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泣けばよかった


#思い込みが変わったこと

私は看護師として約30年勤務している。
新人の頃は先輩看護師に怒られてばかりで毎日が苦痛だった。
そんな中、初めての夜勤で患者さんが亡くなった。
初めて人が亡くなるところをみた私は大きく動揺し、涙が出た。
すると一緒に夜勤をやってた先輩看護師が
「泣くんじゃない!看護師は泣いちゃいけないの!あなたより家族のほうが何倍も悲しいのよ!あなたが泣いちゃったら、誰が家族を支えるの!」

新人ながらもっともだと思った。

この後亡くなった患者さんのエンゼルケアもして、動揺している家族に寄り添ってとまだまだやることがある。泣いてちゃいけないんだ。


それ以降、約30年、患者さんの前で泣いたことはなかった。

30年も看護師をやっていると印象に残る患者さんがいるものだ。
数年前に通院していたAさんはその一人だ。
その時、私は外来での勤務になっていた。

Aさんはがんで通院していた。
手術ができる段階ではなく、抗がん剤治療を行っていた。
しばらくするとお腹が苦しいとの訴えがあった。
調べてみるとお腹にがんが転移して腹水がたまっていた。
医師はその事実を丁寧に伝え、これからは苦しくないよう腹水穿刺をしていきましょうと説明した。腹水穿刺とはお腹に針を刺して腹水を抜き、苦しさを緩和させる方法である。
Aさんはわかりましたと返答し、数回腹水穿刺を行った。

1週間に一度腹水穿刺を行うペースになり、今日も穿刺だなと思いながら   Aさんのところに行くと
「なんでお腹苦しいのかなあ?」との発言が。

えっ…。いやいや、がんがお腹に転移してて、それで腹水がたまってるって先生、何度も言ったよね?あれ?聞いてたよね?

「えー、俺、がんだったの?」
えっ…。じゃあ、今やってる抗がん剤、一体なんだと思ってたの?
あれ?聞いてたよね???

まだ若くて働いてもいるのに、病気のこととなると
途端に理解力が落ちるような方だった。
これ以外にも は? と思うようなことを言うので、医師と脳を調べようかと相談することもあったほどである。(もちろん脳に異常はない)

しかし、この方、少し天然だった。
ひょうひょう、のほほん、憎めない、不思議、などの単語が当てはまる方で、本人のキャラクターでもあることが分かってきた。また、否定したい、認めたくないという思いからもきているのであろうと医療者で話し合った。

腹水穿刺は1時間くらいかかるので、その間色々な話しをした。なんてことない、普通の日常会話だ。
そんな日々がしばらく続いたと思う。

そしていよいよ腹水穿刺をしても体が楽にならなくなり入院した。

入院後、在宅でも腹水穿刺ができるように腹水ポートというものが挿入され、訪問診療と訪問看護が入り、最期の時を自宅で過ごすための準備がなされ、退院前カンファレンスが行われた。

訪問診療が入るともう外来にはこないのだが、この時はなぜか外来の看護師も呼ばれた。

医療者同士の連絡事項、確認事項などを共有し、それからAさんのところに行き、はじめましての挨拶をし、今後のことを話す段取りだった。

私ははじめましての挨拶は必要なかったが、一目会ってから戻ろうと思い 一緒に病室にお邪魔した。

これから在宅生活を支える医療者たちが挨拶をするなか、Aさんとぱっと目が合った。会釈し、退室しようと思ったら
「看護師さん!!」
と呼び止められた。珍しいなと思いながらAさんのそばに行くと
「・・・俺、がんばれなかったよ。」
と、ぽつりと話された。

ぶわっと涙が出そうになった。
天然で少し不思議なAさんが、もう死期を悟って私にこんな言葉をかけた。
つらかったんだ。苦しかったんだ。頑張ってたんだ。
なのにこちらにはそんな素振り、少しも見せなかったんだ。

でも、私はぐっと涙をこらえた。
患者さんの前では泣いてはいけないんだ。
一番つらいのは患者さんなんだから。

「十分、がんばってきたよ。毎週、来てたんだよ。」
こんな言葉をかけたと思う。なぜか、はっきりと思い出せない。
涙こらえるのに必死だったからかもしれない。

それが、Aさんとの最期の会話になった。


私はその数年後、別の診療科に異動になった。


年月と仕事に追われ、Aさんのことを思い出すこともなくなっていたある日
当時一緒にその診療科で働いていた同僚が、近況報告にきてくれた。

「実はBさん、抗がん剤が効いてなくて。先生からもう使える薬はないって今日言われたんだ…。
診察後に話し聞きにいったら2人とも泣いてて。
私も一緒に泣いちゃったよ…。」

Bさんはがんで数年程前から抗がん剤治療を受けていた方で
いつも夫婦で来院されていた。
難しいがんで、効果があるといわれている抗がん剤は数種類しかなかった。その、最後の抗がん剤が効果なかったということだろう。

そうか、それは残念だったね…
私もショックだったが、それと同時に素直に患者と向き合って涙したその同僚は、なんて人間味ある方なんだろうと思った。

その後主任と話す機会があり、何となくその話題になった。

すると主任は
「他人が自分のために泣いてくれるなんて。患者さんは嬉しかったんじゃないかな。いい関係を築けていたんだね。」
と言った。

その時、急にAさんのことを思いだした。     

あの時、泣きたかったのをぐっとこらえたあの時。
走馬灯のようにその時のことが思い出された。


…泣けばよかった。


我慢なんか、しないで。


看護師は泣いちゃいけないなんて、そんな呪文に
ずっと囚われていた。

私が我慢なんかしないで泣いていたら、Aさんの心を少しでも和らげられたかもしれない。
少しでも不安から遠ざけることができたかもしれない。


もう何年も前のことなのに、そのことを思い出して涙が止まらなかった。


今、新人看護師にどういう教育をしているのか私はわからないが、
泣いたっていいんだと思う。
もちろん、泣いて仕事にならないのは困るが、
患者さんやその家族が、「一緒に涙してくれる人がいる」
そう思って、少しでも心が軽くなるなら、それも立派な看護なのだ。

看護師は泣いてはいけない、その思い込みが変わるまで、私は30年の月日を費やした。



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