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人生の春夏秋冬

 人の一生の「起承転結」を、幕末の吉田松陰「春夏秋冬」という言葉で表現している。

 松陰は藩の将来を担う逸材として嘱望された優れた人物だったが、満29歳の若さで亡くなった。その最期は刑死だった。

 松陰は自ら「二十一回猛士」と号し、中国戦国時代の儒者・孟子の如く、生涯で21回の猛気を発することを期して、つまり普通の人ではとても成し難いような挑戦の人生を歩んでいくことを誓い、そしてその信条通りに行動し、その末に、若くして人生を終える運命となった。

 「生き急いだ」という言葉がまさに当て嵌まるような生き方の人生だった。
 松陰は藩から与えられた職分にとどまらず、日本全体の将来の行く末までを、自分の責任問題として抱え込んで、文字通り東奔西走の人生を歩んだ。

 その人が思い抱いていた夢や願望を果たせぬままに死んだ場合、よく「志半ばで……」といったふうに表現されることが多いが、松陰自身がそういう言われ方に対し、決してそれで、人生が中途半端に終わったというようなことにはならないと言い残している。

 松陰は、刑死と決まった自らの人生を振り返って、まだ思った大業を成し遂げることなく、このままで死ぬことになるが、これまでの働きによって育ててきたものが、花を咲かせず、実をつけずに終わるという意味では、これは惜しむべきことなのだろうかと。

 けれども松陰は、改めて自分自身について考えて、いやこれはやはり、花咲き実りを迎えたときなのであろうと思い至る。

 松陰は、人間の一生にはそれぞれ相応しい「春夏秋冬」があり、十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季があり、二十歳にはおのずから二十歳の四季が、三十歳にはおのずから三十歳の四季が、五十、百歳にもおのずから四季があるのだと言った。

事成ルコトナクシテ死シテ禾稼ノ未タ秀テス実ラサルニ似タルハ惜シムヘキニ似タリ
然トモ義卿ノ身ヲ以テ云ヘハ是亦秀実ノ時ナリ何ソ必シモ哀マン
何トナレハ人事ハ定リナシ禾稼ノ必ス四時ヲ経ル如キニ非ス
十歳ニシテ死スル者ハ十歳中自ラ四時アリ
二十ハ自ラ二十ノ四時アリ
三十ハ自ラ三十ノ四時アリ
五十 百ハ自ラ五十 百ノ四時アリ

吉田松陰『留魂録』(第八節)より

 どんなに短い人生でも、ちゃんとその人の人生には「春夏秋冬」が備わっている。

 志半ばで終わったから哀れだというようなことはなく、それならそれで、その時までを生きたその人のストーリーになっているのだということ。

 だから例えば、わが子を早くに亡くして、心を痛めるご両親は多いかもしれない。
 けど、どれだけ早くに亡くなっても、決して未来を失うことにはならない。
 もしまだ生きていれば……と、悲しむ気持ちはあるだろうが、未来とは誰にとってもそれはまだ見ぬ先の話なのだから、この先どうなるのだろう、こうなるのだろうか、ああなるのだろうか、という未来としてちゃんと存在している。
 そしてそのまだ見ぬ未来を思いながら、これからも一緒にずっと生きていくということに変わりはないのではないだろうか。
 いつまでも故人の死を悲しむだけでは、それこその人のストーリーがそこで中断されたままになってしまう。

 だから松陰の言っていた人生の春夏秋冬とは、その人一人だけでつくられるものではないということなのかもしれない。
 だから草木の一生と人の一生とでは違いが出てくる。
 自分の生涯が、周りの人たちにどういう影響を与えるのか、その関わり合いの中で、そこに初めてその人のそれまでの一生の春夏秋冬という意味合いが生まれてくる、ということのように思える。


まだ記事は少ないですが、ここでは男女の恋愛心理やその他対人関係全般、犯罪心理、いじめや体罰など、人の悩みに関わる心理・メンタリズムについて研究を深めていきたいと思っています。