痴も聞きました。

 あなたはずっと申し訳なさそうにしているからか、女将さんは気を利かせて
「建物ってのはね、人が住まなくなるとあちこち痛むのよ。不思議ねぇ。だから、ほんま気にせんとってよ」

 確かに少し聞いたことがあった。普通の鉄筋コンクリート造であったとしても、乾燥や過度な温度変化などで建築物は劣化していく。人が住み”手入れ”をしていかないと朽ちり易く脆くなる。

「分かりました。本当にありがとうございます、助かります」

「今日は湯もサービスしといたるから、清掃前にちょっとだけ入っていったん温まりぃ」
 そのお言葉にも甘え、早速、銭湯へと向かった。

 ゆっくりと疲れを癒しながら先ほどの女将さんの言葉を思い出す。
『人の手が入らないと痛む』

 これは建物などの物だけではないなと考えながら、肩まで少し熱めの湯に浸かる。田畑や山も同じだ。自然に任せたままでは荒れて雑草や害虫が繁殖し浸食される。言わば”雑になる”。川の流れも人の都合よく流れてくれるには人の手を加えなければならない。そして人間も同じだとも痛感していく。

『自然に戻る』

 この世の純粋なる自然とは、人のことわりになんか収まらず、厳しくていてそして優しくもある。その緩急こそが自然であり弱肉強食。人間が考えること全ては人間の都合でしかない。害虫だと言われる虫や、害獣とされている動物たちも、全て人間に都合が悪いだけであり自然界では当たり前の生体なだけなんだと。

 山も人も、自然へ、ありのままとは・・・・・・

 私たちが考える都合のいい純粋と、自然のありのままの純粋とは大きく異なる。本当の純粋とは残酷。時間も残酷に過ぎていく。時の流れが止まった物体は時間と共に腐り枯れ、灰と塵となる。それが通常なんだ。その過程に自分たちは生かされているにすぎない。

『おもどりさん』『戻り人』・・・・・・

 人間性とは、全くの不自然なことわりなのだろうか。そんな境界線に立たされた気分になりまた少し落ち込んで湯にのぼせていく。



「発見」


 翌日。
 昨夜はなんの異常も現象も起きなかった。拍子抜けしたのもあるが、あなたはこのまま何も起きないでもらいたい気分でもあるような、そんな気持ちのいい朝だった。女将さんが「食事はダメだけど」と言っときながら、こっそりと温かいおにぎりを二個とすまし汁を朝食として部屋まで持ってきてくれた。コンビニなどのお米とは全然違う美味しさと温か味を感じるのは、日本人である実感をも感じさせるおにぎりだった。

 今日、あなたはそのおにぎりを頬張りながら決心をした。ずっと避けてきた最終プラン、ルートだが、あなたが倒れていた場所から山に入ることを。無断だが禁足地に足を踏み入れようとする決意だった。墓地からの道に入るのはもう二回も”神隠し”のような事象に襲われたので、流石に気が引けた。そこまで分かり切った無謀なことはもうできない。山に正面も裏もないと思うが、反対側からで更にこの早朝からならなんとかなるかもしれない。何かに右腕を刺された痕を掻きながら、色んな感情に翻弄させられてきて感覚が鈍っていたあなたは、冷静ながらもどこか楽観的になっていた。

 女将さんに心からのお礼を言って、車を走らせた。女将さんはまた今夜も「おいで」と言ってくれて、なんだか帰る場所が出来たみたいでまた勇気が湧いてきた。自暴自棄ではなく必ず”生き残り”この件を解決をするという漠然としているが目標ができた。

 あなたが二度目に倒れていた場所は杜下家の自宅がある場所から一キロあるかどうかの所で、その周辺は山岳の沢沿いに作られた車道で民家などは全くなかった。白いガードレールの向こう側は小さな小川が流れている沢で、稀に釣り人が居るかどうかぐらいの場所だった。

 ちょうどその場所では車を停められる場所なんてのはなく、少し山を登った対向車とすれ違うために作られた広めの待避所に、あなたは邪魔にならないようにギリギリの場所で車を停めてそこから徒歩で山へ入ることにした。

 持参し担いでいるリュックには登山用の装備を一通り揃えておいた。水や簡易にカロリーが接種できる食料、ロープや方位磁石など。あくまでも念のため。この辺の山岳地帯ではいちばん標高は高いが、そんなに一般的には日本トップ三位とかに入るほどの高さがあるわけでもないし、見た目はただの普通の山だ。しかしこのように人の手が入っていない場所で一番気を付けなければいけないのは野生の動物と出会うことや遭難することだ。ここ一帯で熊や狼などの出現は聞いたことはないが、鹿や猪は居るらしい。鹿なども侮ってはいけない。子供を守るために立派な角を生やしたオスに敵対してしまうと命に係わることもある。

 周辺の木々の緑はほとんどは枯れ、足元には落ち葉が敷き詰められている。小枝を折りながら朽ちた葉を踏みしめて山を登っていく。



 そこはもうすでに禁足地とされている場所の範囲内だった。ずっとただの大自然が続いていたが、山頂にまで行かない、約二時間ほど歩いた地点で、そこには古びた人工物が数点あった。錆びていたり柄の部分がもう朽ちてしまっている使い物にならないようなスコップやピッケル。手押し車が点々とし、生い茂った木々が少し晴れた空間が出来ていた。

 意外な品に驚きながら周辺を探っていると、足を躓き、踏ん張る反対の足はズルッと滑ってしまい大きく転んだ。尻もちをつき痛みに顔をしかめながら、滑った足元を探ると鉄製のレールのようなものが出てきた。枕木などは殆ど埋まっていて所どころだけレールの上部が顔を出している。そこを踏みしめて湿気た落ち葉で滑ってしまったのだ。

 レールに沿って木々は切り倒された人工的な空間が左側へと続き、その先には縦十メートルほどの崖がそびえ立っている。大きめの洞窟がぽっかりと開き、躓き倒れたあなたを嘲笑うかのように見つめていた。

 その洞窟の内部にまでレールは続いているようで、掘られ、作られ、もう何十年も経っているだろう。切り崩したかような崖の壁面には苔や蔓のような植物が根付き、洞窟の入口には侵入禁止や立ち入り禁止の看板やマークが書かれている金網のフェンスが洞窟の上部まで組まれていた。

 よく見ると右下の金網は人が一人通れるぐらいにくり抜かれ、切られている。禁足地と言われている場所に人工的な洞窟とレールや掘削のツール類。違和感と矛盾しか感じなかった。この状態ならおそらく昔は炭坑かなにかだったんだと推察される。

 あなたは凄く躊躇した。この時期は多くの動物が冬眠しだすころだと素人でも分かることだった。こういった洞窟は彼らにとっては最高の場所だろう。
 しかしあなたの目的は叔父の救出であり、この中に居るかもしれない。この距離なら遭難するような場所ではない。最悪でもさっきの小川沿いに下山していけば嫌でも道路に面し、一日あればなんとかできるはずである。何者かは分からないが”なにか”から逃げていたり、追われていたりしているのかもしれない。そんな可能性がある限り。あなたの意思を止めることはできなかった。

 さっそく意思に反して、あなたの足はなかなか前には進まない。リュックから手巻きの手動で蓄電が出来る自家発電式の懐中電灯を取り出して

ジーーーー・・・ジーーーー・・・
と巻き、照らしながら前へじりじりと進む。

 切られ開かれたフェンスを潜り、洞窟へ入ると入口の直ぐ右の壁沿いに祭壇・・・といえば大袈裟だが、蝋燭や線香を立てる器や香炉を置くような机があり、そこには果物の芯や種の食い散らかしやチキンの骨のような残骸があった。リンゴか梨と思われるその芯は変色はしているが、それはまだ数日ぐらいしか経っていない状態だった。

 あなたは悩んだ。

《なにかがいる》

 それは叔父か、はたまたそもそも人なのか。それとも・・・・・・

 リュックから次は鉄梃かなてこ、バールを取り出し武器として構えながらゆっくりと中へ進んだ。

 すぐに異様な臭いがしてきた。外よりも風がなく少し温かい洞窟内で湿度も肌で感じ、まるで放置され続けた地下室のような雰囲気の中に誰かが食事の食べ残しをそのままにしているような、明かになにかが腐っている臭いだった。あなたは恐怖と異様な臭いの中、前方の奥にしかライトを向けれなかった。何かが飛び出して来たらおしまいだ。熊なら死を覚悟しなければならないが、それよりも例の『もの』のほうが謎な分、恐ろしかった。

ジャリ・・・ジャザッ・・・ぐにぃぃ・・・

 足音の感触が変わった。左足で何かを踏んづけた。大きめのカエルでも踏んだ感触で鳥肌が全身をゾワゾワゾワっと駆け巡る。

 ライトで足元を照らしてみると、そこには人の手があった。右手の手首から先だけが見えてつい

「ごめんなさいっ」

 と、反射的に日常で人の手を踏んでしまった時かのように謝罪を小声で呟いてしまった。
 すぐにそんなわけがないと気が付き、手をライトで照らし胴体へと辿る。手首から上部はもう肉の部分が無く、まるでスペアリブかTボーンステーキのように人間の手が骨に付いて残っている。あなたは震えながらこの手の持ち主であろう胴体を探そうとさらに辿る。

ジーーーー・・・ジーーーー・・・

 少し奥へと照らしていくと、服のようなものが血に染まり、肉片と骨と共に乱雑に散らばっていた。その服はあなたにとって見覚えがある服でした。赤と紺、黒などのチェック柄のシャツ。ベージュのスラックス。その服は間違いなく叔父が最後にあなたとこの山の反対側、墓場から登っていた時に着ていた服だった。叔父とあなたがなにかに襲われ、叔父だけが行方不明になったときの服装の一式と、ガタガタと恐怖で震えが止まらなくなるライトも前後左右に揺れながら、踏んづけてしまった手だけでなく足や腕、そして頭髪しか見えなかったが頭だと思われる部位も転がっていた。

 刹那、思考も身体も一瞬だけ一時停止していたが、服を一式認識してからそれが叔父だと確信し、肉片を見ては叔父は死んだことを把握してから、あなたは猛ダッシュで逃げ出した。足がもつれ転びそうになりながらもなんとか耐え踏ん張りながら走り出す。もしかしたらたまたま同じ服のなんらかの被害者かもしれない。こんな田舎だからショッピングセンターやモールなんて大型施設は無く、有名なチェーン店のファッションセンターが数えるほどしかない為に、洋服や靴が友人と被ることはよくある話だ。が、あなたは転がっている頭部を持ち上げて顔を確認するほど肝が据わったことは出来ませんでした。

 手にしていた武器であるバールは勢いでつい投げ出してしまい、懐中電灯だけはしっかりと握りしめ、僅かな蓄電による微かな明かりだけを頼りに出口へと向かう。ポッカリと開けた怪物の口のような印象となった洞窟の出口は、その明かりだけでも救済の仏が背負う後光のように眩しくも遠く感じた。手を伸ばしても到底届かない天国への入口のようにも思えた。

 奇しくも目が暗闇に慣れてしまっているため、眩しく視界が一瞬だけ把握できなくなった瞬間、あなたはまた気を失った。この時は気を失わされたのかどうかも分からず、恐怖のままフェンスを掴みながら倒れ込んでいった。



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