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7.経済連鎖を超えて。これからの人間社会は「文化連鎖」でつながる

この連載について
前回「ソーシャルイノベーションを呼び起こす 「意味」を超える「意義」の力」はこちら

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北村
連載第一回で「好奇心」をテーマにお話した時に、食物連鎖や経済連鎖だけじゃない、人間どうしの新しい連鎖のありかたがあるのでは?という問いが上がりました。金山さんから、仮説として「文化連鎖」という言葉が出たのがすごく面白かったので、今回は「文化とは?」を深掘ってみたいと思います。

金山
文化連鎖っていう言葉がどこから出てきたのかをお話すると、起点はダイバーシティっていう言葉への違和感なんです。

多様であることを表すのに、ダイバーシティとかバラエティとか言葉はいっぱいあるじゃないんですか。その中で、なぜ今、時代はダイバーシティということを人間社会に持ち込もうとしてるのか、すごくひっかかったんですね。それで考えていったら、ダイバーシティっていう言葉を使っているのはすごく面白いなって思って。

多様性をバラエティって言ってしまうと、そこに関係性っていう意味合いはなくなるんですね。バラエティパックって、チョコのおせんべいもうまい棒もなんでも入っていて、なんとなくいっぱい入っているからどこかにあなたの好みあるでしょっていうおトク感と確率論のパッケージングな気がして。一方のダイバーシティ、生物多様性-バイオダイバーシティ-が最初のダイバーシティっていう言葉との出会いなんだけど、つまりはエコシステム、関係性の話をしている。

じゃあ、今の時代や社会に、どんな多様性と多様な人間どうしの関係性が必要なのか?と考えたときに、人間はもう食物連鎖の頂点に立ってしまっているわけだから、その先で、食物連鎖と同じくらいの連鎖機能を持つべき存在なんじゃないか、と。資本主義社会で読み解くと経済連鎖があるんだけど、グローバルな地球環境問題が出てきていたり、人間らしさや人間の命の尊さをどう存続させていこうかという問いを起点にするなら、文化的な関係性・連鎖みたいなものが大事だなって当時思っててその話をしてたはず。食物連鎖の頂点で経済的な存在として在るだけじゃなく、もっと文化的で社会的存在になれないのか。

北村
人は衣食住がないと生きていけないけど、じゃ好奇心やひらめきや表現したい欲求だとか、そういったものがなくても生きていけるのか、あるいはそういったものだけで生きていけるのかっていう話になると、オートメーションやAIが進んでいって人間でなければならない仕事がどんどん減っている中で、むしろ好奇心やひらめきやクリエイティビティに身を委ねる気質がない人が生きづらい世界になっていっているのかなと私は思っています。なので、文化的存在としての人間の多様性が連鎖する「文化連鎖」ってめちゃめちゃおもしろいと思ったんですね。

金山
衣食住の充足とか産業振興とか便利さとかを目指して、われわれは産業革命以降ずっと経済連鎖をつくりあげてきたわけですよね。結果として、いっぱい作っていっぱい売れればいいっていう一つの法則の中で生きてきたけども、そうじゃない新しいエコシステム、文化が大事だと言ってる人は多い。けど、何をもって文化を大事にしているといえるのか、聞いてみると誰も何も答えてくれない。だから、そこの言語化をやってみたい。

文化って何?文化を創るとは?作り始めはどういうところから?文化ができたってどういう状態なのか?以前から、新子さんと話してみたかったんですよね。新子さんが勤めていたレッドブルは、21世紀型の文化創造カンパニーだと思っているから。

長田

レッドブルもだし、ノキアというフィンランドの会社に移ったときにヨーロッパの企業って文化をすごい大事にするんだなと思いました。何をしていたかというと、スノーボーダーとか、人々のコミュニティづくりをやっていた。レッドブルも、「翼をさずける」をスローガンに、小さなスポーツシーンを育てていこうという明確なビジョンを持っています。「この街の人たちは夏に湖に行って生活を楽しんでいる」とか「お昼休みに雪山に行ってスノーボードをする」といったシーンと、ブランドがともに育つ環境を意図的につくります。時間はかかるけれど、支えてくれたブランドに対して絶対的な愛をもつ"ブランドラバー"が生まれてくれるので、商業的にも意味が深い。

北村
「文化」を辞書で引くと、「自らの手で生み出した有形・無形の成果の総体」とあります。これと長田さんの話と重ねると、文化を創るって、人々が生み出す現場、シーンに共にありながらサポートしたりすることなんでしょうか。

長田
そうかもしれません。選手を10代からサポートし続けてオリンピックアスリートに育ったり、自然とそのスポーツのファンが増えてシーンを生み出す人が増えたりして、10年とかの長い時間をかけてひとつのカルチャーができあがっていく。レッドブルの場合は商品が一つしかないので、その商品を大事にし続け、一人のアスリートも小さなスポーツシーンも大事にし続ける。手間と時間をかけるスタンスが、文化創造に繋がっているんだろうなと感じます。

金山
時間でいえば、先日、京都市の門川大作市長と渋谷区のハセベケン区長が対談したときに勉強になったんだけど、京都は文化を1000年守ってきた自負があるんですって。世界的にも1000年文化を守った街はない。どんどんアップデートされるのが当たり前の中で、京都は時を止めるということを大切にしていきた町なんだと。一方の渋谷は、カルチャーの街と言われることもあるものの、新陳代謝が早くてどんどん変わっていく。すごく対極的ですよねって話をしました。

そこで生まれたのが、「渋谷という街が背負っていたのは文化だったんだろうか」っていう問いなんです。文化っぽく語るけど、トレンドやテクノロジーを次から次へと取り入れては捨てていくというだけだったんじゃないかとも思って。「渋谷の文化を作る」と言う商店会長のビルには、ハンバーガーチェーン、ファミリーレストラン、回転寿司チェーン、焼肉チェーンのお店が入っているんですよ。

北村
予防医学者である石川善樹先生のセッション「ウェルビーイングの本質」で、人間社会のエコサイクルは「学問→産業→文化」という順で進化を繰り返ししているというお話がありました。この3領域で言うと、大手外食チェーンは、たしかに文化ではなく産業という感じがします。だからこそ今、産業社会が成熟した次の段階としての文化を見つめ直すこと、定義すること、育てることが大切なのかもしれませんね。

文化とは?をより深掘っていくために、改めて、産業と文化の違いはなんだろう?と問いを投げさせてください。

産業は画一的な大量生産 文化は多様な自己表現?


金山
直接の答えではないですが、僕が文化度が高いと思ったシーンの話をさせてください。セッションに登壇いただいたスローレーベルのクリスさんに教えてもらって行った、クリエイティブグロスアートセンターというところ。サンフランシスコ郊外のオークランドという街にある、アウトサイダーアートの聖地です。

アトリエに行ってみると、車椅子の人、精神疾患の人、健常者の現代アーティストが分け隔てなく作品を作っていた。その場においては、障害者も現代アーティストも健常者もライバルで、種の触発しあっている空気だったんですよ。そして、その場をシリコンバレーの資産家がパトロネージュしている。

北村
渋谷区が掲げる「Diversity and Inclusion-多様性と包摂-」があった、ということですか?

金山
いや、むしろDiversity and Inclusionっていう概念自体が実は差別的なんじゃないかと気づかされました。「性的マイノリティ」「四肢障害」「精神障害」って分けておいてから「みんなで仲良く共生社会」って言うのって、裏を返せば「違うんだぞ」と分断を強調している気がして。「クリエイティブグロース」は、そうではなくて「全ては関係ないのである」と言っている。義務教育の教科書に載っていそうな、「文明社会なのだから共生社会でなければならない」というのとは違って、文化的な場としてやっている。そう感じました。

北村
文化と文明はよく対比されますが、「文明」の語源は、ラテン語の「都市」「国家」を意味するキウィタス(civitas)で、現在では特に18世紀後半の産業革命による技術革新、生産性の向上、社会の官僚化といった人間の外部に相当するものとして扱われるようです。「文化=精神的」/「文明=物質的」だったり、「文化=個別化・多様化」/「文明=普遍化・統一化」のような対比が使われることも多いようです。

金山さんがクリエイティブグロースアートセンターに感じた文化度の高さって、まさにこの文明との対比における文化の性質「個別的で精神的であり、そうであるがゆえに多様である」というあたりにあるのではないかと思いました。

金山
街に文化をインストールするための文化拠点とは?という視点で、クリエイティブグロースアートセンターで感じたことをもう一段階抽象化すると、そこに個人個人の肉体表現、感情表現、感性表現のアウトプットがあると文化だと思った。自分の肉体と向き合っている人がいっぱいいるとスポーツ文化っぽくなっていくし、想像力に向き合ってアウトプットしていくと音楽や絵画、写真という文化にもなっていくと思うし。文化は五感的って感じなんですかね。

北村
個々が表現していくと、結果的に多様になる、ということですね。一方で産業は、文化ではなく文明側の存在で、生産性が存在意義なので自ずと速く大量につくって売る方向にいく。そうすると、長田さんがお話しくださったレッドブルのようにはならない。

長田
当時、アスリートやアーティストとの向き合い方は、相当直接的で、できるだけ人の手を介さずに意思を聞いていました。シーンにいる人や周りにいる人からも、「自分たちはこう考えていて、レッドブルとはこうしたい」といった声を直接聞く。仮に広告代理店が間に入ると、代理店はスポンサーに対して言いにくいこともある。だからこそ、外注しないで、それを聞ける関係値を作るって大事だなと思った。つまり、手間ですよね。手間をかけることが大事。

金山
新子さんに、渋谷未来デザインにジョインしてもらいたいと声をかけた時、レッドブルでやってきたことの延長線上にある面白いシーンやアクションづくりをして、街をつくってほしいという話をしたよね。

長田
思ったより、全然できましたよね。

金山
潮目が変わってきましたよね。今って、文化創造していくちょうど潮目だと思って。語弊を恐れずに言えば、新型コロナウイルスに象徴される強制的な時代の転換点はある意味でチャンスで。ここで産業から文化への潮目をつくれなかったらもったいない気がしてるんですよね。

長田
今、区民や企業から「こんなこと考えてる」「こんなことがしたい」って、どんどん問い合わせも増えている。前職と違って、お金はないんですが。

金山
お金に関しては、「こうしたい」という欲深き個性と強い情熱で、お金を持っている人たちを集めてくるしかないですね。京都市の門川市長とハセベさんの対談では、最後のまとめで「文明は文化の餌」という表現がありました。「餌」は栄養源ということなんだけど。石川先生の産業から文化へと変遷するお話もそうだけど、文明のテクノロジーで時代をアップデートして、新しい時代で、どう文化的活動が進化し強くなっていくか、そのエコシステムだと思うんですよね。

江戸小紋染めとか狂言師とか、伝統工芸をやっている友達が同世代で多いんですよ。彼らがみんな言うのが、今、伝統工芸と呼ばれているものは、今の形が定義された時点では、その時代でもっとも革新的だっだと。新しい技術や様式を取り入れて、アップデートし続けてきたから今がある。続くためには、最も革新的である必要がある、とみんな言うんですよ。革新って何?っていうと、その時使えるあらゆるテクノロジーを美意識で取捨選択することなんだそうです。

例えば江戸小紋染では、型紙を3Dプリンティングすることはできるけど、それはやらないんだって言うんですよね。やっている人たちはいるんだけど、人間の手で掘るものの揺らぎがなくなり、味がなくなるから価値がないって。だけど、オンラインで物は売る。
そういう意味においては、渋谷はテクノロジーの流入が多い街だから、たくましく栄養源にして、文化創造していきたいですね。

長田
さっき、「思ったよりも全然できた」って言ったんですが、新しいテクノロジーを栄養源に今までにないシーンやアクションをつくっていこうとすると、ルールをどう扱うかっていうテーマが出てきます。5Gエンターテイメントプロジェクトなんかはまさに、5Gというテクノロジーを栄養源にしてどんな文化がつくれるかを実験的にやっているけれど、街単位で「みんなで」とか「みんなの」っていう公共性を持たせようとすると、既存のルールとの整合性が必要なんだけれども既存のルールや解釈ではOKともNGとも判断できないことが出てきたりして。どう解釈するのか、あるいは新しいルールをつくるのか。文化創造において、ルールをどう捉えるかってひとつの論点かもしれません。

北村
街にはルールがあって制約が多そうと思っていたけれど、意外とできたということですよね。そこには、長田さんや金山さんが持つルールを解釈するスタンスの取り方の妙、みたいなものがある気がします。次回は、「ルール」にフォーカスしてお話ししましょう。
(2020/8/7 16:00-18:00 @online)

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to be continued to

vol.8 ルールや規制は、感動を生む舞台装置。

構成・浅倉彩

SOCIAL INNOVATION WEEK SHIBUYA2020 は2020.11.7-15に開催。
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