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フィクションとノンフィクションの境目

最近サピエンス全史を読み出したことで
これまで以上に「フィクション」という
ワードが気になり出しているSISです。

これまで私は書籍でも映画でも
あまり「フィクション」とされるものには
興味がなく
「ノンフィクション」とか
実生活に役に立つ「実用書」などを
中心に手に取っていました。

しかも過去にはこんな投稿も
しています。↓

一般的には
「フィクション」とは創作物
「ノンフィクション」は史実を元にした作品
と解釈されています。

ですがその境目なんて
実はないんじゃないかと感じ始めたのは
都市伝説の存在でした。

コロナ禍を経て
オカルトやSFから陰謀論になり
やがて現実味を帯びてきて
私が普段触れている実用書や
世界情勢などにも
それらのワードは進出してきて

今まで「嘘」だと思っていた世界と
「現実」だと思っていた世界の
境目がなくなってきたように感じました。

新世紀エヴァンゲリオンに出てくる
「人類補完計画」も
ONE PIECEに出てくる
「Dの意思」も「太陽を作る計画」も

私たちの住んでる世界にもあるんかい
と衝撃を受けました。

昔からよく聞く言葉で
「私たちが想像できるものは
 すべて実現可能である」
という言葉も
こどもの頃までは半信半疑でしたが

コロナ禍や様々な時代のうねりや
サピエンス全史を見た後の私には
幾分か頷けるものが出てきました。

今まで「創作物」とされていたものが
次々と現実世界に誕生する中で

「ノンフィクション」とされている史実ですら
「きっと盛られているだろう」ということも
大人になるにつれ
想像が出来てきます。

人間の記憶というのは
実に曖昧なもので
時間が経てば経つほど
誰が言っていることが真実か
曖昧になっていきます。

これは私が生きている数十年の中でも
たびたび起きており
以前その具体例として
1980年代は日本人のほとんどが
毎日髪を洗っていなかったことを
忘れている人が多い
という話をしました。

割と人間の記憶というのは
都合のいい解釈で
簡単に捻じ曲げられてしまうのです。

まして作品として世に出すのならば
様々な忖度や都合が働くでしょう。

ありのままだと面白くないストーリーを
少し脚色して盛り上げて
うまく起承転結に持っていく

それが出来なければ作品としては
成り立たないのです。

ここで「フィクション」と
「ノンフィクション」の違いを
登場人物が完全に架空の人物であるか
という定義があるとしましょう。

これもまた最近だと
実在した戦国武将などを使った
ファンタジーなども作られているので
ますます境目がなくなっていきます。

逆に「フィクション」とされるものに関しても
必ず現実世界に通づるものがあります。

おそらく登場人物や舞台背景などが
全くの仮想の世界であっても
作者が現実で体験した出来事をベースに
その世界は練られているのでしょうから。

「フィクション」が面白くない
と言っていた時の私は
「フィクション」の中にある「リアル」を
見つけられていませんでした。

いつの時代も「フィクション」が
受け入れられるのは
その中にある「リアル」を
現実世界に落としこむことが
出来るからだと思います。

そして「フィクション」は時に
リアルな私たちの感情を動かし
行動までも変えてしまうのです。


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