見出し画像

三日坊主、飽きっぽい...自分を責める前に『裏返す』。

「『継続は力なり』っていうでしょ。毎日続けることが大事なんだから。」

親にも学校の先生にも散々聞かされたテンプレなセリフ。いや、知ってるよ。もう耳にタコができちゃうってば。そんな子供時代を育った自分は、継続すること=頑張ること=苦痛という概念が出来上がっちゃっていた。

自分から言いだしたゴルフスクールも、受験勉強も、ギターも、気がついたら熱が冷めて途中で投げ出し、足伸ばし、ほったらかし。

現に大人になった今でも、趣味も仕事も中途半端。その挙句自己嫌悪に陥っちゃう。

でも最近、そんな飽きっぽい自分の思考回路、考え方が見えてきた。

自分の場合は性格上、とにかく完璧主義。何かを始めるとなったらまず道具を一式揃えないと気が済まない。ゴルフだったらゴルフウェア、クラブ、グローブ。受験勉強だったらまず新品のノート、シャーペン、綺麗な勉強部屋。出だしが肝心。最初躓いたら全て上手くいかなくなる

そのことは初投稿でもちょこって言ってた(笑)

んで結局どうなるかというと、その初めの準備段階で疲れて「もういいや。」ってなる。そしてその自分に対して「ああ、自分はダメなやつ...」と自責してしまう。

そして挙げ句の果てには、

小学校の頃にゴルフ頑張っていれば今ごろプロゴルファーになってるかも...

ギター続けていたら趣味として今でも気軽にカッコ良くギター弾けてるかも...

ありもしない延長線上の未来「かもかも世界」に入り浸る

もうこうなってしまったら地下鉄でよく見るスーツヨレヨレでもぬけの殻になってるリーマンの仲間入りになっちゃいそうで不安が募る。

別に完璧主義で飽きっぽい自分を否定したいわけじゃない。でもちょっとのことでつまづいてその度に落ち込む時はトコトン落ち込む。そして挙げ句の果てに逃げる。

側から見たら確かに典型的なダメ人間に映るかもしれない。自分だってそう思う。

...でもそれって情けないことなの?そんな考えはいけないことなの?

最近知り合って今ではもう悩みを打ち明けれるような仲になった親しい友人にそう言われた。

そうやって自分自身を分析できてること自体がすごい。

...びっくり。それが当たり前だと思っていた。でも当たり前にできない人だっている。自責はするけれど、でもその自責って自分を分析できてるからできること。

前準備で疲れちゃうことだって、それだけ熱心になれるってことは好奇心が旺盛ってことだし、ちょっとでも良い方向に事が進むように計画的な思考になれるってことでしょ。

「かもかも世界」に入り浸ることだって、発想力豊かじゃないとその「世界」にすら入れないじゃない。

「短所と長所は裏返し」ってよく言うけど、まさにそれだった。自分は自分の良いところを全部短所として見ていた。

もう、ここに気付ければ勝ったも同然。自分みたいな完璧主義なくせに飽きっぽい人の対処法。

要は、全部「裏返し」にする。

「あ〜あ、今日も運動ができなかった」⇨「でも逆に語学勉強ができたじゃん」

「友達とオンラインゲームしすぎて語学勉強できなかった...」⇨「でもコロナ下でも友達と交流深めれたな」

「友達と交流できてない...」⇨「でも家でゆっくり自分の時間が作れたじゃん」

何かが「できなかった」ってことは、その分何かが「できた」はず。

だったら「できなかった」を「できた」に裏返してあげたらいい。

シンプルな作りで味気ないアウターだって、実はリバーシブルかも知れないじゃん。

丈が微妙なデニムも、下の方を折り返してみたらおしゃれになるかもしれないじゃん。

悪いところが目立つなら、とりあえず「裏返してみる」。

「できた」を増やしてあげることにフォーカスするのが大事。

何かに対して「継続」ができないことにも、何か別な重要な意味合いがあるはず。もしかしたらそれが自分に合ってなかったのかもしれない、もしかした合ってるものがまた見つかるかも。

これを習慣にすることで、結構気持ちが楽になった気がする。

ストレスで溢れることの社会、どうせなら、楽しいことに目を向けて自分の状態だけでもアゲてくことって、大事なのかもね。

この記事が参加している募集

習慣にしていること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?