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99)意図する言葉は自分に対するメッセージ

今日も「意図」について書いていきます。

noteで記事を書いている中で、頻繁に使っているの言葉が「楽しむ」であり、ここ最近では「丁寧」という言葉だったりします。

この「楽しむ」や「丁寧」という言葉は、意図であるだけでなく自分に対してのメッセージでもあり、自分の欲求を表している言葉でもあると考えます。

なので、僕の心理はただ楽しむのではなく、「丁寧に楽しみたい」という思いがあるといってもいいでしょう。

「楽しむ」と「丁寧さ」は、ベクトルが異なります。

「楽しむ」のベクトルは「外に開いていく」ようなイメージがある一方で、「丁寧」という言葉は「内側に意識」を向けていくというイメージがあるように思います。

この二つのベクトルを図で表現すると次のようになります。

青が「楽しむ」、赤が「丁寧」

この相反する二つのベクトルの意味をどう解釈するのか。

そこで、この図をしばらく眺めていたら、「楽しむことの精度を上げたい」という欲求がある、ということに氣づくことができました。

単に楽しむのではなく、行為の精度を高めることで楽しみを大きくしていきたいという欲求がある、そう思うことができました。

では、なぜそう思うようになったのか。

どんなんことでも、何かを継続して楽しんでいると「質」を上げていきたいと思うようになるものです。

楽しさを追求していけば追求していくほど、「量」より「質」に変化していくものであり、「質」を求めるということは「精度」を高めていかなければなりません。

「精度」を高めるには、「丁寧」さが必要になってくるものです。

たとえば、プラモデルを作り始めたときは、最初は完成できたことに満足すします。

しかし、プラモデルを楽しんで作り続ければ、完成させることだけでなく、その精度を高めていきたいと思うようになっていきます。

こういったことは、どんなことにでも当てははまるものであり、逆にいうと「精度を高めたいと思えない」ことは、「楽しめていない」ということでもできたりします。

以前していた仕事で、数年間やっていたのにもかかわらず、「精度を上げよう」とか、「丁寧にやろう」と思えなかったことがありました。

そのため、当時は早く終わらせることだけを考えて日々を過ごしていました。

その仕事をしていて楽しめていたかというと、そうではありません。

その一方で、毎日、記事を書いたり字を書いたりしていることは、楽しめていることであるため、自然と「精度」を上げたい「丁寧」に行いたいという気持ちが出てきています。

つまり、「楽しむ」というベクトルと「丁寧」といベクトルは、一見すると逆向きに見えるものの、思いの方向性は一つと考えることもできます。

あるいは、「外に開く意識」と「内に向かう意識」の均衡を保ちながら、その「均衡を楽しんでいる」と言い換えることができるかもしれません。

そして、この「均衡を楽しむ」ということの規模を徐々に大きくしていくことを楽しんでいるということもできます。

そう考えてみると「楽しめることがある」ということは「幸せ」なのだと思えてきます。

好きなことを楽しんで、その規模を大きくしていこうと思えることがあるということは「この上のない幸せ」なのだと実感できます。

そこで、日々、行っていることにどんな意図を持ってしているかと考えてみると、今の生活が「幸せ」かどうかが分かるといっていいでしょう。

普段、どんな言葉を使うことが多いのか、何かをするときに、どんな言葉を意図して使っているか。

これらを省みると、普段よく使う言葉から自分の欲求を理解できるようになるし、どんな気持ちで毎日を過ごしているかを把握できるようになるでしょう。

そこでもし、今を楽しめていないと感じたなら、意図する言葉を意識して変えていくだけでも行為の質を上げていくこともできるでしょう。

意識して意図する言葉を選んでいけば、行為の内容を変えていくことができるものです。

ちょっとしたことでも意図を持つことで行為の質を上げていくことができ、質の向上を継続していくことができれば、それはすぐに結果となって出てくるものです。

意図することが行為の出発点になり、意図のある行為が生き方のベクトルを決めていきます。

意図する言葉は自分に対するメッセージといっていいでしょう。

そのメッセージ通りに生きれば、生き方に変化を起こしていくことができるようになるのかもしれません。

といったわけで、今日も記事を書くことで、ひとつ氣づきを得ることができました。

こういった氣づきを得られるということが、書くことの楽しさだと思います。

明日は「意図」と「観察」について書いていこうと思います。


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