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経済学の入り口

 今朝はやや、昨日の入眠剤や抗うつ薬がいつもより効いて、ちょっとぼんやりしています。投薬は体調と相談なので、難しいですね。特に大きなストレスとかもなかったはずですが、久しぶりに調子が良くないです。 

 子どもが政治経済分野の授業で、需要曲線と供給曲線の学習をしているようです。
 ゼロを起点として、価格を縦軸、数量を横軸とする表?に表記されるグラフで、
・価格が下がるにつれて数量が増加する需要曲線と、
・価格が上がるにつれて数量が増加する供給曲線が書かれ、
・需要曲線と供給曲線が交わるところが、需給バランスの一致する価格、均衡点であり、
・ある商品の人気が高まれば、同じ価格でも欲しいと思う人が増えて、需要曲線が右側にシフトして、均衡点はより価格の高いところに動き、
・特定の農産物が不作で供給量全体が減るような場合は、供給曲線が左側にシフトして、需要は変わらない場合は均衡点がより高いところに動く、
基本的にはそうした仕組みです。
需給曲線は検索すれば、下記のような感じでいくらでも出てきます。

 ただ、上記のサイトに書かれているように、この理論がかっちり機能することはないわけです。
 もしあるとすれば、外部から隔離された孤島で、魚とパパイヤしか取れないようなところで、魚を釣ることを生業としている1人と、パパイヤを手に入れることを生業としている1人がいて、それぞれの必要量は一定であり、日々、2つの商品の物々交換だけで成り立っているようなシンプルな世界でないと、成り立たないと思います。

 需要サイドでは、商品の代替性があり、消費者の嗜好も変化し、価格が上がれば消費を減らすという行動もあります。
 供給サイドも、売れれば各社が競って類似品を市場に投入して値崩れすることもあり、独占状態で代替性がなく、依存性の高いたばこみたいなものは、需要曲線が垂直に近く、価格に税を上乗せしても、需要の減より収入の増の効果が大きいことになります。極端な例は、麻薬でしょう。

 また、社会の無数ともいえる変数がこの需給曲線に影響を与え続けている以上、固定された均衡点などあるわけがないし、そんなものを見ることもありえない、これはその通りだと思います。

 とはいえ、このへんはものをよくわかった人の理屈であり、最初から変数は無数にあるとか、どれぐらいのスパンを短期として、均衡点に収れんされる長期はどれぐらいかなどを議論しだすと、わけがわからなくなります。

 このミクロ経済学のイロハの先には、マクロ経済学があり、総需要曲線と総供給曲線から、財政政策と金融政策の効果、長期を見通す超人的思考を前提とした合理的期待形成の考え方、
 さらには、失業率と物価上昇率の関係とか、社会全体の需給曲線に、マンデル=フレミングモデルといわれる、二国間の貿易を組み込んだ、為替レートの固定と変動のパターン別の財政政策と金融政策の効果など、
応用の世界が広がっていますので、イロハのところは外部要因をすべて所与のものとして考え、その先の応用理論もやはり2つの変動要素以外はいったん、所与のものとして固定しないと、理解が混乱してしまいます。

 現実にはありえない理論を学ぶことを無意味と主張する人もいるようですが、社会で経済に関与する人の基本的知識には、こうしたベースが共通認識としてある、これは知っておいても損はないと思います。

 そこから、現実がその通りに動かないことの大きな外部要因を組み込んで、現象を理解すればよいわけですし、経済理論とは別なところで、政治が決まるわけで、政治は得てして不合理であるけど、経済学でいうところの長期を見通して現在の行動を選択するほど、人が行動するうえで考えるライフスパンは長くないので、政治はそちらに引っ張られがち、といったことを、理解していけばよいのだと思います。


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