慢性的失敗

慢性的失敗

勝負事を前提とした人生観が嫌い。
今まで勝負をしないで生きてきたから、決定的 な「点」としての失敗は全然ない。その代わり 慢性的な失敗 マイナスな雰囲気を全体的に帯びた人生である可能性はあるなーと思い綴ってます。

例えば、最終学年での部活の試合、そういうので勝った、負けたとかそういうのあるじゃないですか。なんなんですか?努力が必ずしも勝敗のためにあると考えている体育会の精神はどうにかした方がいいと思う日々です。私自身は個人競技の出身なんですが、個人競技で部内でその出場枠を争うこともしないし、競い合うのではなくて励まし合いながら努力してきたから、切磋琢磨な努力っていうのが全く理解できない。試合の日も、ベストタイムが更新されるのを目指していて、勝敗にそこまで執着していなかった。勝ったら嬉しいなと思いつつも、戦えるほどの競技力を持っていなかったのも事実。だけど運動や部活が必ずしも勝敗ありきのものじゃないことを前提に社会が運用されて欲しい。そんなことを最近思ってます。

タイトルにした慢性的失敗は、そういう「点」としての失敗はなくとも、日々の充足感の無さとかがあったりして、なんとなくマイナスな方向に向かっている感じです。あとあと振り返ればこれが失敗だったんだ...ってなるようなもの。友達作りとか、新学期早々なときって俯瞰的に自分の行動を見れないし、後に振り返るとわかることがある気がする。勝負事はしなくとも、こういう失敗は誰しも経験しそうだなっと思ってこれを書きました。

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