#183 賢治の信仰と父の信仰 【宮沢賢治とシャーマンと山 その56】
(続き)
宮沢賢治が、信仰や思想について並々ならぬ興味と知識を持っていたことに対して、父・政次郎もまた、信仰や思想について、賢治と同等か、もしくは、賢治以上の興味や知識や経験を持ち合わせていたのではないかと思われる。
暁烏敏などの、当時の浄土真宗の思想的リーダーを花巻へと招くのに、どれほどの費用が掛かったのかわからないが、政次郎はそれを可能にするだけの財力と同時に、信仰に対する興味や情熱を持っていた。しかも賢治より一世代前の人間として、明治維新によって失われつつあった多様な信仰の世界についても、身をもって体験していた可能性が高い。政次郎の上の世代である、賢治の祖父・喜助に至っては江戸時代の生まれでもあり、喜助と政次郎との世代間における信仰や思想上の断絶は、賢治と政次郎の断絶以上のものだった可能性もある。
浄土真宗の新たなリーダー達をわざわざ招き、貪欲に新たな信仰を取り入れようとした姿勢も、そのような自らの体験が根底にあり、賢治と激しく対立しつつも、最終的に突き放すことはない態度も、過去の自分自身を賢治に重ねていたのかもしれない。
政次郎の信仰や思想などについての資料は目にする機会はほとんどなく、想像の域を出ないものではあるが、賢治の信仰や思想の形成において、政次郎が大きな役割を果たしたのは間違いないあろう。
家出中の賢治と旅をした政次郎は、旅の間、賢治と共に何を目にし、何を語ったのか?
なぜ、行き先として、伊勢と京都を選んだのだろうか?
【写真は、賢治の父 政次郎が仏教講習会を開いた花巻・大沢温泉】
(続く)
2024(令和6)年5月6日(月)
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