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映像表現における『雨』の秘密。

こんにちは。
最近雨が続きますね。

私は昔から、雨に異様な興味がありました。雨というのも現実に降る雨ではなく、とりわけ映像表現における雨です。
雨に興味を持ったきっかけは『レミゼラブル』というミュージカル作品です。エポニーヌというキャラクターが好きで、彼女のメインとなる曲は決まって雨模様が描かれているんです。私の中で、エポニーヌが雨の中に佇んでいる絵は必然的なのですが、ふとなぜ彼女は雨の中にいる必要があるのだろう...と疑問に思いました。
舞台上で雨は降らせることはできませんが、この作品は映画も展開しているので、現実的に雨が降っているシーンを見ることができます。そして、そのシーンを見るたびに、この他の映像作品も雨のシーンについて、"何故そこで雨が降るのか" を論理的に説明できれば面白いなと思いました。

そこで運命的な本と出会いました。

これがもう、はちゃめちゃに面白かったです。今回はこの本を読んで、私なりにまとめたことを書いて行きたいと思います。

まず自分なりにこの本をまとめて、雨が降るシーンを大きく4パターンに分類しました。

( ※ 言葉などはこの本からお借りしている表現もありますが、この本の要約と言うよりかは、完全に自分の中で噛み砕いて発信しています。また、様々な作品を例に挙げますが、致命的なネタバレは避けて書いているつもりです。しかし、どうしても結論を述べないと語れない部分があるので、結論はなるべく詳細を述べないような形で書いています。気になる方はその点ご了承ください。)

【 1 】  外界との遮断 ----- 新海誠 『言の葉の庭』

 一番多いのがこのパターンです。あれです。駅でよく別れるカップルがキスしてたりするじゃないですか。あのように、公共の場でも自分たちのことしか考えられなくなり、周りの環境や他人のことはどうでもよくなって個人の世界に没入してしまう時。映画やドラマではよく雨が振ります。個人的には他世界の消去とも呼んでいます。

 新海誠監督の『言の葉の庭』を例にとります。主人公の男女が偶然に雨の日だけ庭園で会う物語です。タカオは高校に行くのが憂鬱で、雨の日の午前中だけ庭園へサボりに行きます。靴職人になるのが夢で、公園で靴のデッサンをしています。「靴を作ることだけが俺を別の場所に連れて行ってくれる」というセリフがあり、靴を作ることが彼の生きがいである様子が見てとれます。ユキノは職場で嫌なことがあって仕事をサボって庭園にいます。雨の日だけ2人で庭園で会い、そこが2人の安らぐ時間になっているのです。そしてこれがまさに外界の遮断です。高校をサボること、会社をサボることは、まさに社会や団体における自分の地位への断絶であり、雨はこの断絶を表現しています。周りの世界はどうでもよく、自分の世界に、自分たちの世界に没頭していきます。
 冒頭にあげた『レミゼラブル』のエポニーヌのシーンもジャンルは違えどこの分類です。彼女が雨の中で歌う曲は「On My Own」と「A Little Full of Rain」の2曲あるのですが、後者はレミゼを知らない人にとっては壮大なネタバレ曲になるので「On My Own」を解説します。この曲はエポニーヌという女性が叶わないマリウスへの恋心を歌っています。

歌詞を一部を以下に引用しますが、説明するまでもなく、まさに外界の遮断そのものを表現しています。

On my own pretending he's beside me
All alone I walk with him till morning
ひとりきりだけど彼が隣にいてくれるようで、
朝まで彼と一緒に歩くの。
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In the rain the pavement shines like silver
All the lights are misty in the river
In the darkness, the trees are full of starlight 
And all I see is him and me forever and forever
And I know it's only in my mind that I'm talking to myself and not to him
雨に濡れて道路が銀色に輝き、
光が川に映って妖艶に見える。
暗闇の中木々は星明りで光っていて、
見えるのはずっと彼と私だけ。
だけどそれは自分の心の中だけのことだってわかってる。
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Without me his world would go on turning
A world that's full of happiness that I have never known
私がいなくても彼の世界は周り続ける
この世にある幸せは所詮、私の手の届かないものだから。

ただ、この歌詞でも見てわかるように、前半はいるはずもない彼が近くにいる妄想をして完全に外界を遮断しているのですが、後半はそれが妄想であり絶対に叶わないことを受け入れているんですね。
雨の表現もその通りで、曲の前半は雨の中立ちすくむのですが、後半は屋根の下に入り、雨を受けなくなります。さらに言うとここでは雨音も聞こえなくなるんですよね。エポニーヌが現実世界と向き合っている証拠です。しかし、最後の歌のクライマックス、また雨音が聞こえてくるんです。結局はまた外界を遮断し、分かっていてもマリウスのことが大好きなエポニーヌの切ない思いを最後で猛プッシュしています。
この細かすぎる心情を雨というコンテンツ1つでここまで表現できるとは脱帽です。はぁ、切ない。

さて、エポニーヌは雨が降り続くのですが、先ほど挙げた『言の葉の庭』は梅雨の時期の話で、いずれ梅雨は明け雨がやみます。
雨降りの後のストーリーの持っていき方は「ハッピーエンド"+"の方面」か「バッドエンド"−"の方面」かの2パターンあって、それぞれで雨がやんだりもっと強く降ったりします。考えられるパターンを形式的に書き出すと以下のようになります。

ハッピーエンド(+):雨がやむパターン ...①
ハッピーエンド(+):雨がやまないパターン ...②
バッドエンド  ( − ) :雨がやむパターン ...③
バッドエンド  ( − ) :雨がやまないパターン ...④

①はハッピーエンドで雨がやむパターンで、一番スッキリする、イメージしやすいパターンです。外界との繋がりを取り戻し、社会の中での自分の立ち位置などが明らかになります。
②はハッピーエンドだけど雨がやまないパターンで、これは社会とそこに馴染めない自分を受け入れ、それでも生きていこうと、自分の生き方にある種踏ん切りがついた時、このような終わりかたになります。『言の葉の庭』の2人もこのパターンであり、おそらく同じ新海作品の『天気の子』もこのパターンに分類でるのではないかと思います。
③はあまり該当する作品が見当たらないのですが、あるとすれば、社会の中に引き戻されたのに、結局自分の立ち位置を見つけられない、そんなパターンでしょうか...。
④はバッドエンドで雨が止まないパターン。まさに、外界と遮断された世界にこもったまま、その脱出方法も見つけられず実に悲劇的です。『世界の中心で、愛をさけぶ』の名シーンなどが該当します。下の動画の1分55秒のところです。

(余談ですが、行定監督は本当に雨を綺麗に使う監督で、『世界の中心で、愛を叫ぶ』未見の方は是非見てみてください。あと『ナラタージュ』などもガチでお勧めです。)

【 2 】  新たな世界を開く -----  グレタ・ガーウィグ 『ストーリー・オブマイライフ / わたしの若草物語』

 次に考える雨降りシーンは、先ほど挙げた【1】の真逆です。雨が降っている時が外界を遮断している【1】に対して、雨が降っている時こそ、外界とのコミュニケーションをとっているのがこの【2】のパターンです。つまり普段から外界(作品によって、他者や社会やコミュニティーなど色々ありますが...)とコミュニケーションせずに自分の中だけで生きていて、雨が降った時に、その外界と繋がる、と言うような心の動きを雨で表現しています。

『ショーシャンクの空に』の雨シーンは説明いらずの名シーンだと思います。主人公のアンディが殺しの罪で無実を訴えるも刑務所に入れられ、なんやかんやあり、そこからの脱獄劇を描きます。脱獄に成功したタイミングで雨が降るのですが、これは、今まで刑務所にいて外界と遮断してた自分が、脱獄を成功させたにあたり、世間と繋がりを持つことを可能にしたことを意味しています。これはすごくプラスの意味で使われている雨です。
他にも、現在公開している『ストーリー・オブマイライフ / わたしの若草物語』にも同じような雨シーンがあります。

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主人公のジョーは結婚よりも小説家になるという仕事を追い求めていて、男の人の前では女を見せません。しかし、自分の価値観を180度変え、女になるタイミングで雨が降ります。自分の殻に閉じこもっていたのが、オープンする、外の世界で新たなコミュニケーションを構築するタイミング、まさに雨降りのぴったりのシュチュエーションです。

上にあげた2作品はハッピーエンドの、プラスの意味の雨ですが、マイナスの意味での雨もあります。

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『野ブタ。をプロデュース』。この作品はドラマが有名ですが原作があります。芥川賞の候補作までになった純文学です。(※ちなみに、私はまだ本は未読であり、藤掛氏の言葉を超おかりして、お話ししています。ご了承ください。)主人公の修二は高校生で、クラスの人気者です。しかし、それは本性を隠した着ぐるみを被った姿で、完璧な自分を演じることでその立ち位置を維持しています。ドラマを見ている方はこのあたりのニュアンス、よく分かるのではないでしょうか。
雨が降るタイミングは、そんな修二が着ぐるみを脱ぎ、自分の本性を晒した時です。周りに本当の自分を見せず(ある種の外界の遮断)、上手く立ち回っているときは晴れており、外と本当の意味で繋がろうとしたとき雨が降ります。もちろん、ハッピーエンド的な意味で使われているシーンもあるのですが、ドラマにはない、バッドエンド的な意味で使われているシーンもあ流みたいなので、よろしければ読んでみてください。私も読みます。

【 3 】  浄化と再生 ----- 幸田もも子 『ヒロイン失格』

そもそも、雨についてこのようなnoteがかけるのも、雨自体にものすごく魅力があるからで、雨はとてもイメージが膨らみやすいコンテンツなのです。その理由として、まず雨は日常において普遍的なものだと言うことが挙げられます。例えば「雪が降る」と聞くと、北海道民は具体的にイメージできて、東京都民はあまり具体的にはイメージできない人が多いのに対し、「雨が降る」は比較的どの地域の人も簡単にイメージできると思います。また、そのイメージにも両義性があり、例えば洪水などに付随して出てくるようなマイナスのイメージがあったり、草木や農作物を育てるというプラスのイメージもあったり。さらにそれに伴って降り方のバリエーションも多く、「ザーー」という擬音があるかと思えば「♩ぴちぴち、ちゃぷちゃぷ、ランランラン〜」という擬音があったりします。
またそのイメージは季節や時間の経過によって変わってきます。だから物語にもいろんな形で落とし込みやすいですし、逆に物語にも成り得やすいのです。

そして、ここで述べたい雨のイメージがこんなにも多様な特徴は、身体的感覚を伴うことです。雨に濡れるとベタベタしますし、ジメジメします。そして時には暑くなったり、寒くなったり。そしてこの身体感覚は映像表現においてもうまく利用されていることが多いです。
先ほど挙げた『ショーシャンクの空に』もポスターなどは雨を全身に浴びている身体的表現を前面に出したものなのですが、この身体感覚の表現が何を意味するのかといいますと " 再生 " です。

松村北斗さん。今やSixTONESでデビューして、人気絶頂だと思いますが、そんな彼がまだデビューしていない時、『黒の女教師』というドラマで以下のようなシーンがありました。(第9話)

「水は、苦しみを流すんだって。 だから、雨が好きなんだ。」と言うセリフの通り、雨には、体感的に水が身体をつたうことによって、自分の現在持っている苦しみや悲しみや、また過去の出来事などを浄化し、再生するという意味合いがあります。
この苦しみは恋愛関係が多く、基本恋愛ドラマで出てくるいい感じのタイミングで降る雨はこの"再生"が多いです。

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映画『ヒロイン失格』では、ヒロインのはとりが想いを寄せる彼、利太にフラれた後に「こんなドラマティックな演出いらないし」と皮肉めいた発言をし雨が降ります。そして、この雨が降るなか弘光くん(はとりに片思いしている男子)がはとりを探して見つけ出し、抱き寄せます。はとりはそれを受け入れることによって、利太が全てだった今までの過去に決別し、新たなスタートを切ろうとします。原作でもこのシーンは登場しているそうなのですが、恋愛ドラマにおける浄化と再生の典型的パターンです。

【 4 】  雨自体にフォーカスを当てる ----- ジーン・ケリー『雨に唄えば』

今までみてきたものは、雨の描写における、人々の心の動きでしたが、人の心の動きよりも、もっと雨自体にフォーカスを当てた表現というものもあります。例えば、映画『グランドイリュージョン』。主人公のアトラスが人々が集まる中で雨を止めるイリュージョンを見せます。

この雨は主人公のアトラスのマジックを成功させたい願望だったり、何らかの悲しみだったり、まあそのようなことを表現していると言っても筋は通るのですが、しっくりきません。強いて言えるのであれば、普段操ることのできない、そういう神的な要素まで操れてしまう自分の力の誇示(ある種【1】の外界の遮断)、というようなところでしょうか。ただ、これは主人公の心の動きの表現、というようなものではなく、ただ画面をエンターテイメントに構成する一部の要素を担っているだけのように見えます。つまり雨自体にあまり文学的な意味を持たないのです。もう一例出します。

この作品もみなさんお馴染みだと思うのですが、映画『雨に唄えば』も雨という要素をうまくエンターテイメント化しています。主人公のドンは恋に盲目になり【1】の外界の遮断的な意味合いも含まれているのですが、傘や水たまりなど、空から降る水という以外の雨要素以外もふんだんに利用されており、雨をうまくエンターテイメント化しています。

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以上4パターンが私の考える雨についてです。

どうでしたでしょうか...??
私が過去に見たことある作品からの考察なので、作品に偏りがあり、熱量にも偏りがあったかと思うのですが、堪忍ください。

今公開中の『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』も面白い雨の使い方をしていたので、興味のある方は是非。1作品でこんなに沢山の意味合いで雨を使う作品は珍しいのではないのでしょうか、と言うような感じです。個人的にこの監督苦手なので、いい作品かどうかは判断しかねるのですが、見終わった後、シーンごとの雨の意味を考えるのに、頭フル回転でした...(笑)。

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おまけ

最後に。

これを曲などに落とし込むと、本当にさらに面白いんです。

SixTONESの『Imitation Rain』は上の4パターン全てが考えられます。
MVを見ていただいたら【4】は明らかで、"Piece of mind is shutting down(心が閉ざされていく)"と言う歌詞から【1】外界の遮断も想像できるし、そもそも雨は現実ではなく心に降り注いでいることから【2】新しい世界も想像できるし、"戻れないとき・時間を止めて"などのワードが出てくるように、過去に何かあったことを暗示しているために【3】浄化と再生の意味を考えられるし。

逆に、わかりやすい曲もたくさんあります。

宮迫さんの『雨あがり』の雨は明らかに【3】の再生です。このサムネイルの字体を見るだけで、曲を聞かずともどんな曲なのか想像できる気もしますが、みんなの雨へのイメージがわかりやすく一致できる曲の代表格だと思います。

つまり、映画もドラマも本も曲も、雨の降りかたは本当に多様でめっちゃ面白いよ!!と言うことが伝えたかったです。

それぞれ、考察のしがいがあり作品によると個人で経験してきた人生経験によっても大きく解釈が分かれるものもあると思うので、色々議論したいところですね...(笑)

誰か、議論する機会があったら呼んでください!(笑)

以上です!

長々と読んでくださりありがとうございました!

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