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第38回:「喜び」という自分主義で生きる

今回は、「喜び」という自分主義で生きるというテーマで、「喜び」を選んで生きることの大切さについて書いていきます。

この自分主義で生きるということを説明するにあたって、中国の二人の思想家である老子と孔子の考え方を比較するとわかりやすいと思うので、今回は二人の考え方を比較しながら、話を進めて行こうと思います。

そこで、この二人の簡単な略歴を紹介すると、老子とは「老子道徳経」を記した人であり、その思想はやがて道教に繋がったといわれます。また孔子とは「論語」を弟子と一緒に作った人であり、その考えが後に儒教となって広まっていきます。

この二人は中国の二大思想家として認知されていますが、実をいうと老子と孔子の思想は真逆であり、その存在はまさに陰と陽といってもいいでしょう。

こういったことから、中国では「表孔子、裏老子」という言葉があるくらいで、表面的には孔子的に振る舞っているものの、内面は老子的な生き方をしている人も多いそうです。

私はこの老子、孔子の思想の違いを、過去と未来のあり方に当てはめることができると考えていて、これまでが孔子的な生き方、これからが老子的な生き方になっていくと思っています。

というのも、これまでは孔子の社会性を重視する考え方で日本の仕組みができていたと考えることができるし、これからは、老子的な生き方、つまり自分の「喜び」に忠実になって生きるという自分主義が主流になると思っているからです。

老子と孔子の違い

老子と孔子は中国を代表する二大思想家ですが、先ほども述べた通り、この二人の態度や思想は大きく異なります。

この二人の思想はその後、それぞれ彼らの影響を受けた人達の手によって日本に伝わり、彼らの言葉が諺(ことわざ)になって今も存在しています。彼らの言葉から派生した諺はどちらも意味深いものですが、よく観察してみると物事の見方が異なっているということが分かります。

そこで、まずは二人の諺を比較することで、彼らの思想の違いを見ていきたいと思います。

まずは、老子の諺から並べてみます

【上善水の如し】
最高の善は水のようなものであり、万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置く。こういった水の性質を、最高の善とする。

【柔よく剛を制す】
柔らかくしなやかな者こそが、かえって剛強な者に勝つことができる。

【足るを知る】
身分相応に満足することを知る、足りていることを知り、それ以上は求めないようにする。

【無知無欲】
知識も欲もなければないほうが良い。知識をどれだけ身に着けたところで、
それは本当の意味で人間を幸せにすることにはつながらない。

【大器晩成】
大きな器が早く出来上がらないように、大人物は世に出るまでに時間がかかる。

【人間万事塞翁が馬」
一見、不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることのたとえ。 幸運か不運かは容易に判断しがたい。注)この言葉は老子の思想の流れを汲む准南子の「人間訓」による。


続いて孔子の諺です。

【温故知新】
前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見い出し自分のものとすること。

【過ぎたるは猶及ばざるが如し
行き過ぎたり、やり過ぎたりすることは及ばないことと同じであり、正しい道ではない。 物事の中庸を尊ぶべきであるということ。

【二兎を追う者は一兎をも得ず】
二つのことを同時に成し遂げようとしても、結局どちらも失敗に終わるということ。

【君子和して同せず】
他人との付き合いの上で、主体性を失わないこと。

【一を聞いて十を知る】
物事の一部を聞いただけで全部を理解できる。 賢明で察しのいいことのたとえ。注)孔子の弟子の子貢の言葉。

老子と孔子、どちらの諺も意味深くて為になるものですが、よく観察すると印象が異なります。

老子の諺の由来は、大概が自然観察から生まれたものであり、自然と人間の関係の中から生まれたものだったりします。一方、孔子の方は、人間の行動を観察して生まれたものや他者や君主といった人間関係の中から生まれたものだったりします。

老子の思想は、「無為自然」という「人の手を加えないで、何もせずあるがままにまかせること」に重きをおいているため、本能的であり、右脳的、非論理的、直感的といっていいでしょう。

一方、孔子の思想は、人間観察が由来になっていて、礼節を重んじることを重用しているため、社会的であり、左脳的、論理的であり、自然に対する姿勢が希薄で、より人間的な思想であったりします。

このことは「無知無欲」と「温故知新」を比べるとよくわかります。

「無知無欲」では、知識は必要ないといっていて、その根拠は自然を観察し、自然に習っていればおのずと答えを得られるという考えがあるからです。自然は必要以上に求めることがないため、人間も自然に倣えば無知無欲でも十分生きていけるというのが老子の思想でもあります。

しかし、孔子の「温故知新」の方は、過去の知識をもとに新たな知識を生むという姿勢があるように、あくまでもそのテーマが人間であり、人間の知識をいかに洗練させていくかということが主題になっているといえます。

こういったことから、老子と孔子の諺が持つ印象が異なってくるわけですが、その理由は、老子は自然から生き方を学ぶ人生訓であるのに対し、孔子は、人間関係から生き方を考える処世訓であり、ある意味では人間同士が争いを生まないように、いかにして社会組織作りをするかという教えだったりします。

また、老子の思想は自然と自分の関わり由来となっているため、ベクトルは常に自分に向けられているため、個人主義、あるいは自分主義といってもいいでしょう。老子の思想を元として生まれた道教では、個人が不老長寿となって仙人になることを目的とする仙人思想が生まれていたり、老子の教えと仏教の教えが融合し、精神を集中して無我の境地に入ることを目的とする禅が生まれていたりします。

その一方で、孔子の思想は他者と自分の関係性がその由来となっているため、ベクトルは常に他者に向かっていて、社会性を中心とした内容になっています。このため、孔子の思想から生まれた儒教では目上の人を敬うといった礼節を重んじることがメインテーマとなっていて、縦関係の組織作りを創るにはもってこいの思想といってもいいでしょう。

これらのことを踏まえて、私がこの二人の思想家にふさわしい言葉をつけるなら老子は「自由」であり、孔子は「献身」となります。

こういったことを、「老子 無知無欲のすすめ」という本では、次のように説明しているので引用してみます。

儒家の思想が政治や社会に向かって強くまっすぐに進んだのに対して、道家の思想では、むしろ人間の本来のあり方を追求し、その自然性を訴えることに主力がそそがれた。

江戸時代儒教を採用

日本ではどちらかというと老子よりも孔子の方が認知度が高いように思います。では、なぜ私たちは孔子の思想及び儒教の教えに詳しかというと、江戸幕府が儒教の教えを取り入れたからといっていいでしょう。

前述のとおり、儒教は縦社会の組織作りにふさわしい思想であり、江戸時代が長らく平和だったのもこういった儒教の教えがあったからといっていいでしょう。

孔子の教えはある意味で人間学であり、たとえば組織の長に決定権があるといったことや、家督は必ず長男が継ぐというようなルールを普遍化し常識化させることで、当時の江戸幕府の権威付けを行ったり、内部での対立を生まないような仕組みを創ったといってもよく、儒教の教えは、世の中を統治するのにはもってこいだったといえます。こういった流れは江戸以降も続き、昭和の終わりくらいまで続いたといってもいいでしょう。

その一方で、老子の教えや思想が、日本では全く相手にされなかった理由としては、その内容が個人主義的で自由主義的であったため、組織化には不向きであったからといえます。

とはいえ、老子が政治に対して無関心だったかというと、そうではなく、老子は政治に対する意見もたくさん述べています。

「老子 あるがままに生きる」という本から、その一部を引用してみます。

そもそも天下に規制が多いと民はいよいよ貧しくなる。
民に鋭利な武器が多いと、国家はいよいよ混乱する。
人に智が多いほど、ひどいことがしばしば起きる。
法令の類がといよいよ整備されるれると、
裏切者や違反者がますます増える

老子は規制を少なくし武器を無くせば、平和になると説いています。また、「智」によって法律が整備されると、それを守らない人が増えるとも言っています。ここでの「智」とは儒教的な「智」であり、人間的な「智」ということができます。

ちなみに、老子は「智」の上に「明」があると説いていて、この「明」は自然の成り立ちやこの宇宙の仕組みといったことを意味していて、老子の思想は、人の「智」ではなく、宇宙を形作る根源的な「明」に基づいています。

また、老子は人の上に立つ人のあるべき姿についても語っています。

このため、聖人が民の上にありうとするなら、
必ずその言葉は、民へへりくだらねばならない。
その民を先導しようとするなら、
必ずその身をその後に置かなければならない。
そうすれば、人々は先にいても害があると感じないし、
上にいても重いとは思わない。

この老子の言葉は、キリスト的といってよく、上に立つ者ほど下に仕えなさいといっていて、上に立つ者が謙虚であれば政治が上手くいき、世の中が平和になると語っています。

とはいえ、こういった老子の教えを江戸幕府が採用するかというと、当時の時代性において、それはまずありえないといえます。

老子的生き方の薦め

江戸時代は、その時代性にによって老子的思想を取り入れるということは難しかったかもしれません。しかし、現代であるならば、彼の思想を取り入れて生きていくことも可能かもしれません。

先ほどの「老子 無知無欲のすすめ」という本に次のような文があったので引用します。

二つのこうしたタイプの人間は、我々の近くにもいるであろう。そしてこの前者が儒家的人間に近く、後者が道家的人間に近いと言ってよい。もちろん表向きの顔で世の中の受けもよいのは前者である。秀才的で社会的にも栄達に向かうものが多いが、それだけにまた浮き沈みもある。後者の方はそれに対して野人型である。ときにはチャンスに遭遇して大事を成し遂げるが、別に自分から求めたわけではない。むしろおおむね市井にあって悠々と自分の信ずるところを守って暮らすのであって、はたからみると、うだつのあがらぬ人生に見えるが、本人は苦労もなく何のくったくもない。

おそらく、近代の日本は儒家的人間をたくさん生み出してきたのだと思います。しかし、こういった儒家的人間は、自然から離れたいわば人間社会のための人間であるといってよく、それゆえに浮き沈みが生まれるといってもいいでしょう。

しかし、道家的人間の背後には自然の理があるため、浮き沈みとは無縁といえます。というのも自然の理とは、この宇宙を形作る法則であるからです。そして、人がこの宇宙を形作る法則に従う方法が、「快」と感じることをしていくことなのです。というのも、宇宙は人間のようにストレスを感じることがながなく、常に「快」の状態にあるからです。そして、人間も宇宙と同様に「快」の状態にあれば問題が起こることがないのです。

人が体調を崩したり心を病んだりするのは、こころが「快」と感じることをしていないからです。しかし、人が「快」を感じて生きられるようになると、心身ともに元気になって前向きにななり、その「快」を自分の軸にして悠々と生きていけるようになっていきます。

そういった意味でも、現代の人は、意識的にせよ無意識的にせよ、これまでの儒家的な生き方はもう限界なのではないかと感じているのだと思います。むしろ、人間が持っている自然性を活かして生きていった方がいいのではないかと薄々気付いているように思います。

人は自身の「快」に従って生きることができれば、健康になるだけでなく、人生そのものを楽しめるようになっていくため、多くの人が「快」に従って人生を歩んでいけるようになると、この世の中は道家的生き方が主流になっていくと思います。

このことが、私が未来は老子的な生き方が主流になるという所以になります。

老子の「足るを知る」という言葉は、次のような解釈があります。

自分自身に満足し、誰かと自分を比べることなく、誰かと競わなければ、自分の価値を失うことがない。

比較や競争が生じているのは、実は人間の世界だけであり、自然には比較がありません。また自然は比較や競争がないゆえにその価値を失うことはありません。

私たちは、これから人間だけの視野で物事を考えるのではなく、自然を視野に入れていく必要があるでしょう。「自然」とは「そのものに本来備わっている性質、天性、本性」を意味するため、私たちは私たちが本来持っている「自然」に気づく必要があるといっていいでしょう。

内なる自然と調和を取っていきていく

人が「快」に従って生きることは自然のことです。この「快」は人それぞれ異なるため、一人ひとりが「快」に従って生きるということは、自分主義で生きるということになります。

とはいえ、自分主義で生きるということはエゴで生きるのでは? といった反論も出てきそうですが、実はそうではありません。自然の「快」に従って生きる自分主義は、自然の調和をベースにしているためエゴが生まれません。エゴが生まれないのは、まさに「足るを知る」の世界で生きるからであり、必要以上に得ようとしない生き方だからです。したがって、自然な調和の中で生きるのが自分主義であったりします。

私は、こういった調和の取れた自分主義で生きることが、これから目指していくべき生き方であり、近い未来のあるべき姿であると考えるのです。

人は調和が取れると「快さ」を感じるようになります。「快さ」とは「喜び」であり、人が「喜び」という自分主義で生きられるようになると、宇宙の法則に従って生きることができるようになるのです。



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