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寝落ちスパイラル脱出大作戦

 寝落ちに次ぐ寝落ちを繰り返していたら、年末を迎え新しい年を迎えていた。

 子どもを寝かしつけるとき、子どもにとって最高と思われる寝心地を寝床にエンチャントしておくわけですが、そうするとつまり、「寝」を見届ける我々も寝心地に襲われ、エンド・オブ・デイする。

“ミイラ取りがミイラになる”という言葉を残した先人に「学べや!」と張ったおされそうだけど、抗えない日々はつづく。

 寝落ちしなかった場合にやりたいことはたくさんある。
 noteを更新する、手帳を開いて一日の振り返りと明日のタスク整理をする、子ども絵日記を描く、お菓子つくる、おもちゃを工作する、M-1を観る、等々……

 ただもどかしいばっかりかというとそうでもなく、やらないならやらないで「まあいいか」と思える“やりたいこと”があることに気づく。ちょっと心が軽くなる。
 眠たいのなら寝てしまってその分明日も元気に生きる! ということ以上に必要なことあるか? と思ったりする。余暇だけが生きてる意味ではなかろうに。

 でも好きなことやれる時間も大切なのである。それはなんというか、自分の「好き」や「心のふるまい」を見つめる時間だ。そういうのがないと、どっかで自分がいまいる場所がわからなくなって精神が不安定になる瞬間が訪れるように思う。
 なので、寝落ちしたらもどかしいし、たまに寝床から生還したらここぞとばかりに夜更かししてしまい翌日のパフォーマンスは劣悪、その日の夜の寝落ち率は100%となりくちゃくちゃになる。

 欲張らないのだいじ。でもたぶん無理。きっとまだまだ同じことを繰り返し続ける。そのうち、夢の中でやりたいことやりゃあいいじゃん、という境地に至るんだろうなと思うし、いま書いてて「あっ、それいいな」と思ったのでそうします。

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