えてがみ1

体質について

子供の時から元気だった感じがしない。
いつもどこか痛いかかゆいか炎症を起こしているか眠いかである。
だが夜だけは気持ちばかり元気である。

小児喘息で大発作が起きると呼吸困難になり体を横にすると気管支がつぶれて窒息するので、遅くまでテレビやラジオの視聴を許された。
そのため深夜放送や大衆音楽に親しみ「悪い時はどうぞぶってね」とか「夜明けのコーヒー2人で飲もうと」とか意味も知らずに歌っていた。
小学校中学年は入院でほとんど行っていないし、高校のときも親に車で送迎させていた・・・。
腰掛けで働いていた時も青息吐息で、結婚後もバイトしていたがつわりで急にやめて迷惑をかけた。本当に各方面に申し訳ないことであった。

健康になりたくないわけではなく色々と試したが、体質は変わらない。
転地療法で海の多い県に引っ越し、夏は毎週海水浴に連れて行かれ、漢方薬も飲んだ。祖母はおフダを取ってきた。
運動で鍛えようとしても心肺腎機能と自律神経が劣っているのだろう。悪いことしかおこらない。

そんなだから、本ばかり読んでマセて頭でっかちでひねくれた性格に。
世間を斜めからしか見られず皮肉しか浮かばない。
協調性もないから学校も嫌いだった。
または、そういう性格だったから社会活動で体調を崩していたのかニワトリと卵である。

良いことは無理やり思い出せばある。
期待しない、あきらめるのが早い。
インチキ健康商法と宗教に騙されない。

あとは・・次女が同じ体質だが、アレルギーの各症状を体感で知っていたため、あわてずに対処できたこと。
子供が咳や発作で苦しんでいる様を間近で見続けるのは親としては大変つらいことで、ついつい救急車を呼んだり、大病院に駆け込んでしまう。
私も3回くらい救急車に乗り近所の見世物になった。
当時はまだアレルゲンの特定も大病院でしかやっておらず、エキスを皮膚に一個ずつ注射して腫れ方で特定していた。
薬も強いものが多用され効かなくなっていき、発作も重くなる。

そんなだったので、余裕綽々で「寝ているしチアノーゼも出ていないな」などとホクナリンテープを貼り替えたり水分とらせたりして夜を越した。
良い予防薬も出たし、東洋医学も取り入れ、なんとかコントロールした。
高校の通学時間がかなり長くなり心配だったが、有難いことに卒業式で皆勤賞メダルをとってきた。成績優秀メダルももらっていたが皆勤賞は他ならぬ私の手柄と思っている。

書いていて少し虚しい。今も相変わらずパートにも出ず引きこもっている事実。しかし多分パート代はその分だけ医療費に使われマイナス勘定になるだろう。
そしてあちこちが痛いなどとぼやいていると大概の人は「そういう人ほど長生きする」というのは何故なのか、私にはわからない。








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