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【リバース1999】ピクルスの元ネタとなった哲学者【徹底解説&考察】




今回は犬好きから大絶賛されているモフモフの哲学者、ピクルスのルーツを考察を含めて解説していきます。


彼の大本のルーツになっているのは、1966年に起こったリメ・カップ窃盗事件で一躍英雄となった名犬ピクルスです。

事の発端は1966年のワールドカップで優勝したイングランドに渡されるはずのトロフィーが窃盗されるという事件が起こりました。
ロンドン警視庁が総動員して捜索するものの見つからなかったのですが、とある日ピクルスが散歩に出かけた際、車の下にあった新聞紙に巻かれた優勝カップを見つけました。
こうして彼は一夜にしてイングランドの英雄となったわけですが、翌年に猫を追っかけようとした際、リードが枝に引っかかってしまい亡くなってしまいました。

これはバトル勝利時の台詞に関係しているかもしれません。

・元ネタとなった哲学者

ではここから彼の元ネタになった哲学者を探っていこうと思います。

まず【ミディアム】の哲学的思考ですが、これはフリドルヒ・ニーチェが該当します。

彼はドイツの哲学者で永劫回帰や『神は死んだ!』という言葉で知られています。

ニーチェは1844年に産まれ、彼の父親はニーチェが5歳の時に亡くなりました。その理由は階段から降りる際、下に子犬がいてコケた事が原因と言われております。

幼少期から家族唯一の男手となってしまったニーチェはその後、音楽家を目指すがワーグナーから酷評を受けたり、大学教授になったり、仏独戦争では衛生兵として従軍したり、様々な経験を経て哲学者となりました。


ここからニーチェとピクルスの関連性がありそうな情報を上げていきますが、まずやはりニヒリズムが挙げられるでしょう。
ニヒリズムとは人間の人生は本質的な価値はないと主張する哲学で、暫し世間からはネガティブな考えと認識されております。

ピクルスの『ぬれぎぬ』と関連性のある逸話がありまして――
ニーチェのメモを妹がナチスに売り渡し、それがナチスのイデオロギーとなったことで、ナチスとの関わりと疑われることになりました。
本当の彼はナチスの半ユダヤ主義に反対していましたが、優生思想や神の存在を否定したりニヒリズム的な考えを持つ人間だったため世間からは信用されませんでした。

次に『ボールの慎密』は、ニーチェの有名な著作である『ツァラトゥストラはこう語った』の一部から引用されていると思われます。

『ツァラトゥストラはこう語った』はゾロアスター教の開祖であるゾロアスターを主人公にした作品で、彼は冒険の中で哲学を模索していくお話です。

そして彼が悟りを開いた時に”ボール”という言葉を形容して、『永劫回帰』の本質を理解します。

「すべては去り、すべては戻ってくる。存在の車輪は永遠に回転します。すべてが死に、すべてが再び開花し、存在する年は永遠に続きます。
すべてが壊れても、すべてが再び元に戻ります。同じ存在の家が永遠にそれ自体を構築します。すべての部分、すべてが再びお互いに挨拶します。存在の輪は永遠にそれ自体に忠実であり続けます。
存在はあらゆる瞬間から始まります。ボールはあちこちに転がります。真ん中はどこにでもあります。曲がった道は永遠の道だ。」

ツァラトゥストラはこう語った



そして最後に『ピクルスはこう語った』は、ニーチェが最後に書いた本の『エッケ・ホモ』から引用されていると思われます。

『エッケ・ホモ』では自分の作品である『ツァラトゥストラはこう語った』を否定的な言葉を用いており、”即物的な考えを捨てろ”という意味合いで
"彫像に殺されないように気をつけてください”と言っています。

これはウルトで彫像が落ちてくるので関連性があると思えます。


さて、弟子たちよ、私は一人で行きます。あなたも、今すぐ一人で行きなさい。
だから私はそれが欲しいのです。
私から離れてツァラトゥストラに抵抗せよ!そしてさらに良いのは、彼を恥じることです!おそらく彼はあなたを騙したのでしょう。
知識人は敵を愛するだけでなく、友人を憎むこともできなければなりません。
いつまでもただの生徒でいると、先生にひどい恩返しをすることになります。そして、なぜ私の花輪を摘みたくないのですか?
あなたは私を尊敬しています。しかし、ある日あなたの尊敬が崩れたらどうしますか?
"彫像に殺されないように気をつけてください”

Ecce Homo



・ディオゲネスとの関連性

続いて『本源』の犬哲主義ですが、これは犬儒学で知られるディオゲネスが当て嵌まると思われます。

ディオゲネスは古代ギリシアの哲学者で、彼は貧困を美徳としており、居住を神殿の階段の片隅を住処とし、皿を使わず物を食べ、ズタボロの布切れを纏ったりと、人間らしい衣食住を捨て犬のような生活をしておりました。

そんな彼ですが頭は切れるようで、プラトンが人間を”羽のない歩行者”と定義したとき、ディオゲネスが鶏の羽をムシってこれが人間かと皮肉ったりしておりました。

ディオゲネスとピクルスの関連性を話していきますが――
まずニーチェが哲学の道を目指すきっかけになった”ディオゲネス・ラエルティウス”(前者のディオゲネスとは別人)という人物がおり、彼は先程のディオゲネスの逸話などを書き残しております。

そしてウルトの『ピクルスはこう語った』に出てくる神殿は、ディオゲネスが住処にしていたキュベレー神殿と思われます。

またウルト発動時の台詞から考察するに、これは宮殿の階段を住処にして犬のような生き方をして人生を謳歌したディオゲネスと、子犬のせいで階段から落ちて亡くなってしまった父を持つニーチェを対比しているのではないかと思われます。


・資料やユーディモや補足説明

まずは文化1のインディゴドックですがこれはインディゴチルドレンを言い換えた言葉のようです。
インディゴチルドレンとは60年代に出てきた思想で、発達障害を持っている子供達を特別な能力を持った『超人』であるという考えです。

これの関連性についてですが、ニーチェは優生思想が強かったため障害者に対して批判的でしたが、『超人』という概念を提唱していました。

メタ的な考察になってしまいますが、もしかするとニーチェの負の部分をなくすために、彼の思想と真逆である『インディゴチルドレン』という超人の概念を取り入れたのではないかと考えました。

An Ingido Dog

1960年代には、伝統的な "仲の良い家族 "が減少し、ペットが家族の絆を深める重要な役割を果たすようになった。騒々しいペットショップに足を運び、フワフワで騒々しい新しい家族を増やそうと計画する人が増えていった。

熱狂的な子犬が常に引っ張りだこなのは間違いない。ゆらゆらと揺れる尻尾が足元を行ったり来たりし、歯がズボンの足と密接に囁き合い、手に持っているフリスビーや弾むボールを欲しがる。抵抗するのは難しい。

しかし、どんなにプロフェッショナルな犬舎でも、はぐれ犬とは無縁ではない。その白黒の人影はいつも檻の奥の縁に沿って隠れており、その目は不揃いな真紅の鉄格子を横切り、喧騒の群衆や窓の鉄格子を通り抜け、どこの誰だかわからない隅に着地していた。

"おい、相棒!"乱暴な手が均衡を破った。もう一人の男は首の後ろとあごをさすりながら、まるで長い間会っていなかった旧友のように、淡々と言った。"見ろよ、この深い思考の持ち主、今まで見た中で一番変わった犬だ"

彼は赤と白の紳士も覚えていた。


ユーディモは星座関連のものだと推測しており、彼の彫像に該当しそうな『大理石の彫像座』というものがありました。

これはウィリアム・クロスウェルという人物が考案した星座なのですが、現在は使われていない星座です。
また彼が考案した星座にモモンガ座というものがあります。
メラニアのユーディモがモモンガなので、ピクルスと仲間である彼女と関連性があるため信憑性はあるのではないかと考えました。


・まとめ――

【本源】犬哲主義=犬儒学/ディオゲネス
【ミディアム】哲学的思想=ニーチェ

彼の考え方はニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』の主人公に似ているんですが、本源が犬儒学/ディオゲネスになっているのは少し疑問です。

もしかするとツァラトゥストラでは『人間の殻を捨てたものが超人になれる』といわれているので、人間性を捨て犬のように生きたディオゲネスはある意味ニーチェが定義した『超人』に当て嵌まります。

よって究極的なニヒリスムを体現したディオゲネスが本源となっていると考えました。



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