No60 障害福祉の「ありのまま」の弊害

ありのままの自分を認めることが美徳とされ始めてからなのか、時代の流れなのか分からないけど、格差が広がり貧しい国になっているように見えるのはなぜだろう。
障害福祉の世界では「ありのまま」を尊重するという風潮がある。
障害特性に寄り添い支援をする考え方なのだが、それ自体はまあ特段反対意見を言うほどのものではないと考えている。合理的配慮に関しても、もちろん必要なことだと思っている。
ただし、その考え方が極端になりすぎることの弊害はとても大きいと感じている。まず、現実的に「ありのまま」で生きることはこの社会では許されていない。嫌いな人がいても、例えいじめられた仕返しだとしても、人を傷つけることは法律で許されていない。だから自分の感情のありのままを表現し行動するとペナルティが存在する。
他にも仕事がめんどくさくても、休めば給料に反映されるし、税金を払わなければ給料や財産を差し押さえられる可能性も出てくる。ありのままの自分で生きることは反社会的な側面もあることだと私は認識している。
それが今の現実の私たちが暮らしている社会だと思う。
なのに、障害福祉の分野では「地域で共存」と言いつつ、問題行動があった時には「障害特性」だから仕方ないとか、「ありのまま」を認めて欲しいという。でもさ、そんな状態で共存って無理じゃないのかなと思う。
合理的配慮ってさ、ルールを視覚化したり、その人に分かる形で伝える配慮なのであって、障害者だからとか、分からなかったんだから、物を壊しても仕方ないということではないと思うんだよね。ルールは平等であるべき。
障害者だからとか、政治家だからとかそういうことで無法地帯を作ってはいけないと思うんだよね。ありのままという特別ルールを持ち込む人って殆どが、障害者を可哀そうって思ってるんじゃないのかな。だから許してあげて欲しいって思ってる。でもそういう方向性でいくとさ、病気で明日死にますって時に、あいつだけは許せないから傷つけてやる!!みたいなのも許容するの?会社が倒産してやけくそになってたから人や物を傷つけても仕方ないってなるの?それは違うくない?
どんなに辛いことがあって感情を揺さぶられたとしても、判断能力が鈍ったとしてもしてはいけないことは誰も平等にダメなんだと思う。
そういう前提があるから、私たちは今この日本で安心して暮らせているんだと思うしね。正直、福祉の仕事をしている人たちも、この許容しすぎることの弊害にうんざりしていると思う。
許容する(ありのままを認める)自分に酔ってる人もいるんじゃないのかなって思う。でもさ、それって無責任じゃない??
私は許容します、でも社会は許容してくれないから社会は悪だって言い分なんだとしたら、そっちの方がとんでもない差別主義者だと思う。
差別をしないために、ルールや法律があったり、社会保障があったりする。教育を受ける権利だってそうじゃない?
子どもも、障害者も、高齢者も、みんなが納得して助け合いたいと思える社会じゃないと破滅に向かうだけだと思うんだよね。
なぜ子供やお年寄りを大切にしなさいと言われるのか、それは来た道、行く道だと言われているけど、障害者も同じ。私が明日障害者になるかもしれない。だからどの立場になってもこの国で安心して暮らせるという前提はとても大切だと思う。
だけど、だけどそこには上限が必要だと思う。
例えば5歳の子が、この少子化の中で生まれたこの俺様をもっと可愛がれ。服はブランド物しか着ないぞ、だからこども手当は月10万円だって言ったとして、その子を大切にしたいと思うだろうか。
障害者の方が、障害者の気持ちがお前たちには分からないだろう。こんなに毎日生活するのに大変な思いをしているんだ。24時間体制でヘルパーを派遣するくらい当然だろ、しかも若い女性で頼むな!と言われて、寄り添ってあげたいと思うだろうか。
お年寄りの家にヘルパーとして訪問して夕食の調理をして提供したら、「こんな粗末なもの食べれるわけないでしょ。私たちは長年税金納めてきたのよ、フルコースくらい出しなさいよ」って言われてその願いを叶えたいと思うだろうか。
自分勝手な主義主張を認めたらきりがないと思うし、それは最早社会保障の範疇を逸脱していると思う。実費でその要望を叶えてくれる人を探してサービスを受けるのは一向に構わないし、むしろそれは積極的に応援したい。
だけど、権利の主張を逸脱して権利をふりかざし、無理難題を主張する人とは仲良くなれないなと思う。
そもそも福祉サービスは無料で受けられるものが多い。負担額があったにしても格安。だから利用するという人もいる。本当は利用する必要のない人も、長期間に渡って利用することだってある。
福祉がサービスという名前になった弊害も大きいのかもしれない。
世間的にはサービスはすればするほど喜ばれるイメージがあるし、その過剰なブームみたいなものに乗せられてしまったのかなって気もしている。
そしてサービスという割には、他業種のように儲けようとすると白い目で見られ、儲け主義の事業所が福祉サービスの質の低下を招いているとまで言われている。一体、福祉はどうあれば認められるのか。
どこに向かっているのか。
長年この仕事に携わっている私にも読めない。
専門職種として確立するならば、サービスとしてきちっとした対価をいただき、必要な人に必要な質と量を提供することだと思う。
過剰に何かをする必要はない。
医療も本来はそうだと思う。薬の量も決まっている。過剰にすればするほど良いなんてことはない。薬の量が多すぎて致死量になる場合もある。適量だから効果があるものだ。
本来のあるべき姿に戻ること、足し算ではなく引き算。今やるべきはそこだと思う。
権利の主張ばかりする人に耳を傾けすぎる必要はない。そして声にならない声を聴くことは大切だと思うけど、声にならない声を側にいる誰かが誇張することは必要ない。それよりも、その人がどうすれば声をあげれるか、伝えられるかを考えることの方が大切だと思う。
みんなが身勝手に権利の主張ばかりをする世の中になったら、どうなるんだろうね。税金払いたくない、社会保険料なんて納めたくない。社会保障費は自分で蓄えておくから、人のためには1円たりとも使いたくない。
極端だけど、そんな世界に今近づいているように見える。
みんなが「ありのまま」に生きるとそういうことだって起こり得ると思う。
子どもは親の背中を見て育つという。
今、日本のトップに君臨する総理大臣や政治家の背中を見て、私たちはどう生きるかを問われているように思う。


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