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#186 賢治と比叡山と日蓮【宮沢賢治とシャーマンと山 その59】

(続き)

宮沢賢治にとって比叡山での経験が大きな転機となったと考えられることや、その後の賢治の創作活動が比叡山の信仰と共鳴するからこそ、賢治の歌が比叡山に掲げられているのではないかと思われる。

しかも、賢治の碑がある場所は、比叡山全体においても最も重要な建物の1つである根本中堂のすぐ脇であり、賢治の碑の隣には最澄の少年時代の像が建っている。なぜこれほどまでに賢治の碑が、比叡山における重要な場所に建てられることとなったのか、事情はわからないが、数々の文学者達が文章に残した比叡山にあって、賢治の存在が別格の存在であることを現しているようにも見える。

また、政次郎が賢治を比叡山へ誘った理由としては、天台宗が、賢治が生涯信仰した法華教を最重視している、ということが挙げられると思われる。法華教は、賢治が父と激しく対立した日蓮主義における最も重要な経典だが、天台宗においても最重要視される。
法華教への強い信仰から、日蓮主義を熱烈に信奉していた賢治に対し、法華教が持つ広がりを伝えたかったのかもしれない。

加えて、日蓮宗の開祖・日蓮はもとは比叡山で修行を積んでいた。比叡山にある横川が日蓮の修行の地でもあるが、同じ比叡山と言えども、横川は、父子が訪れた根本中堂からは遠く離れており、二人が訪問することはなかったようだ。日蓮修行の地を訪れなかった理由が、時間が足りなかったためか、二人の宗教上の対立によるものかはわからない。ただ、根本中堂がある東塔と横川の距離が、容易に足を伸ばすことができないほど離れているということが、比叡山の巨大さを現している。そして、比叡山で同じ天台宗を信仰しながらも、その後、様々な僧たちがそれぞれに新たな信仰を生み出すことにも繋がったようにも思われる。

なお、日蓮の修行の地は、根本中堂のある東塔から見て最深部にある横川の中でも、更に奥まった秘境とも言える場所にあり、その事実だけでも、日蓮が信仰にかける想いの強さのようなものも感じられる。

【写真は、比叡山の日蓮修行の地 横川定光院】

(続く)

2024(令和6)年5月9日(木)


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