短編小説 『筆』

 明の時代に、陳という梲のあがらない絵描きがいた。幼少期から人付き合いを嫌い、木の枝で砂に落書きばかりしていた。かといって涙で鼠を作るほどの才もなく、往来で旅人の似顔絵や陳腐な風景画を売って糊口を凌いでいた。親とは死に別れ、放埓な兄は十七で出奔してより音沙汰ない。

 自分に画の才がないとは思っていない。描けば端金だが買われていく。筆を執れば右腕の一部と化し眼の裏の像を紙に映す。難しいことではない。死んだ親父は根っからの商人で画なぞ描かずに算盤をやれと言っていたが、両親亡き後も継いだ土地と少しの金、それから日々の小銭稼ぎでこぢんまりと暮らしている。吾唯足知とはこのことではないか。

 才能など認められたこともなく、大家に師事したわけでもない。官僚の家でもなく、四書五経など存在も知らない無学な男である。尊大な羞恥心や臆病な自尊心が育つはずもない。荒野に虎は棲まないのである。

 そうして、陳はいつも通り往来に茣蓙を敷いて画を何枚か並べ、ぽつねんと座っていた。この頃は水滸伝が巷の流行りであり、陳も梁山泊の英傑を描くと売れるということを学んでいた。…と、町の南側に喧噪が訪れた。どうせ自分には関係ないと、陳は眼前を飛ぶ蠅を目だけ動かして追っていたが、騒がしさはますます近づき、ついに目の前で止まった。

 仕方なく蠅から視線を移すと、人集りの中心にいるのは、十五年ぶりに見る兄のようである。その変りようは、年月によるものだけではないことは、弟として一瞥して見て取った。頬は痩け、息は荒く、眼は窪んでおり、眼光のみ徒に炯々としている。ただごとではないと茣蓙を急いで畳み、兄を自宅に上げた。

 「……。」
 「……。」
 「ご無沙汰しております。」
 「……そうだな。」
 「寝床は、用意いたします。」
 「……そうだな。」

 世の中には、深く聞かない方がよいときもある。男兄弟なら尚更である。陳は物心ついたときからこの三つ年上の兄によく虐められていたが、それでもそのくらいのことは弁えるくらいにはお互い知らぬ間に歳をとった。

 内陸の場末の町であるから、近所の人間はおおかた顔見知りであり消息不明者が帰還すれば騒ぎになる。町の者に聞くと山道から町に入るあたりでほとんど行き倒れになっているのを畑から帰る農民が見つけたらしい。その山道は殆ど使われておらず兄がそんなところで何をしていたのかとんとわからない。兄も黙して語らなかったという。

 兄は、すぐに寝てしまった。幸い夏であったので寝具は少なく済んだ。十五年前は巨大な存在であった兄が、月の陰のせいか萎んで見えた。

 翌朝から、兄は熱を出した。旅疲れであろうと思い、涼しい場所で休ませ、画を売りに表に出た。午後に帰ってくると、まだ寝ている。夜になっても食欲はないというので、汁物だけ出して、陳も床に就いた。

 さらに翌日、熱はやや下がった。
 「……親父は」
 「死にました」
 「そうか。」

 「……食い扶持は」
 「表で画を売って」
 「そうか。…….相変わらずだな。」

 ぽつぽつと会話はあるが、一往復で終わる。陳は相変わらず表に出て画を描いては並べて小銭を稼いだ。陳にとって、今まで通りであることに変わりはなかった。

 その翌朝、隣で寝ていた兄の激しい咳嗽で目が覚めた。ふと見ると辺り血の海である。血塗れの兄が息も吸えないほどの咳をしている。咄嗟に背中をさすりながら兄の口を拭き、咳が収まるのを待った。どうやら肺病らしい。
 兄を改めて休ませたうえ、わずかばかりの銭を持って医者を呼んだ。町に一人医者がおり、昔からのなじみである。渋い顔をしながら渋い漢方薬を出す爺さんである。
 兄を一目見るなり、
 「肺病じゃな。悪性の。治らんよ。咳を抑える薬だけ出しておくが。おおかた昔好き放題に暴れた因果じゃろう。」
陳は、そういうものか、と納得した。これまで家族が肺病に罹ったことがないために想像がつかなかったのかもしれない。
 爺さんに礼を言い、薬をもらった。気持ち悪い黄土色をした砂利のような薬であった。おまけに変な臭いがする。

 以降、陳は兄の床のそばで画を描くようになった。兄が激しい咳の発作を起こすたびに体を起こしてやり、背中をさすった。喀血の量はあれ以降少ないが、起こすたびに掃除してやった。飯も少しずつ、薬も飲ませた。
 画の方は、淡々と描き続けた。描けば売れるし、特段苦痛でもない。薬や兄の飯もただではない。

 十日ほど経ち、明らかに兄は衰弱してきた。これは死ぬなと初めて思った。腕は枯れ枝のようであり、首の筋、あばら、窪んだ眼だけが目立つようになった。
 二十日経ち、薬をもらいに医者に行った。まだ生きているのかと言われた。このころから、表で売る画をやたら褒めてくる人が増えてきたように思われた。値段を少し上げてみたがそれでも今まで以上に売れた。薬代の足しになるので助かった。
 三十日経ち、兄はもう長くないとはっきりと把握した。陳は、枕元に行った。

 「なにか、言い置くことはありませんか。」
 「……。おまえ、画を描けるか。」
 「はい、なんなりと。」
 「今から話す風景を、画にしてくれないか。」

 兄は、とぎれとぎれに、十五年の放浪生活の中の逸話を八つ語り、その風景を詳細に語った。ただ、この町で生まれ育った陳にとって、「海」と「都」がどんなものかわからなかった。それでも兄の言葉通り、脳裡の像を無心に紙に写した。丸一晩かかり、八つの画が完成した。兄は、その画を逸話と一緒に世に出してくれと言って、あっけなく死んだ。

 近所で簡単な葬儀を済ませた後、陳は八つの画を表に並べた。兄が描いてくれといったものだからといつもより値段を上げた。町の人間は買わなかったが、都から来たらしい下級役人が目を留めて八つ全部買っていった。都に持って行ってくれるなら御の字だ。

 それから、あまり画を描く気になれず、売れた金で無為にすごしていた。一月ほどして、数人の男が訪ねてきた。曰く、貴殿の八枚の画が都で大変話題になっており、主人の貴族がぜひ都で画家として招きたいと言っているとのこと。ついてはまずここで画の腕を改めて見たいと。

 陳はやや驚いたが、いつも通り画を三枚ほど描いた。驚くほどすべて駄作だった。貴族の使者はいたく失望して都に帰った。

 ほどなくして陳も兄と同じ肺病で血を吐いて死んだ。


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