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ヒプノセラピーでパニック障害と強迫性障害を乗り越えた体験談

■パニック障害発症

私が30代後半のときに家族3人で5年ぶりに2度目のバンコク旅行に行った。

小学生の娘は同級生が父親のバンコク転勤に伴い、昨年から家族でバンコクに引越したので久々の再会をとても楽しみにしていた。

バンコク滞在2日目、娘の同級生の家族と私達家族で晩ご飯を食べるために車でレストランに向かった。

同級生の父親は日本の某一流企業勤務で運転手付きの車があり、レストランまでその車に同乗させてもらうことになった。夕方のバンコクの道路事情は日本以上の混雑で大渋滞。バンコクでは渋滞は当たり前で、車を持っていることがステイタスなのでタイ人は渋滞とわかっていて車に乗っているらしい。

「車内の冷房が強すぎる!!」

寒がりの私は、数分乗っただけで半袖のTシャツだけでは耐えられないくらいの寒さを感じた。

自分の車ではないし、初対面の家族に乗せてもらっているし、寒いのは私だけかもしれないので冷房を弱めて欲しいとは言えない。寒さからトイレに行きたくなったが車を止めてもらいトイレに行きたいとは言えなかった。

渋滞から数十分過ぎたころ身体に異変が現れる。意識が遠のく感覚、心臓がバクバクする感覚、このまま死んでしまうかもしれないという強烈な不安感。この3つが一瞬で重なり我慢出来ずに「体調が悪いのでホテルに帰りたいから車を降りたい」と言うと、この先に駅があると教えてもらい車から降りた。

自分がバンコクのどこにいるのか、どの駅に行くのか、どうやって帰るのか、全くわからないまま駅を探して歩いていると、長期滞在者用と思えるホテルが目の前にあり、とりあえずそこで休むことにした。小さなホテルでフロントにはスタッフすらいない。ロビーに2人がけのソファが1つ置いてあり心臓のバクバクと大量の汗が治るまで座ることにした。

トイレに行きたかったのでホテルに併設されているオフィスのスタッフに場所を聞いた。11階にあると教えてもらいトイレに行けば少しは状態が治ることを期待してトイレからロビーに戻りソファに座っていたが状態は変わらない。

「もう動けない、ホテルに帰れないかもしれない…」

そのまま1時間くらいソファに座っていると少し落ち着いたので駅に向かうことにした。ゆっくり身体の状態を確認しながらようやく駅に着いたが、その駅はローカルな路線で表示が全てタイ語で自分がどこの駅にいるのかもホテルがある駅がどこかもわからない。

その瞬間、また心臓のバクバクと不安感が一気に襲い、せっかく駅に来たのにホテルのロビーに戻った。30分以上ソファに座っていたが、もう戻るしかない倒れてもやるしかないと意を決して駅に向かった。

駅の職員に自分の帰りたい駅を説明して、なんとか電車に乗るためのコインを買うことが出来た。乗り換えが必要だったが人に聞いて無事にクリアした。車から降りて2時間以上経ち、ホテルがあるアソーク駅に戻ることができた。

「戻れた、助かった」

賑やかな街並み、人通りの多さ、帰り道がわかる安心感、駅から出た時の景色は一生忘れられない。

ホテルに戻ったらすっかり身体も心も落ち着きを取り戻し、日本から持参した素麺を茹でて食べた。今回の滞在はキッチン付きのコンドミニアムを選んだのが良かった。

素麺を食べていると妻と娘が帰って来た。妻から「無事に帰って来てよかった、最悪の場合は警察に連絡するかもしれないと思った」この言葉から車から降りる私の状態は決して良くなかったのがわかった。

その後、少し不安はあったがバンコクを楽しんで無事に帰国した。

数週間後、自分が運転する車で取引先に向かう途中に渋滞にはまり、また心臓のバクバクと強烈な不安感が押し寄せて来た。なんとか取引先に着いて先方と話していると、

「大丈夫?体調悪そうだよ、今日はもういいから帰った方がいいよ、仕事はこちらでやるから」

状態は良くなかったので取引先の担当者には本当に感謝した。そのまま仕事は早退して帰宅。ネットで自分の症状を検索するとパニック障害が濃厚だったので近くのメンタルクリニックに予約して行くことにした。

医師に「休みの日も仕事のことを考えていませんか?もっと気楽にのんびりしませんか?気楽に生きて健康で長生きする方が幸せだったりもしますよ」と言われてドキッとした。

その日から約7年間メンタルクリニックに通い、薬を処方してもらう日々が続いた。

1年経つごとに症状は良くなり、薬を飲む頻度も少なくなったが、お守りのような感じで持っていた薬を完全に手放すことは出来なかった。

一生、このまま薬を持ちながら生きていくのか、薬を持っていれば普通の生活が送れるんだからこれでいいと、半分諦めに近い感じで過ごしていたその時に、ニューヨークに住む友人Aさんから1通のメッセージが届く。

「来週、仕事で日本に帰るんだけど、久々に会わない?」

このメッセージが、いままで想像もしていなかった学びと体験をすることになる。

メッセージから数週間後、Aさんと会うことになり自宅に招いた。数年前からニューヨークに住みながら、仕事は日本という彼女にとって理想とする生き方を実現していて、日本にいた時よりも更にエネルギュシュになっていた。

十数年ぶりの再会でお互いの近況話しをしながら食事も終わりニューヨークの話になった。

突然、彼女から「ニューヨークに来ない?きっと気にいると思うよ、それとね、最近ヒプノセラピーってのを受けたの、催眠療法って知ってる?」

催眠療法は聞いたことがあるけど、それを薦めているのか?絶対に無理だ!

そう思っていると、彼女から「幼少期の体験が複雑だから、いろいろと解決することがあるんじゃない?ニューヨークに来たら?ヒプノセラピーを受けるといいよ」

絶対に断ろうと思った。もしヒプノセラピーを受けるとしても、それは日本でのことで、パニック障害なのだからニューヨークに行く自信もないし費用もかかる。彼女にどう言ったら諦めるのかひたすら考えていた。

諦められない友人は、私に翌日もランチをしようと誘った。次の彼女とのランチが何年後になるのかわからないので行くことにしたが、予想通りニューヨーク行きを勧められる。断っても断っても引き下がらない友人。

私が持参したiPadを見つけると「いま予約しなよ、ゴールデンウィーク前が安いからいいんじゃない?」

「ちょっと待って、その日程だと3週間後?パスポート取り直さないといけないし、セラピストの予定もわからないし…」

そんなことは彼女には全く通用しなかった。結局、ニューヨークのセラピストのメールアドレスを教えてもらい、直接予約のメールをすることになった。数回のメールのやり取りの中で、ここで自分を偽っても逃げても仕方がない、自分の本音を伝えた。

「いままで心の中はずっと曇り空です。自分の問題は自分で解決しないといけない、誰かに頼ってはいけないとも思いますが、どうか助けて下さい!」

セラピストのX氏からすぐに返信があった。その文面を見て、ひょっとしたら助かるかもしれない、ここから抜けられるかもしれない。そう思った。

「どうぞ頼って下さい、そしてニューヨークにいらして下さい。ニューヨーク観光の合間にセラピーを受けて、ニューヨークを楽しんで下さい。そして心を青空いっぱいにします」


3週間後、ニューヨークJFK空港に着いた。友人に空港からマンハッタンのホテルまでは自分で地下鉄を使って行くと伝えていたが、到着ゲートのその先には笑顔で迎えてくれる友人が立っていた。

■ニューヨークでヒプノセラピーを受ける

ニューヨークJFK空港から地下鉄でペンステーションに着いて地下から地上に出た瞬間、マンハッタンの高層ビルだらけの街並みを見て何故か安心感と懐かしさと癒しを感じた。とても不思議な感覚だった。

友人に伝えたら「昔住んでたんじゃない?マンハッタン島は昔ネイティブアメリカンが住んでいた神聖な場所だったみたいだよ」

友人は私が前世に住んでいたと言いたいのだろう。前世は信じるが関心はなかった。理由は20代の頃に友人の紹介でいろいろと見えるという大学院生T氏を紹介してもらったことがある。この見えるというのはスピリチュアル的なものが見えるらしい。

T氏は見えたことをアドバイスをしてくれるのだが、アドバイスは極めて限定的で深掘りしても教えてくれない。理由は今世の大切な学びを奪うことになるらしい。

彼は本物なのか?本当に見えているのか?少し疑っていた頃、T氏は私の親友と会いたいと言ってきた。

「彼は忙しいからね、一応話してみるよ」と伝えたら「いまから言うことを友人に話して下さい、きっと僕と会うと思います」

T氏は、一度も会ったことがない親友の親戚しか知らない家族構成と、いま治療している虫歯の位置を正確に当てた。T氏に前世は見えるの?と質問したとき「見えますけど、前世って過去の話ですよ、知っても意味ないですよ」と、バッサリ切り捨てられた。

それ以降、前世に興味を持つことはなかった。

ホテルにチェックインしたあとに友人が地下鉄を2回乗り換えて、美味しいと評判のハンバーガー店に連れて行ってくれた。私は初日からニューヨークにすっかり魅了された。

2日目の午前中は、友人がセントラル・パーク近くの有名なホットドッグ店とセントラル・パークを案内してくれて、セントラル・パークは鈍感な私でもエネルギーを感じた。

早朝のセントラル・パーク

午後は、私が宿泊しているホテルのロビーでセラピストのX氏と待ち合わせをして、時間通りに現れたX氏はTシャツ姿で、とても気さくな人だった。近くのカフェでカウンセリングをしてもらうことになり、徒歩で移動しながらニューヨークの人種の多さに驚いた。

2階のカフェでコーヒーを飲みながら、いまの自分がどのような状況なのか説明した。いくつか質問がありセラピストX氏から「ひょっとして強迫性障害(OCD)はありませんか?」と聞かれたが身に覚えが全くなかった。

X氏「何度も、物を見る癖はありませんか?」

私「あっ、子供の頃にありました。そうそう、気になったものを何度も振り返って見たりしていました。でも、いまはもうしてません」

X氏「いまも形を変えて残っていると思います。心当たりはありませんか?」

私「あっ…、車のキーです。自動ロックのキーですが、ロックした後に振り返って何度も押します。2〜3回ほど…」

これが強迫性障害なのか?

全く自覚はなかったが、確認しても不安で何度も押してしまう車のキー。これとパニック障害が関係があるのか?そんな事を考えながらカウンセリングは終わった。

X氏はTシャツ姿で私もラフなパーカー姿。カウンセリングというよりニューヨークのカフェを満喫している気分だった。

10代の時に仕事でパリに1年間住んでいたことがあるが、パリとニューヨークでは雰囲気が全く違う街だった。マンハッタンに宇宙人が紛れていても誰も気付かないだろうなぁ〜と、カフェの窓から見えるブライアント・パークを眺めながら思った。

カウンセリングが終わり友人と合流して晩ごはんを食べに行き2日目のニューヨーク滞在が終わった。

ニューヨーク滞在3日目、早く起きたのでマディソン・スクエア・ガーデン近くのホテルから徒歩でハドソン川まで行き、そのままセントラル・パークに行った。

早朝のセントラル・パークは犬の散歩をしている人やランニングをしている人など、観光客らしき人はいない。岩の上に登りマンハッタンのビルを眺めていると、もし実現可能ならいつかこの街に住んでみたいと感じた。

午後、初めてヒプノセラピーのセッションを受けるので少し緊張していた。

X氏「もしセッション中にお手洗いに行きたい時や、中断したい時はいつでも仰って下さい」

セッション中に万が一不安感が押し寄せたら困ると思い、セッション前にパニック障害の薬は飲んでいたので、これなら大丈夫と安心してセッションが始まった。

セッション中に、母と幼稚園の時に離婚して別々になった父親も現れて、私の希望で3人でピクニックに行くことにした。

私はピクニックは好きではない。それでも芝生の上で父親に思いっきり甘えて、背中から抱きついて、匂いを嗅いで、子供だから許される甘えっぷりだった。

父親の記憶は3場面くらいしかない。どれも父親は優しい人だと感じる思い出だが、身体に触れて甘えた記憶はない。

1枚だけ残っていた父親との写真

セッションが終わり不思議な感覚だった。ピクニックに行ったのはセッション中のイメージのはずが、何故か現実に行った感覚がある。ピクニックに行って父親に甘えたのは事実なのだから、それがイメージでも十分だった。

翌日、2度目のヒプノセラピーのセッションは、パニック障害が起きた日をやり直すという事だった。

バンコクで夕食に向かう車の中で起きた、あの強烈な不安感と心臓のバクバクはなく、無事にレストランに到着するというセッションだった。

宿泊先のコンドミニアムの部屋からスタートして車に乗り込み、無事にレストランに到着。もちろんイメージの中での出来事。セッションが終わり前日のピクニック同様、イメージなのか現実だったのか区別が付かないほどリアルな2つの記憶がある状態。どちらが本当の記憶かと聞かれれば、セッションの何も起きなかった方と答えるだろう。

短いニューヨーク滞在ではあったが、3日間連続のカウンセリングとセッションと友人が毎日ニューヨークを案内してくれて、モロッコ料理のクスクスを食べたいとわがままを言ったら調べて連れて行ってくれたりもした。充実したニューヨーク滞在、そして必ずまたニューヨークを訪れると誓った。

帰国後、すぐに起きた変化は車のキーを何度も押さなくてよくなっていた。不思議だ、キーを押したいと全く思わない。

なんだこれは?

パニック障害の薬は相変わらず常に持っている。財布、仕事用のバッグ、車の中の3箇所に必ず用意している。いつか手放せる時が来ればいいと思いながら、無理に頑張らず気にしないようにしていた。

1ヶ月後。

仕事に行く支度をしている時、いつものように財布の中の薬を確認していた。その時、この薬もういらないかもしれないと根拠もなく突然思った。あってもいいけど、なくても大丈夫かな?今日はない日にしよう。

自然とお守り代わりの薬は無くなった。

ヒプノセラピーを受けて何が起こったのか?イメージで作った新しい記憶で、大脳辺縁系の脳のシナプスが新しく作られ、そこに多くの電流が流れて脳内のハードディスクが上書きされたのか?

脳はパソコンのハードディスクと同じで上書き保存ができる。それをヒプノセラピーで実感した。

ヒプノセラピーとは脳科学なのか、それとも前世療法などを扱うのだからスピリチュアル的なものなのか、潜在意識とは何かを学ぶ必要があると思った。

■ヒプノセラピーの学びと前世療法


帰国後、ヒプノセラピーをネットなどで調べていた。ニューヨークのセラピストは、セッション後の結果は私の潜在意識が起こした事で、自分の能力ではないと言う。

潜在意識は脳の90%〜97%あり、顕在意識では太刀打ち出来ない力を持っている。イメージの世界は潜在意識が優位に働くのか?

それを知るためにヒプノセラピーを学ぶしかないと思い、ニューヨークのセラピストと同じアメリカの協会のヒプノセラピーを日本で学べるか調べた。

日本でその協会のマスターインストラクターがいることを知りヒプノセラピスト資格取得のための講座と日程を調べた。

10日間学べて資格も取得できて仕事にも支障がないベストな日程が見つかったが金額が思った以上だった。毎月の小遣い制でまとまった現金もない。でも、どうしてもこの日程で学びたい。

数日後、前から持っていた銀行のカードローンの上限が突然増額になった。しかも申し込み金額にピッタリの増額ですぐに申し込んで振り込みも済ませた。

10日間、どんな学びがあるのか、ついていけるのか、資格は取れるのか、期待と不安を抱えながら初日を迎えた。

ヒプノセラピーの歴史、潜在意識、大脳辺縁系、催眠とは、催眠導入の技術、ヒプノセラピーの体験など、あっという間の10日間だった。

ヒプノセラピストの資格を取得してからは更に学びと実践が必要になる。ヒプノセラピーを本業にすることは考えていないが学びは深めたいと思った。

メンタルをケアする場合、カウンセリングやメンタルクリニックが中心でヒプノセラピーが何故メジャーにならないのか知りたい。金額なのかスピリチュアル的なものと捉えられているのか、本業のヒプノセラピストはどんな人達なのかとにかく知りたい。

先生主催の月例勉強会に有給休暇を使い積極的に参加することにした。

目的は多くのヒプノセラピストと会い、どんなクライアントが来るのか、どんなセッションをしているのか、何故ヒプノセラピストを選んだのか、個別に勉強会を開催しているのか、とにかく知りたかった。

勉強会に参加して、休憩中の雑談やランチの時間など、ヒプノセラピストの皆さんは、とても優しく質問に答えてくれた。そして、勉強会は技術の向上や事例のシェア以外にも自己開示の場でもあった。ヒプノセラピストは過去の様々な心の傷や、苦しさを抱え、ヒプノセラピーに辿りついた人達だった。いま現在もヒプノセラピーが必要な人達が大勢いた。もちろん、私もその1人だ。

他の勉強会も参加したいと思い、数人のインストラクターにお願いして参加出来ることになった。実践的な技術向上の勉強を中心に教えてくれる先生、クライアントとの間で起こる問題をシェアしてくれる先生、お金も時間もかかったが、間違いなく自分の財産になった。

しかし、学んでいる中で前世療法のセッションをするヒプノセラピストが多いことが気になった。

前世?

私は前世を信じます。しかし、ヒプノセラピーで前世を思い出すのか?皆さんがそのような技術を持っているのか?それはスピリチュアリストの分野ではないのか?脳科学中心のヒプノセラピーと前世療法が私の中で一致しない。

ならば、前世療法というものも学ぶしかない。そう思ったその時に前世療法を学ぶチャンスが訪れる。

知り合いのヒプノセラピストからY先生の前世療法を一緒に学びませんか?とお誘いがあった。

Y先生の勉強会には参加させてもらっていたが、タイミングや金額的なことで先延ばしにしていた。誘われたのならタイミングだろうと思い誘いを受けた。

退行療法と前世療法の2つの学びがあり、どちらも受講することにして気になるのは前世療法だ。最初に学んだ先生はクライアントのためなら前世療法でも退行療法でも、あるものは全部使うというスタンスだ。その意味を知るためにも前世療法を知りたいと思い10日間の学びがスタートした。

学んだ結果、私の解釈ではセッション中にイメージで見る前世が本当かどうかはわからない。本気で調べたら証拠は見つかるかもしれないが、それより、セッションで見た前世の人生がいまの自分とどんな関係性があるのか、どんな意味を持つのか、そこが大切だということがわかった。

約1時間から1時間半のセッション中に、自分がいる場所、性別、誰と出会い、どのような人生を歩んでいたのか、死ぬ直前にどんなことに気づいたのか、最後はどのように死んで行ったのか、死んだ後にいまの自分にどんなメッセージを伝えたいのか、セッションが終わり、前世の体験や人間関係が、いまの人生とどう関わっていのか、この人生ではどんな学びなのか、それを知るためのセッションが前世療法だ。

先程言ったように、本当の前世かどうかはわからない、しかし、いまの心の問題が解決する、もしくは心が軽くなるなら素晴らしいセッションだと思う。

潜在意識が、いまの心の問題を解決するために前世療法を選んだとする。約1時間という短い間に、脳内でひとつの人生のストーリーを作り上げる。その細かなストーリーに複数の登場人物と感情が加わり臨場感を伴い、涙を流すクライアントまでいる。

前世療法を学ぶことで人間の脳と潜在意識は素晴らしい働きをすることがわかった。人の手を借りるが自分の潜在意識で自分を癒すということだ。

これは、スピリチュアルなのか、脳科学なのか、セラピストにしてみればクライアントの心の問題が解決して明るい人生が歩めればどちらでもいいと思っていた時に、前世療法の先駆者のブライアン・ワイス博士が来日することになった。

ヒプノセラピストの資格取得で学んだ先生が主催の2日間のワークショップを私も参加した。

2日間学んだことで私なりにわかったことは、前世療法は癒しだということだ。脳科学とスピリチュアルが共に手を組んで潜在意識が協力して作り上げた癒しだった。

■幼少期の記憶と退行療法


ニューヨークでのヒプノセラピーのセッション中に、離婚して別々に暮らしていた父親が出てきたことと、潜在意識がどう関係しているのか、幼少期を振り返り過去の記憶とは何か、潜在意識にどう影響しているのか整理したい。

私が幼稚園のときに両親は離婚。母から聞いていたのは、父は給料日に給料を全て麻雀で使っていたらしい。祖父の友人宅の2階にある4畳半一間に家族3人で住んでいた記憶がある。

離婚後、父は東京で仕事をしていた。幼稚園のときに一度だけ父に会いに行ったことがあるが狭い部屋で風呂はなく一緒に銭湯に行き翌日は動物園に行った記憶がある。

母は私を育てるために夜の水商売で働き、お酒を飲めない母だったが昼の仕事では生活が出来なかったようだ。

小学生になり、学校が終わると祖父母の家に行って晩ごはんを食べさせてもらいそのまま泊まっていた。朝に家に戻り支度をして学校に行く、この生活を3年生まで続けていたが、祖父母の家では自由がないしわがままも言えない。

4年生になったとき、家で1人で過ごすことを決めた。晩ごはんは変わらず祖父母の家で食べてすぐに家に戻り、1人で銭湯に行き時間になったら寝る。夜中に母が帰ってくるが一度も気づいたことはなかった。

中学1年までは問題なく学校に行っていたが、2年になってから学校に行けなくなった。

小学生から一緒の友達とは遊べるが、学校だけは行きたくてもどうしても行けない。2年生になり1ヶ月が過ぎ、私は完全に学校に行けなくなった。

その夏休みに母が突然失踪した。祖父母の家で暮らし、2週間後に母が帰ってきたのだが、どこかの旅館で住み込みで働いていたらしい。失踪した原因は、母が子宮ガンになり怖くなり逃げたらしい。当時の認識ではガン=死だ。

そこから母の闘病生活が始まり、結局、私は2年間、卒業するまで1度も学校に行くことはなかった。

話しを父に戻すと、両親の離婚後、父に会ったのは一度だけで、その後、連絡もなく養育費も払っていなかったらしい。母は父の話しになると、大体悪口が多い。そりゃそうだ、給料日に給料全額を麻雀で使ってくる人に褒めるところを探すのは難しい。

そんな父だが、私は優しい場面しか思い出さない。夕食のときに皿を運ぼうと思い母に止められたにも関わらず運んだ。母の予感通り私は皿を落としてすべて割ってしまい、泣きながら父のところに行くと優しく慰めてくれた。

話をヒプノセラピーに戻すと、セッション中に親子3人でピクニックに行ったが、このピクニックを選んだのは私だ。なぜピクニックなのか理由はわからない。そこで思いっきり父に甘えたが、その時の記憶?イメージ?は今でも鮮明に残っている。

それと、もう一つ大切なシーンがある。私が両親の場所から離れて1人で芝生の上で遊んでいると両親が笑顔で話している姿が見えた。とても仲が良さそうで私はそれを見て心の底から安心した。

私の潜在意識は何をしたかったのか?

両親が仲良く話す姿と、父にくっついて甘えるという本当なら現実世界では実現できないことを、催眠とイメージを使って実現させて完結したのだと思う。

それが、イメージなのか現実なのか、潜在意識にはわからない。

私のパニック障害と強迫性障害が、ヒプノセラピーのセッションで改善されたのは前にも書いたが、脳はパソコンのハードディスクと同じで上書き保存ができる。潜在意識も全く同じで、新しい記憶を作り上書き保存をしたことで起きたことだと思う。

私が思うには、過去というのは何度も反復した事を過去と認識するのだと思う。それによって出来上がった脳内のシナプスはより強固になり、ひょっとしたら過去の記憶の大部分は自分が勝手に作った妄想かもしれない。

その感情が不安や恐れ、悲しみであれば、その過去の記憶は脳にまんまと騙され、勝手に作られた記憶かもしれない。

そうだとしたら、自分で新しいストーリーを作り変え、今日から楽しい記憶と感情を反復すればいい。

私の幼少期の記憶も、本当はどこかが違っているのかもしれない、不甲斐ない自分に言い訳ができるように、脳が勝手に書き換えたのかもしれない。脳と潜在意識にとっては簡単なことだと思う。過去が事実だとしても認識や感情は変えられる。

現実にあった苦しい過去でも、少し味付けを加えれば、いいものに生まれ変わる。解釈を少し変えればいい。

新しい認識が生まれれば、新しい思考が生まれ、新しい出会いや可能性が広がるかもしれない。それを可能にするためにも潜在意識を知り、自分のさじ加減で味付けを変えればいい。

そう、潜在意識の味付けは自分で自由にできる。過去の解釈を変えれば未来も変わる。それがヒプノセラピーだと思う。


最後までお読み頂きありがとうございます。サポートのお金は今後の学びのため使わせていただきます。