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読書感想#20 【黒川紀章】「行動建築論」

 人生百年時代といわれるように、人間の平均寿命、そして健康寿命というのは、先代までと比べてかなり伸びました。そしてそれと同じくして、私たちの住む住居というものも長寿になろうとしています。しかしここで起こりやすい一つの誤解があります。それは建物は一旦作ってしまえば、後は五十年なり六十年なりそのまま使えるという風に思ってしまうということです。建築は本来、完成したその瞬間から変化し始めるものです。即ち建築は不動産ではなく動産なのです。

 この変化というのは例えば一つに、部品が耐用年数に達して交換される場合があります。この場合の変化というのは全体が同時に変化するというものではなく、骨組みのように比較的長寿なものから、設備のように小まめな整備が必要なものまであるように、それぞれに応じてタイミングが異なります。しかしてコンクリートが六十年持つと仮定することと、建物そのものが六十年持つと仮定することとを混同してしまえば、大変なことになるのはいうまでもありません。ある部分はまだ綺麗なのに、ある部分は既にボロボロで、またそのボロボロの部分を取り替えるためには綺麗な部分も一緒に取り替えなければいけないというような、いわば変化という概念を捉えた故の弊害は、程度の差こそあれ実際に起こり得る事件です。


 本来変化しやすい部分というのは、取り替えを前提に考えておかなければなりません。取り替えを前提に、というとあたかも販売戦略のようにも聞こえますが、実際人間が新陳代謝を必要とするのと同じような感覚で、建物も新陳代謝を必要とするのです。むしろ建物の耐久性が延びるということがメンテナンスの不要を意味するという風に捉えるなど持っての他でしょう。もちろんあえてこの無理難題に挑もうとする趣を否定はしませんが、本当に建物を長く持たせようとするならば、私たちは決して時の流れと闘うのではなく、むしろ時の流れに対応していくということが大事になって来ます。即ち時期相応の修繕は不可欠なのです。これは決して技術者に対する甘えではありません。本来、壊れないという前提こそ可笑しな話なのです。


 そしてこの場合の変化というのは、建築を構成している材料だけに限られるのではありません。建築の空間も同じように変化していきます。生活様式の変化、家族構成の変化、社会構造の変化、これらに応じて変化出来るよう、私たちはあらかじめ想定しておかなければなりません。


 建築は畢竟、動的なのです。動的な建築とは即ち、激しく変化していく社会情勢に適応することが出来る建築のことです。ここでは最終的な形というのはどこまでも変化に対応出来るように考えられていなければなりません。即ち完成した建築の姿というのは最終的な形ではないのです。建築の形というのはいわば運動や変化の連続です。そしてこれは畢竟、建築家にとっては完成を使用者の手に委ねるということを意味します。


 もとより空間の問題というのも畢竟は使用者の問題です。それは使用者によって自由に創られるものです。では建築家の役割はどこにあるかというに、それは建築の際に考え得る施主の暴走に予防線を張ること、そして社会の動きを予測し、変化に対する対策を練ることにあります。確かに建築は常に変化するものであるといっても、その原型となるものはあります。時代や職人の個性によって全体の形は変わる一方で、その一つ一つには共通する素型があるからです。そしてこの原型の創造こそが建築家の本来の仕事でもあるのです。

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