エクストリームデトックス

あらすじ

2019年前半は周囲に本当に色々なことがあって、だから自分的にも色々なことが起きて、色々なことを考えて、ちょっと疲れてしまっていた気がする。ので、7月末にプチ休暇をとって、少し遠くの山にある実家に行ってきた。夏の山で、めちゃくちゃ好きな場所にも行けて、リラックスした〜と思って帰宅。
の、後。
原因不明(お医者さんによると「飛行機でなんかひろったんでしょ〜。よくあるよくある」)の激しい症状に三日三晩苦しみ、最終的に病院で点滴をしてもらって人の形を取り戻した。救急車は呼んだら支払いができない…!という強迫観念の元、自分で運転できなかったけどUBERで病院に辿り着くことができたので本当によかった。UBERサンキューな!点滴うけたら数日ぶりに空腹を感じたしなんかもうなんていうの?世界が潤ってた!!脱水は危険です!!!色々出ていってるときは麦茶じゃなくてポカリを飲むようにと!!!言われました!!!!

で。点滴してもらった日に、思い出した。
そう、「思い出した」。あれだけ苦しかったこの数日の中にそれがなかったことにびっくりした。それは「痛み」。点滴されながらもスマホをいじっていたので、肩が凝った痛み。多分いい天気だったのにサングラスもかけずにいたことによる眼精疲労の目の痛み。ともなって、頭痛。エッ!?と思った。

とりあえず体調が底を蹴ったと信じ、四日目?五日目?時間の感覚が本当になかったのでよくわからないけど、そのくらいに職場復帰した。午前中は数日ぶりの運転と失った体力となんとかとなんとかとみたいな感じでまだゾンビみたいだった。職場に戻ると、自分がどんな状態なのかがより具体的にわかった。まず、椅子にまっすぐ座れない。パソコンの操作がよくわからない。人が何を言っているのかよくわからない。自分が言いたいことが言葉として錬成されない。次に何をしていいのかわからない。頭痛肩こりが戻ってきた時以上にびっくりした。

仕事をしているうちに、色々な感覚が戻ってきた。匂いとか、音とか、空気とか、温度とか。色とか、レイアウトとか、文字とか。マウスの使い方とか、言葉の作り方とか。その、感覚が戻ってくるという感じがものすごくおもしろくて、実はものすごく貴重な体験なんじゃないか!?と思ったのでここに残しておこうと思って今書いている。

1. 「今」を生きるゾンビから、現在過去未来のある人間へ

言葉にするのはとても難しいんだけど、なんでさっきまで私はこれに気づいてなかった…?っていう物事が、あらゆる方向で、あらゆる深度で存在していた。自分で言うけど、私は仕事が比較的早い方で、例えば緊急案件が発生したときは大抵私のところへ回ってくる、そういう感じ。でもゾンビでいる間、私にはそれができなかった。まず、言われていることを理解するのにすごく時間がかかる。何がわからないとか、そういうことじゃない。ただひたすらに時間がかかる。なるほど〜!って自分で思ってから、じゃあ何をすればいいのか?が意識に入ってくるまで、また時間がかかる。よし!ってなってから、今度はどうやってそれをすればいいのかがまたどっかに行っちゃってる。どうにかそれを探してきて、作業に入る。この作業がまた、時間がかかる。私はゾンビだから「なんで時間がかかってるんだろう?」とか思いもしないし、今が何時なのかとか、今日はこの後あれもこれもするから何時までにあれを終わらせて…とかを全然考えてない。ただひたすら、目の前にある「今」を生きてる感じ。とにかくそんな感じで、おそろしく時間をかけて一つ一つのタスクをこなしていった。

仕事をしているうちに体の方も回復してきたのか、次第に通常運転ができるようになってくる。そうすると、ついさっきまでの自分を振り返ることができるようになる。大げさに言うと、「過去」が誕生する。このあたりで「今日何をするにも時間がかかっている。やっぱり自分はまだ本調子ではない」みたいな感じのことを認識しはじめる。で、さらに作業を進めていくと、残りタスクや翌日、さらには翌週の予定なんかのことも頭の中で組み立て始める。「未来」がやってきた感。この頃になると「だいぶ調子が戻ってきた気がする」という気になる。

すごいなと思うのは、この、現在、過去、未来は全部繋がっていて、それらを観察したり検討したりしながら、予定を組んだり、組み直したり、さらに派生するいろんなことをウワー!って考えてたりすること。人間の脳ってすごいな!?やべ…みたいなことも脇で考えたり、ああ〜とうらぶが今イベント中だから時間見つけて貝集めなきゃ…なむあみ(最近始めました)もPUきてるけど今は…全部はむりだ…みたいなことなんかも考えちゃってる。脳すごくない?!やばいですわ。
とにかくそんなこんなで、現在過去未来のある人間へと戻ることができたのです。

2. でも…あれ?

数行前に書いた、なむあみ(なむあみだ仏っ!というアプリゲームです)を始めた関係で、ここ数ヶ月私は、仏教関連書籍を読んできていた。とっつきやすそうなコラム系辞典みたいな本から、もともとなんとなく見るのが好きだった仏像の本やインターネット、YouTubeにあった古いドキュメンタリーなどを経て、とりあえず原典を知るべきだな、と、今は「仏教聖典」というのを読んでいる。まだ途中なんだけど。今のところの理解だと、この仏教聖典というのは、前半のブッダの教えはたぶん原点だけど、後半の実践みたいなところにはいってくると、北方仏教の色が濃くなってきているような気がする。そこまでプロじゃ無いのでよくわからないですが。とにかく、そのブッダの教えのなかに、「世の中の全ての苦しみは、心が、それを苦しみとして認識するから苦しみになる。病も死も、自然現象であり、それを苦しみとするのは心である」「動物が苦しみを感じないのは、過去や未来に意識を奪われることがなく、ただ目の前にある今を生きているからだ」みたいのがある。

動物が苦しみを感じないのは、ただ目の前にある今を生きているからだ…

たしかに!?ゾンビ状態で目の前の事しか意識が行っていなかった時、私はなんの苦しみも不安も抱えていなかった。これ期限までに終わるかなとか、急がなきゃとか、あ〜これこの前失敗したんだよなとか、そういう事は一切考えていなかった。誰々さんの依頼の仕方腹立つしいつもわけわかんないよなみたいな、目の前に存在していないことも一切考えていなかった。ただ、凪いだ湖面のように、パソコンに向かってマウスをクリックしていた。図らずも、ブッダの教えを体感してしまったわけだ。

3. なるほど

そう思うと、もしかしたら他にも何か、そういうあれがあるのではないか…?と好奇心が出てくるのが人間。もうゾンビではないからね。他に忘れてしまっていたことについて考えてみたくなる。にんげんだもの。でも、意識のものというより肉体のもの(痛みとか)は、今回体調が本当にやばかったので体が優先順位を落としたんだろうと言うことで省略する。

というわけで、感覚。色は、ずっと薄暗い部屋の中でうんうん唸ってたからというのもあるかもしれないけど、病院に行った日、空が快晴だったのかどうかを、全く思い出すことができない。私は広い景色を見るのが好きなので、ゴミを捨てに出る時であっても、外に出るときは意味もなく空をチラ見したりするほうで、いい天気だなあとか、青いなあとか、夕焼けが綺麗だなあとか、思ったりする。病院に行った日、UBERの窓から外を見ていた記憶はあるけど、どういう色だったのか全く思い出せない。
ゾンビ勤務を始めた時、ようやく色の存在に気づいたのだと思う。仕事内容はグラフィックデザインなので、色が認識できていなかったらとんでもないことだ。休暇前にやり残していった自分のファイルを開いて、眺めた。最初よくわからなかったものが、ゆ〜っくり頭の中に入ってきて、だんだんわかるようになっていった。

なるほど。

インターネット上に、あなたの目がどの程度の色を見分けられるかみたいなテストが存在しているのはご存知だろうか。こういう感じの。探せば出てくると思う。
https://www.buzzfeed.com/ajanibazile/which-colors-can-you-see
要するに、そう言うことなのでは…?色盲など、機能的な要因ではなく、訓練されているかどうかによって色が見えないことがあるのでは?私は人並みの脳しか持っていないので、同じ脳でもゾンビの時には見えないことが、人間になったら見える、と言うことなのではないでしょうか。

まとめ

なんか疲れてきたのでまとめることにする。一度ゾンビになってから人間に戻った時のほうが、感覚が鋭くなっている気がする。おそらくこれも一時的なものだろうと思うのでどのくらい続くのかわからないけど、今日、校正作業をしていて思った。今まで見落としていたようなところを見つけることができた。これが、感覚が鋭くなっているからなのか、ゾンビから回復したがゆえに一つ一つの工程を意識するようになったからなのかはわからない。でもラッキ〜!て思った。
それから、まだ胃腸が回復中なのでこれもよくわからないのだけど、ポテトチップスが食べたくて仕方ない時にりんごを食べたら、マイボディ氏が「欲しかったのはこれですよ」とか言ってくるという事があった。欲しいものは素直に言ったほうがいいよ。私空気とか読めないほうの日本人だから…って思った。

とにかく、最終結論は「健康って大事!」「脱水は怖い!」に尽きるけど、今回のこのエクストリームデトックスは、肉体だけでなく、マインドのほうにも効いてるのかもしれないなと思った。休暇から帰ってきたあとも、あれだけ私を追い詰めていた様々のものが、今は一時的だろうけど姿を消している。
もしかしたら、私を追い詰めてくるものなんて本当は無くて、自分の影に怯えてるなんていう、ベタな笑い話かもしれないよね。生きるって、きっと本当はシンプルなのだと、今回のエクストリームデトックスを経て思った。まやかしは消えた。私の一部とともに…(トイレに)(最低)。

以上!

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