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寺院の壁の言葉から

雑司が谷霊園近くの道を歩いていたら、「過去を悔いて、未来を心配して、今を忘れている」という言葉が目に入ってきた。さらに見ると真宗寺院の壁の掲示だった。

過ぎ去った過去は実体はない、未来も未だ来ていない、空虚なものと空虚なものの間にある今も一瞬のうちに過ぎ去っていき、虚しいものものだ。今の何を忘れているというのか。今の空虚を忘れているというか。

悟りに至っていない自分には、この言葉は、過去のことにくよくよせず、先のことを心配しないで、今をしっかりと生きろというのだろう、という意味に解釈するのが、一番シンプルな気がする。

過去と未来には実体がないというのは正しい。現在だけが実体である。ただ、過去はくよくよと悔やむばかりのものでもないし、有意義な過去がある。未来も悩むばかりではなく、希望のある未来がある。過去は蓄積で、未来への資源だ。未来はこうしたいという意思が作る設計図である。現在は、過去を踏まえ、未来を思い描く時間であり、今だけが、人間が思い考え動いて生きていられる時間である。

寺院の壁にあった「過去を悔いて、未来を心配して、今を忘れている」という言葉が、いつしか私の心の中で、「過去を大切な糧として、未来を明るく思い描いて、今を生きる」という言葉に変わっていた。


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