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短編小説 「筵」

目が覚めると、世界が変質していた。その直観だけがあった。

昨日は華金で、面白くもない残業をしたあと一人でしこたま呑んで帰り、そのままベッドで気を失った。
<もの>たちは、狭い1Kの部屋に、そのままで横たわっている。
今まで寝ていたベッドには脱ぎ捨てたシャツが紙くずのように転がり、
ローテーブルにはリモコンやら捨てていないチラシやらと一緒にチューハイの空き缶が3本佇んでいる。
こいつらは僕と違って勝手に持ち場に戻ったりしない。

ふむ。昨日飲みすぎたか。一人だというのに情けない話だ。頭痛がないだけマシとしよう。
昨日資料確認してくれってメール送ったのに見もしないで催促してきた上に意味のわからない罵声を浴びせてきた上司が全部悪い。
とりあえず水でも飲んでコンビニに昼飯でも買いに行くか。
みんな都会の水道水はまずいって言うけど、それで水に金払うのも馬鹿らしいじゃないか。蛇口ひねれば出てくるのに。

着替えは...適当なTシャツと適当なスウェットに適当なダウンでいいか。
この廊下もそろそろ掃除しないとな。さて...。

壁?

ドアが開かない。鍵もチェーンも...開いている。ドアノブは回るのに。
扉だけが溶接されているように動かない。ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ。
こちとら二日酔いで気持ち悪いっていうのに。

雷?

背後に、1000本のレーザーが当たった。旭日旗のように僕の項を焦点に。
全部、<眼>だった。視線だった。猫のように、本能的な恐怖で振り返る。
何もない。少なくとも、1000の<眼>はない。短い廊下の先に、さっき見た通りの<もの>たちが転がっている。

やはり何かが違う気がする。変質している。

いま見えている<もの>たち、
動いていないか?動いていないか。
僕のことを笑っていないか?笑っていないか。
息をしていないか?息をしていないか。

背を向けた瞬間一斉にこちらを見てこないか?
本当にこいつら、ものか?

何秒固まっていた?我にかえると<もの>たちは静止していた。

一度部屋に戻ろう。落ち着こうか。

銃?

扉に背を向けた瞬間、ドアの覗きレンズに、<眼>があった。背後で直観した。
振り返って何もない。ゴミ収集日が書いてある紙でレンズを覆った。
どうしてそんなことをしたのかわからない。<おそれ>がそうさせた。

部屋に戻り、<もの>たちを全部部屋の隅にブルドーザーのように押し付けた。<眼>を1箇所に集めれば集中砲火を避けられる。さらに掛け布団で全部覆ってしまおう。

完璧だ。

窓は曇りガラスなので大丈夫。<眼>はない。

なんなんだ、これは。すべてを覆い隠した布団の下に、無数の<眼>がうごめいている。グルグルグルグルグルグルグルグル。<眼>がなんかうめいている。

だめだ、部屋を出よう。だめだ。だめだ。そうだ、体当たりしよう。
助走をつけるための空間は幸いできている。部屋の奥から<眼>を塞がれた部屋まで一直線だ。

最後に短距離走を本気で走ったのはいつだろう、高校最後の体育祭だろうな。一回りも昔か。

いくぞ。

脚に全霊を込める。
いいスタート切れた。僕もまだまだ若いな。廊下で勢いつけるぞ。
廊下に差し掛かった瞬間、1000の<眼>。突き刺さる。
ここから見える<もの>はないはずなのに。
5分前より圧倒的な<おそれ>が、今度は僕の背中を押した。

右肩を出す、眼をつぶる。

...鎖骨折れたかもしれない。
でもドアは開いた。厳かに。

開けると、眼の前に、またドアがあった。今開けたのと同じドアが。
もう、わかっていた。

僕は、10秒ほどだったか、そのドアを見つめたあと、静かに部屋に戻った。

なんかもうどうでもよくなった。

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