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徳があると思った人と『論語』

幼少の頃から接して来た人の中には、徳を思わせる人が何人もいる。どういうことに徳を感じてきたのか改めて自分の経験から書いてみた。

徳を感じる人は、先ず他人に対して威圧的ではない人だった、恫喝する人は論外。雄弁な人よりも言葉少ない人に徳を感じた。目から鼻に抜けるような賢い人よりも一見、愚かに見える人に徳を感じた。人に対して差別的でなく、公平な人の方が徳を感じる。利己的な人よりも思いやりのある、やさしさがある人がよい。そういう人に心地良さを感じる。狡猾巧妙な知恵のある人より不器用で物欲を感じさせない人に徳を感じる。だからといって、苦労人や善人に見えるが何か嘘っぽい人がいるとも思う。自慢話ばかりする人に徳は感じない。活発な人よりは穏やかな人に徳を感じる。

自分のことはさておいて、自分の経験から得られた徳のある人のイメージなのだが、こういう経験的な徳人像と、長年構築されてきた聖人像とはどれほど同じものかが気になる。そこで『論語』が云う仁者を見てみたくなった。()内の意訳は『仮名論語』(伊與田覚著)を参考にした。

・巧言令色鮮なし仁。 (言葉を飾り、よい顔色をする者には仁の心は少ない)
・君子は争う所無し。
・君子は言に訥にして、行に敏ならんと欲す。(君子は、口は重くても、行はきびきびしようと思う)
・顔淵曰く、善に伐(ほこ)ること無く、労を施すこと、無からん。(顔淵が言った。「善い行いをしても人に誇ることなく、苦労の多いことを人におしつけないようにしたい」)
・知者は動き、仁者は静かなり。(知者は活動的で、仁者は静寂である) 
・疏食を飯い水を飲み、肘を曲げて之を枕とす。楽しみも亦其の中に在り。(粗末な食物を食べ、水を飲み、肘を曲げて之を枕として寝るような貧乏生活の中にも楽しみはある。)
・君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。(君子は、誰とも仲良くするが、調子を合わせることはしない。小人は、うわべだけ誰とでも調子を合わせるが、心底から仲良くしない。)
・剛毅木訥、仁に近し。(恐れずに立ち向かい、苦難に耐え忍ぶ強さがあり、質実で飾らず、口数が少ないならば、仁に近い。)
・子曰わく、吾回と言う、終日違わざること愚かなるが如し。退いて其の私を省みれば亦以て発するに足る。回や愚ならず。(師が言われた。「私は一日中顔回と話していても黙って聞いているだけで馬鹿のようにみえる。しかし彼の私生活を見ると、却って教えられることが多い。回は決して愚かではない。」)

こう見てくると、経験から感じた徳のイメージと孔子が説いた君子像にそれほどの違いを感じない。私のように論語を高校の漢文の授業で学んだだけで、日常の生活では全く論語とは縁のない生活を過ごしてきたので、私の徳のイメージは、日常の経験から得られたものと思う。論語を読んで見ると、合点がいく記述が多いのも、読者のイメージが本にあり、論語がそれに一致するからである。そう考えると、孔子は、何も無いところから全く新しい理想像を作り上げたのではなく、ごく普通の人が思うようなイメージを究極的に見極めて、追求し、自ら実践したところにその偉大さがあると思われる。偉人の思想は、私のような平凡な人間とも遠くない、意外と身近な所から生まれている。




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