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明治時代の判じ物のような姉からの手紙 佐々木家奉公の事

母の実家に残されていた手紙で、田中家の長女から次女まつに出したものである。複数の手紙から、田中家は、長女、まつ、はる(祖母)、かつの四姉妹だったと推測する。

手紙の内容は、判じ物のようでわかりにくい。岩田さんが祖母たちが奉公している佐々木家に女中の件で電話をしたことが騒ぎの発端である。推測するならこういうことだろう。

昨晩、父(田中平吉)が玉子屋の忠さんからこんな話を聞いてきた。

「橋本さんから電話で聞いたのだが、岩田さんが小川丁(町)の佐々木さんに『女中は要りませんか』と電話したら、奥様から『手前どもは要りませんが、本郷の佐々木さんで一人ほしい』と言っていたという事です」

手紙にある「小川丁の佐々木さん」は、神田区西小川町1-3の佐々木慎思郎宅であり、「本郷さん」とあるのは、本郷区弓町2-19の佐々木勇之介宅と思われる。(人事興信録)

平吉は、どうして岩田は女中が要るか尋ねたのだろうと不審に思ったが、翌日、長女は、佐々木家に奉公している次女まつに手紙を書いた。

「昨日お宅(佐々木家)へ岩田さんから電話があったか、何で岩田さんが電話をかけたのだろうか、おかつにも上から何か話しがあったか、早速手紙で知らせてほしい。岩田さんはあまり心のよくない人だから何か気味が悪い」という。

岩田から佐々木家への電話の出来事が、橋本→玉子屋忠さん→父親に伝えられて、長女からまつへの手紙になった。

岩田は、就業あっせん仲介のようなことをしていたのだろうか。はると共にまつとかつも佐々木家に奉公をしていた。姉妹で奉公している佐々木家の勤め人のことなので、ちょっとした騒ぎになったようだ。

この手紙に続きがある。
次に私が7月に参上する時には秀吉を連れていくのでしょうか。猶また、お頼みですが、6月の入梅より3日目の梅を3粒お取り下さいますようお願いします。この手紙は、松本さんよりお越しになると、上に悪いので、あまりに勝手がましいことではございますがご承諾ください。

秀吉が分からないが、長女の出産したことが分かる手紙(明治34年11月9日、まつからはるに)があるので長女の子だろうか。

松本は、近所の日本橋区田所町19の松本こと子の実家であろう。「松本さんより御越し候」が分からないでいるが、強いて考えれば、松本家から奉公に行く話が進んでいる時に、岩田から佐々木家に奉公人について問い合わせがあり、素知らぬ風に奥様が不要と答えた。田中家では、松本家の奉公に支障が出ることを心配したのだろう。

本文(仮訳)
一寸御聞申候 昨日御宅へ岩田さんより電話機(掛)り候哉 此の事に付昨晩父事玉子やの忠さんより承り候處 「今日、橋本さんの電話にて 岩田さんが小川丁の佐々木さんへ女中はいりませんが(か)とかけたらば 奥様の程てしたか『手前ともはいりませんが、本郷さんで一人ほしい』との事」と忠さんの申したが なんて岩田さんが電話をかけたか おかつさんに上よりお話してがありましたか 早速手紙にて御知らせ被下度候 就而岩田さんはあまり心のよくない人故何分きびがわるく候

次に私事七月参上致し候時秀吉をつれるんですか猶又御頼みてすが六月入梅より三日目の梅を三っ粒御取被下度願ひ升。

此手紙松本さんより御越し候と上へわるいからあまり勝手かましき程には御座候へ共御聞済み被下候

おまつさんえ       姉より

姉からまつへの手紙

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