見出し画像

神の種明かし「すべての苦悩が終わる時」

誰でも悩みがあるものですね。
細かい事から、人生の大きなことまで。

そのすべての苦悩を終わらせることができるとしたら、どう思いますか。

小さい頃、すべての起源について考えたことがありますか。

宇宙はいかにして生まれたのか。
星々は一体何なのか。草木や動植物とは。
人間とは。生命とは。

ここで書くことは、その問いに対するアンサーです。
神から種明かしを受けたので、ありのまま書きましょう。

宇宙というミステリー小説があるとしたら、この話は謎解き部分です。
何も悩む必要がなかったのだとわかります。
救いのヒントとなるようにお伝えします。

ある日、私は瞑想していました。
神の原初の意識(キリスト意識)を瞑想していました。
神意識の象徴である黄金の十字を超えました。

神の無限の光の中に入ると、光の奔流に洗い流されるように感じました。
思考、感情、願望、そういうものがすべて洗い流されていきます。
魂ごと、真っ白になる感覚に満たされます。

完全な至福感があって、神意識にはすべての答えがありました。

ただ、神に問いかけたのです。

「宇宙のすべては、いかにして生まれたのでしょうか?」

神はすべてのすべてです。
宇宙すべてでありながら、すべてを超えています。
星々、人間、動植物、虫、宇宙世界、並行世界、すべてでありながら、すべてを超越しています。

何もかも知っています。
人間の文化もすべてわかっており、一人の人間にとってわかりやすい形で知らせてくれます。

私のような人間にも理解できるように、ビジョンを見せてくれました。
象徴的なビジョンが次々と目の前を通り過ぎていきました。

神の無限の光の中にいたはずの私は、気づいたら映画館に座っていました。
映画館の観客として、ある一本の映画を観ていました。
しかし、その映画は他とは違っており、全宇宙を映し出していました。

宇宙の隅々まで映し出され、見ているというよりは感じているのです。
それそのものになっている感覚で、宇宙を味わっていました。

銀河系、星々、人間、動植物、微生物、あらゆる存在。
ただ感じたら感じ取ることができ、わかろうとしたらわかることができます。

とても不思議な宇宙の映画を見ていました。

私はふと気になって席から立ち上がりました。
この映画館の外はどうなっているのだろうと思いました。

映画館から出たら、辺り一面は真っ白な光の空間が広がっていました。
とてつもなく、まぶしい光の中でした。

一面、すべてが白でした。
どこからどこまでということがなく、歩いていっても果てしない空間でした。
私はゆっくりと歩いていき、ふと振り返ると、また映画館が見えてきました。

映画館の姿が変わっており、宇宙そのものとなっていました。

よく見たら、その宇宙を写し出す一人の男が立っているではありませんか。
その一人の男は古い映写機のようなものを手動で回しています。
映写機をぐるぐると回すと、コマ割りで白い空間の中に宇宙が映し出されていくのです。

私はその男に代わって、映写機を回してみました。
回せば回すほどに時間が進んで、宇宙の流れが進んでいきます。

私は逆回しにしてみました。

そうしたら、宇宙の時間が巻き戻って、最後にすっぽりと消えてしまいました。
もう一度、順回しにしたら、宇宙が生まれました。
また、逆回しにしたら、宇宙が消えました。

宇宙とは、神の光の映像表現に過ぎなかった。

時間を巻き戻し続けると、すっかり宇宙も消えて、映写機の男も消えて、何もかも消えてしまいました。

私一人が無限の光の中で立っていました。

無限の光を意識したら、自分の姿かたちも溶け込んで、何もかも消えていきました。

何もない無限。
時間もない。空間もない。
宇宙もない。何もない。

その空間で、私はどうしようもないほどの完全な幸福感に満たされていました。
自分という存在はない。
何もないにもかかわらず、あることができる。

――神の聖なる二律背反

自由自在に、自分という存在を変更することができました。
もう一度、自分は一人の人間になって、さっき宇宙があった場所を見つめました。

膝をつくようにして、両手をついていました。

もう、そこには何もないのです。
すべて悟りました。

「これだけ……宇宙ってこれだけの存在なのか……」

砂一つ残さず、消え去るほどのものでしかない。


宇宙の全ては、神の想像上のものでした。
神が、そういうふうに想像したから、光の中で映し出されているだけ。

全存在がそうでした。

「全部、幻だったんだ。本当は何もかも存在しなかった」

それが本当でした。
人間も神々も例外ではなく、宇宙が消え去れば、それごとなくなりました。

究極の神がこういう宇宙がないかと思っただけで、すべて生まれてしまったのです。
そして、それ自体には意味がなく、また実体もありません。

神の無限なる光の中では、一切何もありません。
それが神の真実です。


もし、そのことを悟ることができれば、一切何も悩まなくていい事だったんだとわかります。
人生のすべての苦悩は、この世という夢幻を本当だと思い込んでいたことによるのです。

そんなものはなかったとわかったら、悩まなくていいとわかります。

この境地では、あらゆる過ちが洗い流されます。
今までカルマの法則を超えてしまう赦しの根本原理がわからなかったけれど、神の境地で知ることができました。

本当は何もないんだよとわかると、過去の過ちをすべて洗い流すことができます。
神がなぜ「赦し」を与えてくださったのかがわかりました。

神の真実を知ると、心底すべて悩まなくてよかったのだと思いました。
最高の平安に満ち満ちました。
神の境地には何物にも左右されない平安があります。

救いを求める人に告げます。
神を瞑想してください。

そこにすべての答えがあります。