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【アボカド 002】 北陸・氷見にて目算なき旗揚げ━、くまなしアボカドプロジェクト!

東京都・非農家出身の移住者かつ新規就農者が、富山県氷見市を舞台に、ちいさいながら農を営ませてもらっています。ここでは、氷見市熊無にあるハウス圃場で、無謀にも熱帯果樹・アボカドの栽培をやってみようという、その挑戦と遊びの軌跡をお届けしていきたいと思います。

 2021年の春、富山県氷見市の中山間地域・熊無くまなしに立つ大きなビニールハウス2棟と出会ってから、早や丸1年以上が過ぎ、2022年の夏、放恣ほうしに伸び散らかす雑多な草木らに、小生は茫然とするばかりだった。

天幕が破けた上のハウスは、天水の恵みで雑草の勢いもご覧の通り。

 とはいえ、22年の夏まで、何もしていなかったという訳では決してない(熊無のハウスに対しては、有意で具体的なアクションが取れていなかったのは確かなのだけれど)。

 その間、藝術農民の拠点地である氷見市の「触坂ふれさか」という集落にて、耕作放棄地を開墾し、水稲栽培の経験を積むことなどに躍起になっていたのだ。

地域の子どもたちが手伝ってくれて、小生、勇気100倍。

 小生のような未熟な農民が無農薬・無化学肥料で水稲栽培に取り組む際には、第一に、地域の方々とのコミットメントが大切になってくる(と、強く思う)。

 基本、周りのみなさんは薬を使って栽培をされている。こちらは一切使わない。

除草剤は一切使わないので、水田の草取りはチェーン除草などを試している。

 地域のみなさんの農の日常には、太い背骨が通った文脈がある。ほとんど自動運転のようにして繰り返される、その農の営み。小生が「無農薬・無化学肥料」「循環型」と云々するのは、あくまでも小生の文脈で、地域のみなさんは、また違った文脈の中に生きているのだ。

 どちらが正しい、正しくない、でなく、ただ違った文脈がそこにあって、いずれの文脈も尊ばれるべきものである、ということだと思う。

 でも、移住してきた小生は、地域のみなさんの文脈に途中から挿入された、別立ての1章のようなものだ。

 だから、まずは小生の方から地域のみなさんの物語に愛着を寄せて、少なくとも、その文脈を暴力的にねじ曲げることのないように、静かに配慮していこうと思っている。

集落の奥にある耕作放棄された棚田。一枚一枚、再生させていきたい。

 ということで…、21年から22年の夏までの間、触坂集落の中でも、できるだけ谷の方にある田んぼを選んで開拓に精を出しており、そして、奥まったところの開拓には相応の苦労(と、それ故の喜びも)がつきまとう。だから、熊無のハウスの方には、手が回らなかったのだ。

 喋々ちょうちょう弁ずる、手付かずの言い訳。やれやれ。

露天スペースの様子。まさに、雑草の海。

 さて、長過ぎる前置きはここまでとして、ようよう、アボカド栽培予定地、熊無の話だ。

 2022年8月、まずはこの鬱乎うっこたる雑草の海、その荒ぶるを少しでも鎮めたもうて、人間の活動領域を拡大せしめるために、仲間たちと草刈りをすることにした。

 仲間のひとりに、氷見の若手起業家がいる。「移り住みたくなる宿 イミグレ」のオーナーだ。

 実は、このアボカド栽培の話は、彼からもたらされたものだった。

夜に撮影したもので恐縮(これしか手持ちが…)。でも、ラグジュアリー感は伝わるかしら。

 氷見の「食と景観」。

 その魅力を伝えるためだけに、この「イミグレ」という瀟洒しょうしゃなオーベルジュを経営しているという、彼の背骨も、太く真っ直ぐだ。

 そんな彼から、「北陸ではほとんど栽培されることのない熱帯果樹・アボカドを栽培したい」と声を掛けられた時は、驚きと共に不思議に思ったものだったが、今ならその気持ちが良くわかる。

 無謀と思われることだからこそ、そこを突破した時に広がる景色は、きっと愉快で面白い。

 この熊無で、万万が一、アボカドが生産でき、そうして、「イミグレ」のお客さんに楽しんでもらえるようになったとしたら。彼の掲げる“氷見の食と景観”の魅力はより一層高まることになるだろうし、そして、そういった未来の訪れは、氷見で農を営む「藝術農民」にとっても、大いに歓迎すべきことなのだ。

 さあ、その第一歩として、草を刈ろう。

仲間たちで、熊無の現状を視察。

 そうして、22年のお盆の頃、「くまなしアボカドプロジェクト」と称して、呼びかけに応じてくれた仲間たちとともに、作業を開始した。

 まずは、草刈り前の写真を幾枚か。

日を置くごとに勢いを増す草たち。クズも実に厄介だ。
地面の形が見えにくいほど、緑に覆われている。

 圃場に至る道も、草で閉ざされそうになっている。草管理すべき面積も、大変なものだ。

この奥に、ハウスの圃場がある。

 こんな有様だったところ、千里の道もなんとやらで、とにかく着手。まずは、圃場へのアプローチをすっきりさせよう。

道にはみ出す木の枝は、ノコギリで地道に整理していく。
クズなどの蔓性のものは、刈払い機に絡みやすい。
杉の植わった下の日陰エリアは、やはり荒地を好む笹が優位。

 アプローチの草を刈ったら、勢いそのままに、圃場内部の草刈りもどんどん進めていく。セイタカアワダチソウなどは、1本の存在感が大きいので、少し刈り倒すだけで景色が変わる。とてもやりがいがある。

地面が見えてきた…!

 途中で雨が降ってきた。みんなをあまり雨に打たせるのも忍びなかったので、お昼過ぎには作業を切り上げた。それでも、こうやって数人で作業に当たると、奇跡のように進捗する(普段、ひとりで作業することが多いので、心よりそう思う)。

 みんなに、大声で「ありがとう」を伝えたい。

みんなで作業すると、なにより、楽しいしね。

 作業後、どうだろうか。少しは景色が変わったように見えるかしら。

圃場へのエントランス。車も通りやすくなった。
下のハウスの周り。足の踏み場が、ある!

 こんな具合で、22年の夏の時点では、草との追いかけっけに振り落とされないように必死、というところなのだけれど、それでも、第一歩を踏み出せたというだけで、このハウス圃場との心の距離も縮まったというもの。

 心の距離を縮めがてら、小生は、この圃場に名前をつけてみた。

 「くまなしフォルツェーヨ」。

 宮沢賢治先生が好んだエスペラント語では、「温室園」を「フォルツェーヨ」と発音するらしい。だから、「くまなしフォルツェーヨ」。良い感じでしょう?

 それでは。

つづく。

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