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未来の講義「正当防衛なら人を殺していいか」

今回の話は、スリリングな内容になっています。
かなり変わった話。進んだ話です。
それだけにどこまでも興味深い話になってます。

あるマスターが生まれ変わって、来世で学ぶことになるテーマだからです。

マスターの系譜があり、マスターは一人だけではありません。
偉大な師が何人も存在し、そういった人々も生まれ変わりながら学んでいます。
お互いの欠点を補い合いながら、学ぶこともあります。

マスターにも成長段階があり、神に至るまでに完成されていく過程があります。
そこには一般的ではない最高にスリリングで繊細で進んだテーマも含まれます。
今回、お話するのは特別(スペシャル)です。

これは未来を先取りした話です。

正直に申し上げると、私には少々と未来を断片的に見る力があります。
見ようとしなくとも、たびたび未来の一シーンが見えてきます。
その未来の中には、「来世のこと」も含まれるのです。

霊的進歩には様々なやり方があります。
苦難の道を乗り越えて……という方法から、ヨガや行を通して等。
神と繋がるというのは本筋のやり方です。
師から学ぶというのは、かなり重要な要素を占めます。

実は、未来予知にも使い方があります。
来世で学ぶことを先に見て、今世で学ぶこともできるのです。
本当に未来が見えたら、それができてしまうのです。

すると、すべての輪廻の時間を超えて、未来を先取りして学んで、「今生で完成する」ということも可能となってしまうわけです。
通常の人間が気の遠くなるような輪廻転生を繰り返さないと、到達できない域に一つの人生で到達できます。

未来予知を危機回避に使うのは、単なる生存戦略に過ぎません。
それは大した使い方ではなく、自分を守るためのものでしかありません。
より高尚なるものに使うとなると、霊的進歩に生かせるわけです。
私の生き方は霊的進歩に特化しており、そういった未来予知の使い方を見い出しました。

さて、今回の話はあるマスターが来世で学ぶことになる繊細なテーマです。
なんと、それを先取りして、皆さんも学べます。
よくよく熟考すれば、私たちも理解することができるようになります。

カルマを克服するヒントがふんだんにあります。
それを私自身も未来から学ばせてもらったので、お話しましょう。


テーマ「正当防衛なら人を殺していいか」

現代の認識の水準だと延々と議論が尽きることがないテーマです。
これは未来でも語られていることなのです。

あるマスターもその問題に直面することになります。
その方をマスターAと名付けましょう。

マスターAは、欧米人の生まれです。
欧米、特にアメリカなどでは自己防衛のために銃を持つのは許されていました。
それは常識の範疇でした。
マスターAは霊的に進んではいましたが、欧米人(特にアメリカ人)の潜在意識の影響を受けて、銃の所持を支持していたのです。

(つまり、どれだけ霊的に進んだマスターでもグループの潜在意識の影響を受けて、欠点を抱えていることはよくあることです)

マスターAは前世において、戦争に参加した戦士の人生もあり、そのときに防衛戦争で人を殺していました。
そのため、正当防衛のために人を殺してもいいという考え方に賛同していたのです。

アメリカでも正当防衛のためならば、人を殺しても罪に問われません。
歴史上のバックグラウンドとして真珠湾攻撃などもあり、正当防衛のためなら戦争を辞さない考え方がありました。
それも「正義」とされていたのです。

そういった背景から、アメリカでは一般人も正当防衛を理由に人を殺すことはよくありました。
中には過剰防衛に近いものもありましたが、正当防衛の範疇のものもありました。
こういった行いにも、人殺しのカルマはあるのかという深遠なテーマがありました。
マスターの間でも意見が分かれており、カルマにならないとする説もありました。
ギータ―を引用する師もいます。

正当防衛の話「これはカルマになると思いますか?」
各ケースを見ながら、ご自身で考えてください。

ケース1

アメリカで警察官が緊急の呼び出しを受けて、ある家に駆け付けました。
部屋の中で男が半裸で立っており、警察官が銃を向けて「ストップ」と声をかけるも歩いてきます。
三回近く、「ストップ」と声をかけました。
半裸の男は薬物やお酒をやっているかもしれず、何回声をかけても止まりません。
警察官は数発の弾丸を撃ちこみ、男を射殺しました。
警察官は正当防衛が認められ、罪には一切問われませんでした。

ケース2
あるアメリカ人の大学生の女性はルームシェアをしていました。
親から自分を守るためにいつも枕元に銃を置くように言われており、もしも危ないと思ったら迷わず撃つように教わり、訓練も受けていました。
ルームシェアをしていた友達が夜遅くに帰ってきて、よく見えませんでした。
「誰なの?」と聞いても返事がなかったので、女性は強盗だと思いました。
女性は枕元から銃を取り出して、すぐさま撃ちました。
ルームシェアの友達はお酒に酔っており、まともな返答もできずにそのまま撃たれて病院に運ばれました。
一命を取り留めましたが、内臓破裂が起きており、重度の障害が残りました。
女性は自分は正しい事をしたまでだと話します。
この出来事は事故として処理され、アメリカ人女性は軽い罰金刑などで済みました。

ケース3
ある母子家庭の女の子は、いつも母親が恋人に暴力を振るわれるのを見ていました。
ある日、母親を助けるために女の子は家の銃を取り出して、恋人を撃ち殺しました。
全米でその事件は大議論となり、女の子は正当防衛の権利を行使しただけだと言われました。
ほぼすべての世論が女の子を擁護しました。
女の子は十歳前後であったこと。
正当防衛のために銃を使ったに過ぎないということ。
そういったことが勘案され、罪には問われませんでした。

これら3つのケースは内容も立場も違います。
そのどれかがカルマになって、そのどれかのケースはカルマにならないと思いますか。

マスターAの主張によると、このすべてのケースはカルマにならないと言います。
正当防衛の権利を行使しただけだからです。

しかし、あなた自身はどう思いますか。
自分の頭で考えてみてください。

ケース2のルームシェアの事件はカルマになるかもしれないけれど、ケース3の女の子の事件は仕方がないと思うかもしれません。
小さい子供だから罪にはならないだろうと思うかもしれません。

果たして、神の視点からはどのように見えるのでしょうか。
誰から見ても、れっきとした正当防衛だとしたら、人を殺してもカルマ的に問題ないのでしょうか?

やはり、マスターたちでも意見が分かれるぐらいには繊細なテーマですね。
高いレベルに行くと、こういう繊細なテーマはごろごろと転がってます。

さぁ、その深遠なテーマに迫っていきましょう。

マスターAは、霊的水準において、とても進んでいました。
しかし、この点において、カルマを抱えていたのです。
前世で戦士として正当防衛のためとはいえ、人を殺めたせいで、今生ではガンになって命を落とすことになります。
つまり、端的に言って、正当防衛でもカルマは発生していました。

はっきり言うと、どのケース(ケース1、2、3)でも人殺しのカルマは発生します。
なぜなのか。

ここからが未来の話になってきます。

マスターAは、日本に生まれ変わります。
日本人の青年として育ち、あるときに話を聞きつけました。
この日本に、目覚めた師がいるというのです。

それは未来の日本です。

マスターA自身も前世では欠点があっても偉大なマスターでした。
とはいえ、今回の人生ではまだまだ若輩です。
何も知らない若者なので、どうしても優れた師に秘儀を習って、自分も目覚めたいと考えていました。

親友と一緒に、その師の生徒になって習い始めます。
その師は目覚めの水準も考え方も最高に洗練されており、彼らに教えていくことになります。
いわゆる未来の師です。

マスターAは若者特有の情熱から、単刀直入に秘儀を教えて欲しいと請います。
未来の師は、神を悟ることに「秘儀なし」と説きます。
神に心を合わせることだけが唯一の技法であると明かすのです。
しかし、マスターAは秘儀があると疑っていました。

次に繊細なテーマの議論を行うことになります。
それはマスターAのカルマを解決するために必要なことでした。

未来の師とマスターAが実際に行うことになる来世の問答です。

・テーマ「正当防衛のためなら人を殺していいか」


マスターA「先生、どういうことですか。自分を殺しに来た人を殺してはいけないって。正当防衛ならいいじゃないですか」

未来の師「正当防衛でもカルマになるよ」

未来の師はマスターAの前世をつぶさに感じ取って、心の中で語ります。

(君は前世でもそうだった。正当防衛のために人を殺して、そのカルマで病気になって死ぬことになった。だから、仮に正当防衛で殺しても、カルマになる)

しかし、未来の師はあからさまにそのことを語りません。
語っても、反発を招いて、カルマの解消には繋がらないと知っていたからです。

若きマスターAが詰め寄って、未来の師に聞きます。

マスターA「カルマになるって、どういうことですか。自分が悪い事をしてないのにカルマになるんですか」

未来の師「神の目から見たら同じ命だよ。どんな悪い人にも家族がいるかもしれないし、それを殺めたら悲しむんじゃないのか。いわば、神にとって、すべて同じ家族なんだよ。仮に殺意を持ってきた人でも殺してはいけないよ」

マスターA「自分を本気で殺しに来た人を止めることなんて、なかなかできないし、それを殺傷する以外で自分を守ることは可能なんですか。先生は非暴力で、そのまま殺されろって言うんですか」

未来の師「最上は、愛で感化するんだよ。愛で包み込んだら、どんな殺意を持った人でも武器を捨てたくなる。それが君はできないというだろう。なら、せめて傷つけずに対処することがよい。カルマを作らずに済む。ホウキで払うように追い払うか、君自身が逃げるかすればよい」

未来の師は、正当防衛で人を殺してはいけない理由と、どうすれば現実的にそれができるかを説きます。
最上は愛で殺意を溶かすこと。
実際にそれが難しい場合は追い払うか、逃げるかすればよいこと。

お互いに傷つかなければ、カルマを作らずに済むというわけです。

こういった教えの説かれ方は一度ならず、二度も三度も角度を変えて説かれ、次第に感化されて、マスターAは正当防衛なら人を殺していいという考え方を改めていきます。
たった一つの欠点が重度の病を招くことがあります。
それは、マスタークラスでも起きることなのです。

マスターAは、この未来の師との出会いで、自分の欠点を克服します。
そのときに、もう二度と悪いカルマを作らずに済むようになります。

それが次の霊的段階へとマスターAを導いていきます。
現在の私たちには、大変に繊細で難しいテーマではあります。
しかし、この時代の私たちでも参考になることですね。

この実際に見た未来のビジョンに、あえて解説を加えさせていただきます。

ケース1の場合は、警察官は銃で撃たずに取り押さえる方法もありましたね。
半裸の男なので武装していませんでした。
応援を呼んで、別の装備でのぞめば、わざわざ殺さずに済みました。

ケース2の場合は、ルームシェアの友達を撃ったので、誰でもわかる罪(カルマ)だと思います。
仮に法律的に罰を大して受けずとも、人を傷つけたカルマがあるわけです。
女性は銃を撃たずに身を隠す選択肢もありました。
それでちゃんと確認すればよかったわけですね。

ケース3の女の子は無力な子供の立場なので仕方ないと思うかもしれませんが、近所の大人に助けを求めることもできました。
わざわざ殺さなくとも、警察や保護施設の助けを借りることもできました。
特にアメリカ社会は児童犯罪や家庭内暴力にとても厳しいので、すぐに取り締まってくれたことでしょう。

このようにいくらでも殺さずに済む方法があり、悪いカルマを作らずに済んだわけですね。
未来の師が説いたことは、いわば殺すという手を使わずに「他の手段を選びなさい」ということでした。
そうすれば、悪いカルマを作ることを避けられるということです。

神はいくらでも私たちに助かる手段を与えています。

最上は愛です。
愛によって、殺意を溶かすところまで行けば、自分を殺しに来た人とさえ友達になれることでしょう。
しかし、我々にはそれが難しいので、他の手段を探してもよいわけです。

また、ケース3の女の子でさえも殺人のカルマは発生しているので、どこかの生まれ変わりの地点で死に至る病気になるか、自分が殺される立場になります。
カルマとはどこまでも正確無比です。
アメリカ社会の人たちはあまりにもそれに無知です。

私はその無知に対する怒りよりも、憐れみを感じます。
無知のために罪を犯しているのです。
本当はこの議題は、アメリカ社会の人々が学ぶべきものなんですよね。
これを知ったら、人々は人殺しのカルマを作らなくて済むようになるのだから。
集団の潜在意識の悪いトゲを抜くことができて、より進化した意識へと変わっていくことができます。

わかっておいてほしいことがあります。
カルマの刃が返ってきても、大丈夫だということです。
魂に弾丸などきかず、肉体が滅んでも生まれ変わって学んでいきます。
そうして、人は学んで成長し、やがて、それが良くないことだと気づくのです。
必ず、人は進歩していきます。
それぞれのケースがありますが、それぞれの人生で学んでいきます。
それは時に痛みを伴います。伴ってこそ、痛感するのです。

人々がこの話を心から聞いたら、その痛みはどこまでも軽減します。
もう悪いカルマを作らなくて済むようになるので、その人はカルマの輪から解放されていきます。


さぁ、最後に正当防衛でも人を殺してはいけない真の理由をここでより深く明かしましょう。
すべての未来に通じる神の視点をこの時代に伝えます。

正当防衛というのは、人間の作った正義です。
どこまでも、それは人間の都合でしかありません。

人間の生命を作ったのは誰ですか。
神・聖霊です。

聖霊だけが命を創造し、生かしています。
聖霊だけがその命を取り上げる瞬間を決める権利があります。
命とは、聖霊が創造したものだからです。

命は人間が作ったものではありません。
人間が命を勝手に取り上げていい瞬間はどこにもありません。
人が作ったものではないからです。

どんな理由を人間が勝手に作っても、人の命を奪った瞬間に自然法則を犯した事になります。
それがカルマとなって、自分の命を損なう病を生み出します。

だから、あなた方に言っておく。
正当防衛でも人を殺すな。
人がどんな理由を掲げて、戦争に行こうとしても人を殺すな。
カルマとなって、災難が降りかかるのは自分なのだから。

天の言葉

願わくば、殺し合うのではなく、愛し合いたいものですね。
そうすれば、何も問題とはならないのですから。

今日は未来のビジョンから、本来ならば辿り着けない繊細なテーマを解き明かしました。
マスターでも欠点があること。
それを克服するために、未来で師と出会っていくということ。

そうして、悪いカルマを生み出す考え方を根絶し、神に至っていく道があることなど。
興味深い点がいくつもありましたね。

以上です。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。