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ししおのつぼやき13 訳たたずの映画タイトル

すごい映画を見てしまった。
9/15(金)公開『キリング・オブ・ケネス・チェンバレン』公式サイト (kokc-movie.jp)
医療用通報装置を誤作動させた心の病をもつアフリカ系の70歳の男性が警官たちに押し入られ殺害されるまでのすさまじく緊迫した状況を、演技、カット、編集、音すべての圧倒的な表現で描き出す。(警官がドアを激しくたたく音はエンド・クレジットでも使われ全体の基調音となっている。)背景も時間も空間もいっさい余計な説明はなく、リアルタイムでチェンバレンとその家族、声だけの医療機関、警官たちや住民の現場でも言動だけで観客に人種間の緊張と社会の暗部と心理の危うさを十二分にアジテートする演出技術は見事としかいいようがない。精神と心臓を患うチェンバレンと同様に精神や心臓の弱い観客には耐え難いほどのストレスを与えるが映像表現の吸引力には抵抗できない。今年見た映画では(まだ9月までだが)ぶっちぎりベスト1だ。(アフリカ系移民の貧困や差別を扱った映画としては、『パラサイト』とアカデミー賞を争ったフランス映画『レ・ミゼラブル』もすごかった、日本では定着した韓国映画でユーモアあふれる『パラサイト』のほうが日本の観衆を引き付けるのはわかるが、一瞬たりとも観客サービスをせず、文化も歴史も異なる外国人を引きずり込む緊張感では『レ・ミゼラブル』がはるかに上だ。『パラサイト』の受賞をひとり酒場で祝った私でもそう思う。子どものときからなぜか黒人差別に戦ったキング牧師を尊敬していた。マルコムXカッコよすぎて今でも気になる。自伝も読んだしスパイク・リーの映画も見た。コミックスも読んだ。写真=Written by Don Hillsman and Ryan Monihan, Art by Don Hillsman, The Life and Times of Malcolm X, Millennium Publications, 1993; cover by Stine Walsh [detail] )
……と、ここまで絶賛できるのだけど、日本語のタイトルの「キリング・オブ・ケネス・チェンバレン」って何とかならないのか! 日本語化していない「キリング」をちゃんと訳せ! ポル・ポト政権下での大量虐殺が行われた場所(かつ映画タイトル)「キリング・フィールド」なら特殊な時空間をさすから訳しにくいのはわかるけど、この場合は文字通り「殺し」とするべきだ。)

 「ケネス・チェンバレンの殺害」
 「チェンバレン殺し」
 「殺されたケネス・チェンバレン」
 「ケネス・チェンバレン殺害事件」
 「警官が殺したケネス・チェンバレン」
実際の事件を知らない外国人には人名は意味をなさないし、「チェンバレン」だけでは人名とも認識されないので「警官に殺された黒人」とか……「黒人」はまずいか。しかし「アフリカ系」では日本人に伝わりにくい。
 全部だめとは思わないが、アメリカでのアフリカ系住民のイメージを日本人に伝えるのは確かに困難だ。映画のきりつめた表現からタイトルもくどくど説明するのも適切でない。
 あるいは「殺し」「殺人(事件)」「殺害」などをタイトルに入れると集客に問題があると思われたのだろうか? 『パラサイト』を韓国語原題のまま『寄生虫』としてしまうとさすがに気持ち悪がられる恐れはわかるが。
しかし一瞬たりとも遊びもサービスもない『……チェンバレン』には、いくらアメリカで高い評価を受けたといっても、もともとそんなに多くの日本人が見ることは期待できないだろう。『コンフィデンシャル  国際共助捜査』のヒョンビンとか『福田村事件』の田中麗奈みたいなのが出ているわけでもないし。
 つぼやき3(なぜかアクセス数最多)に書いたように、タイトルはちゃんと日本語の日本人メインターゲット向けに、簡潔かつインパクトありかつ内容ないしは「売り」を凝縮したタイトル(カタカナがいいのならそれもあり)にしてほしいのだが、この映画の翻訳の問題はほかにもある。

 最初のクレジットの字幕もおかしい。「この映画は…true storyに基づく」だったと思うが、それを字幕は「真実に基づく」としている。ここは「実際に起こったこと(事件)に基づく」でないといけないだろう。「真実」なんて抽象的なことではなく、かつ、この事件は(チェンバレン自身が幾度となく語ったように)法的にも道徳的にも「真実」という言葉とはあまりに違和感があるからだ。
 
 映画タイトルというだけでつなげるなら、これもおかしい。
映画『猫と、とうさん』公式サイト (catdaddiesjp.com)
 元は「Cat Daddies」ですよ? ここで出る猫好き男性は「とうさん」=父親という役割で出てきませんよ? 日本語で「オヤジ」は「父親」と、親以外の中高年男性をさすのだから、『猫おやじ』でもいいし、「おやじ」という言葉に清潔感がなく猫好き女性が引いてしまうのをおそれるなら、『猫おじさん』でもいい。もちろん「叔父」の意味ではなく年上男性への親しみをこめた「おじさん」のことだ。さらに猫好きをねらいたいなら『おじさんは猫大好き♡』『猫ラブおじさん』とか。ただ『猫ととうさん』とすると前に書いた助詞とそれ以外のひらがなの結合を読点(、)で避けて、親しみやすくする工夫は評価していいけど、やはり「とうさん」はおかしいと思う。
 
 外国映画のタイトルの日本語訳の問題は実は「つぼやき3」の続きで「外国語篇」として書いていた。映画産業全盛時代には、日本人向けに原題から離れた素敵なタイトルをつけていたのだから。(でも今ではそういう才能のある人たちは映画産業にも文学にも行かないでITとかネットとかアニメとかにいっちゃってるんだろうな、ものすごい画力のアニメやマンガ見ると、そういう人は美術やらないんだな、と思う)
 ちょうど、映画の出来は最高なのにタイトル訳の工夫がなさすぎる例にでくわしたので「つぼやき3」続編はほっといて別の流れで書いたのでした。「外国語篇」いずれ復活するかも。
(10/6 写真変更)