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実は高度すぎる現代人の人間関係。

年代別にみる人間関係って?


 こんにちわ。Saraです。
最近私は年齢を重ねていくたびに、人と人が分かり合うのって、なんて大変なんだろうと感じている。(・_・;)

 学生時代までは、学校という共通の環境設定が用意されていて、年齢が上がるにつれて、学力も自分と同等レベルの人が集まるところで過ごすので、意識していなくても話題が被りやすいし、ステップアップもそんなに大差が生まれにくい。

 20代もまだ前半なら、社会人という立場が新米扱いで、結婚や子育てを始めた人も初心者なので、そんなに価値観の差を感じづらかった。

 30代に向けて、人は青い果実のような夢を語るというよりは、現実を受け入れて、出来ることと出来ないことの振り分けを迫られる。消去法で物事を考えるようにもなるし、年齢を加味して、「自分の人生をどの定位置で生きていくのか」を突き付けられるようにもなっていくと思う。

 中年期から老年期は、若さという盾があまり通用しない。親世代をみていると、今まで「どんな生き方をしてきたのか」がその人の風采に集大成として克明に表れていくと感じた。隠れ蓑の若さが取り払われて、その人の人間性がダイレクトに露呈されるので、誤魔化しが効かない。つまり、それまで培ってきた自分を表現していく人生の総仕上げという印象だ。

 バリキャリで仕事に満身してきた人もいれば、子育てに奮闘してきた人もいる。留学経験がある人もいれば、趣味に没頭してきた人もいる。家庭の事情を抱えている人もいれば、リア充中の人もいる。大病を経験した人もいれば、健康に恵まれてきた人もいる。

それぞれの個の色が、朧気ではなく、後発的な経験や体験がブレンドされることで、鮮明な色合いをお互いに醸し出すようになるので、なかなか擦り合わせが高度になっていく。

どんなに学生時代に親友と呼び合っていた人たちも、枝分かれした人生の中で、袂を分かつことも出てくる。

 人生経験値の違いや価値観・生き様や思考の癖そして独り独りが抱えているコンプレックスや心の傷などのバックグランドも把握しづらくなっていくから、何が琴線に触れるのか、何がトリガーになるのかも、分かりづらくなる。

 だから、年齢を経るほど、人間関係も当たらず触らず、表面的な付き合いに流れやすいのではないだろうか?(。´・ω・)?

現代日本における人間関係を考えてみる。

  特に日本という独特の曖昧さを重んじている国においては、加齢に伴い、人間関係の境界線がはっきりとしてきて、個人の領域をそれぞれが守ることが優先されていく印象を私は感じている。

 海外のように、とことん向き合ってリベートを繰り返しながら、擦り合わせをしていくというよりは、やんわりとその場を取り繕い、そこから何かを生み出すという創造性を意識した会話が不足している気がしている。

 それは日本の長引く不況で、各自が自分の生活の砦を守備することに時間を取られていて、余剰分が足りないことも影響しているように感じている。

 また、SNSというバーチャルリアリティーの2次元世界と実生活の3次元世界とのバランスも現代人は求められている。
人類史からみると、ある時突然、私たちは経験したこともない高度すぎる人間関係ゲームに投げ込まれたのだ。

 飽和した混濁の情報の海をずっと泳いでいたら、すぐにググって、「解決」「解答」を得ることが当たり前になってしまい、手間暇かけて、じっくりと熟成させていく「過程」での「自分で考える力」は、ある程度の能動性を培った人間でなければ、どんどん削られていっているのではないだろうか?(。´・ω・)?

 それは、人間関係においても反映されていて、育てていく「過程」が抜け落ちるように思える。

情報の海をひたすら泳いでる現代人


まとめ。

 原点に立ち返れば、人間関係は、どんな年代や世代であっても、時代の変わり目であったとしても、本来は時間と手間をかけて、じっくりとお互いに受け入れて、折り合いをつけて、距離感を掴んでいくものだと思う。

 こんな複雑怪奇な現代社会で、人間関係の天秤を保つのは、本当に難儀だ。でも私は、ご縁いただいた人で、お互いに何か学びがあるのなら、関係性を熟成させていく基本姿勢は、自明の理だと思う。

 簡単に繋がって、簡単に切れる人間関係なんて、もう私は求めていない。その場しのぎだったり、傷のなめ合いだったり、遊びだったり、将来においての展望が見えない関係性なら、時間もコストもすごく勿体ない。

一緒に作っていくもの💛


お互いに向き合い、対話したり、行動を共にすることで、創造が生み出され、友愛が育っていく。私は、そんな人間関係を作っていきたい。

 いくら心を砕いたとしても、どうしても分かり合えない人もいる。合わない人もいる。それももう、現実として私は受け止める。
ぶつかることも、傷つくことも、打ちひしがれることも、絶望感も寂寥感も散々狂うほどに体験してきた。(´;ω;`)ウゥゥ
それでも、私は人を求め続けている。だから私は、関係を育てていく「過程」を厭わずに大切にしたい。

 こんな現代の高度な人間関係に挑戦し、酸いも甘いも嚙分けたその先には、かならず進化があり、風光明媚な世界が待っているのだから。

エデンは、進化の先にあるよね。


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