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【宮古島帰省日記】Vol.10 | 義を見てせざるは勇なきなり。武士道精神の根幹に触れる。

武士道と云うは死ぬことと見つけたり。
生きる理由より死ぬ理由、引き際去り際の美を最も大切にした先人たちが好きだ。

義理人情と勇気を持ち合わせ、常に相手を憐む仁と礼、誠を尽くし、名誉と忠義に尽きる。
儚くも誉高い武士道精神に煌びやかな美しさはないのかもしれないけれど、確実に私の胸に高鳴る鼓動を感じてやまない。
そんな胸打つ脈たちに、この血が流れていることがとても誇らしく、同時に何に生き、何に死ねるかを問うてくる。


日本人はどの民族よりも繊細かつ感受性豊かだ。
でなければ他者を憐むことも、寡黙の中に苦しみを感じることもない。

また、日本人を表す風刺歌にこんな言葉がある。

米人の夫は人の前で妻に口付けをし、私室で打つ
日本人の夫は人の前で打ち、私室で妻に口付けをする

人の前で自分の欲を見せることのない日本人の冷淡な内側に触れた時、人としての暖かさを感じずにはいられず、時としてそれらを真似して模倣品として自らの首を絞めている人も中にはいる。

喜怒を色に現さず。

なんとも奥ゆかしい民族か。


今を生きる我々にとって、彼らは過去の遺産であり、彼らの紡いだ歴史の数々は変えることはできず、永遠に触れることのない幻でもあろう。

その幻の中にも1つ、現実がある。
我々の中に内在する「美徳精神文化」である。

日本人の穏やかさや和やかさ、寛容さといえば世界でも類を見ないだろう。おもてなしと現代では言われるものも、その一つやもせぬ。
しかし、それらは全て表面的なものに過ぎない。

その本質、それすなわち心を外的要因で動かされない美徳精神が武士道にはある。

先述した「冷淡な内側」ともつながってくる。
内在する精神世界の中に自分以外は介入できず、そこを動かすことが恥とする美徳があるのだ。

昨今の日本人を比べるに、優劣の有無はなかれど、幸福感を他者に押し付ける節を垣間見るところが多々あるが、先人たちにとってそれ自体無意味であり、恥ずべきことでもある。それが故、品性が磨かれているのは前者とも取れる。


克己。己に克つ。
そのために侍や武士は己を磨いた。

また、武士道は机上の空論ではなく、実践の中に生きる道だと理解しなければいけない。

あれをやればこれをやればではない。
何をやるべきか、それだけに焦点をあて、自らの生き方に品性を持ってそれを高める。その品の中に美しさがある。

その品性を高めることが目的であれば、抽象的な明大が若者の心を悩ますことはほとんどなかった。と云う。単に博学なだけで人の尊敬を勝ちうることができなかったのだ、と。


品性のある生き方、寡黙で実直、誠実な生き方。
それら全てを手に得ることは難しきけれども、それでもなお内在する武士の道に反することなく、死ぬべく死んでいくこの命を燃やし切りたい。

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