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「私」のアイデンティティーの創り方

人は自分で考えて決断し、行動して何かを感じとり、新たに思考していく、そういったことを繰り返しをしていく中で、自分の傾向を掴み取って自分のアイデンティティーを獲得していくのだと思う。

「思考→決断→行動→感情→思考→決断→‥‥」といった流れを重ねていくことで、自分のやりたいことを見つけ挑戦するようになっていくのだと思う。

人は何かに挑戦することで夢中になれるものだし、夢中になるからこそ今を生きられるようになる。

そうやって何かに夢中になって今を生きられるようになると、人は幸せを感じられるようになる。

幸せとは、やっていて楽しいと感じることをすることであり、そういった楽しさが自分のアイデンティティーとなっていく。

だから、この「思考→決断→行動→感情→思考→決断→‥‥」というプロセスは、生きていく上で大事になる。

しかし、我々は思考はするものの決断権があまり与えられていないように思う。

このため、今の社会はアイデンティティーが育ちづらいのではないかと思う。

我々は幼い頃より組織社会の中での生活する時間が長いため、自分の考えを優先するよりも、組織の中での決め事を優先することが多い。

いろんなことを考える一方で、最終的には組織の決断を採用することが圧倒的に多いように思う。

学校の中でも、会社の中でも自分に与えられている決定権は非常に少ない。

場合によっては、家庭の中でも自分の判断で何かをするという機会が少ないこともあるだろう。

だから、今の我々は個人のアイデンティティーが育ちづらい社会の中で生きているといってもいいかもしれない。

自分はこれがしたい、こうやって生きていきたい、そういった思いを持っていたとしても、そこに決定権がないと、その次の行動に主体性を持てなくなる。

「ルールだから」、「そういわれたから」といった感じで仕方なく行動していると、やがて自分を見失ってしまい何がしたいのかが分からなくなっていく。

自分で考えて決断したことで失敗したとしても後悔はない。

自分で決断して失敗したら、反省してやり直せばいい。

しかし、他者の決断や判断によって失敗したのなら、その結果に対して悔しい思いを持つものである。

もちろん、他者との相談の上で自分で決断したことならば後悔はないし、上手くいかなかったなら、改めて相談して行動し直せばいい。

問題なのは猶予のない決断を受け続けていると、自分は何をしたいかを見失ってしまうということだ。

そういった猶予のない決断を受けなければならないことが、今の社会は多すぎるように思う。

僕が、今こうして文章を書いて暮らしているのは、現状で個人として生きることができているからだ。

日々、自分で考えて行動して、その中から何かしらのものごとを感じ取って日々修正しながら生きることができている。

そうやって「思考→決断→行動→感情→思考→決断→‥‥」といった流れを重ねてきたからこそ、自分の望み通りに生きられるようになっている。

もちろん、こういった生活ができるようになるまでに、借金することもあったし、今の生活を維持するために実家に戻ったりもしている。

そういった決断を自分で下しながら試行錯誤を繰り返してきたから、今は後悔するということはない。

しかし、それ以前の生活では、自分で決断して生きているという実感はあまりなかったといっていい。

幼い頃の家庭生活から会社組織を離れるまでの長い間、自分の決断を優先してきたという実感があまりない。

だからこそ、現状においてすべて自分の決断で生きていけるということが、とても心地よく感じることができる。

当然、この先、不安が全くないというわけではないけれど、でも何があっても大丈夫だという妙な安心感を持つことができている。

これまでの試行錯誤をしてきたことで自分ひとりを生かすことは、そんなに大変なことではないと理解できたからだ。

自分で考えて決断していったほうが、何があっても自分を活かして生きられるということを知ることができた。

もちろん、組織の中にいるから自分を活かすことができないということではない。

一つ言えることは、僕は自分のアイデンティティーを育たせることができずに会社組織に存在していたから、何をするにも受動的になってしまい自分の思いを主張することもなく、その結果、主体性を持てないでいたということだ。

なので、しっかりと自分は何をしたいのかといった明確な目的を持つことができていれば組織の中であろうと、自分の決断で行動できるようになっていたはずなのだ。

だから組織の中にいることが悪いということではない。

逆に、チームを作って組織的に動いた方が、できることの規模が大きくなるし具現化のスピードも上がっていく。

自分の核となるアイデンティティーをしっかりと持つことができれば、個人であっても組織であっても、自分の責任で判断して行動できるようになる。

大切なのは、自分は何をしたいのか、何をすれば喜びを感じるのか、そいったことを知って行動できるようになることなのだろう。

そういった意味でも、幼いころから自分で考えて決断し行動できるような習慣を身に付けられるようになれば、誰でも自分の考えを軸にして主体的に生きていけるようになるのではないかと思う。

自分は何が得意なのか、何をすれば自分が活きるのか、そういったことを早い段階で知ることができれば、それを自分のアイデンティティーにして主体的に生きていけるようになる。

自分で考えて決断し行動できるようになると、人は生きる力を身に付けることができ人生を楽しめるようになる。

もちろん、自分の核となるアイデンティティーは、年齢に関係なくいつでも育むことができる。

自分で考えたことを行動に変えていけば、次第に自分が何をしたいのかを理解できるようになっていく。

大切なのは、自分で考えて決断を下して行動することであり、そういった繰り返しの中から、自分の核心に迫っていくことができる。

仕方なく受動的に生きるのではなく、自分をどうすれば楽しませることができるかを考えて決断し、行動に変えて生きること。

そういった過程を経て自分を確立していくことができれば、生きることを楽しめるようになるだろう。

人生は楽しむためにある。

だから、自分は何を望んでいるのかを知り、その望みに対して自分で決断できるようにしていくことを怠ってはいけない。

そのためにも、自分を喜ばせる術を知らなければならない。

自分を喜ばせることが、「私」のアイデンティティーになる。

そうやって楽しんで生きる人がたくさんいる社会が豊かな社会になることだろう。

自分で考えて決断を下す。

それが自由な社会だ。




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