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許しとは、緩ませること

今日は、「許しとは、緩ませること」ということを書いていきます。

たとえば、許せないという思いがあったとします。

こういった許せないといった思いを、黒くて重い鉄のような球にたとえてみます。


こんな黒くて重い球を、心の中に持って生きていたりすると生きることが辛くなってしまいます。

でも、この許せないという黒くて重い球を少しだけ緩ませることができたなら、生きることが楽になると思います。

黒い球を少し薄めてグレーにして少し軽くすれば、宙に浮くようになるでしょう。


こういった感じで少しづつ許せないとい思いを緩ませることができたなら、どんどん白味がかっていき、黒かった鉄の球も柔らかく大きくなってさらに宙に浮いていきます。



心の中に潜んでいる黒くて重い鉄の球も、これくらい白くて軽くすることができれば、生きることも楽になっていくのではないかと思います。

こういった感じで、許せないという思いを徐々に緩ませて色を明るくして軽くすることができれば楽に生きていけるようになって、自由度が上がっていくことでしょう。

黒くて重い鉄の球をぎゅっと握りしめていると、手の握力はなくなっていき腕はしびれ肩が上がらなくなっていきます。

黒い鉄の球のような思いを持って生きていたりすると、それが身体に影響を与えるようになって体調不良を起こす原因となります。

なので、許せないとい思いはできるだけ持たないようにするのが、自分のためでもあり身体のためにもなります。

そういった意味でも、許せないという思いを持っていたなら、その思いを緩ませ続けていけばやがて消えてなくなっていくと思います。


では、どうすれば許せないという思いを緩ませるようになるのか。

許せないという思いを、どうすれば緩ませることができるのでしょうか。

黒くて重くい球をぎゅっと握りしめている行為とは、許せないという思いを持ち続けているということであり、そういったことを考え続けているということでもあります。

なので、許せないという思いを緩ませる方法は、許せないということを考えないようにするということになります。

どんなことでも、ひとつの思いを持ち続けていると、その思いはやがて重くなっていくものです。

しかもネガティブな思いを持ち続けていると、その思いがどんどん黒ずんでいき重くなってしまうのです。

執着とはあるひとつの思いを頑なに持ち続けることで、思いの密度を重くしてしまうことです。

そこで、そういった思いを持つ頻度を少なくし、その重みを減らすことができれば気分は軽くなっていくものです。

そのためにも黒くて重い思いを思考するのではなく、嬉しいと感じること楽しいと感じることを思考して行動していくことが大切なのだと思います。

そうやって嬉しいと感じること楽しいと感じることを意図してするようにすれば、ネガティブな思いを持たなくてすむようになります。

僕の場合は、文章を書くことが喜びの軸になっていたりします。

文章を書いていると、ちょっとした気づきを得ることができ、その気づきが自分を前向きにさせてくれるようになっています。

しかも、これまで楽しんで文章を書き続けてきたことによって、自分自身の思いをだいぶ軽くできるようになったと感じています。

幸運にも、書くという楽しめるアイテムを見つけることができたことで、ナーバスになるようなことがあっても、文章を書けば簡単にリカバリーができるようになっているし、ナーバスな出来事があってもすぐにそのことを手放せるようになっています。

そのせいもあって、最近はほとんど思い悩むことがなくなっています。

なんだかんだで結果的に上手くいく、というような根拠のない自信さえ持てるようになっています。

とはいえ、以前はネガティブなことをぐるぐるぐる考えているタイプだったので、まさに黒くて固くて重い鉄の球をいくつも持って生きていました。

しかし、そういった重い思いを持って生きていると苦しくなるので、最初はそこから逃避するために本ばかりを読んでいたりしました。

それからしばらくすると、本を読むのにも飽きだして文章でも書いてみようと思うようになって、それが結果的に僕に合っていたといった感じていす。

このため、僕が許せないという思いを緩ませられるようになったのは、本を読むという逃避から始まっています。

さらにいうなら、本を読む前は映画やテレビドラマなどをひたすら見るという現実逃避から始まっています。

なので、許せないを緩ませることができたきっかけは、自分の世界から離れるという逃避が出発点であり、そうやって現実から逃避して、それを楽しむことで自分を緩ませられるようになったといってもいいかもしれません。

いずれにせよ、自分を緩ませるには、楽しいと感じることをするのが大切であり、自分を楽しませ続けていけば、必ず自分にフィットした物事に出会えるようになると思っています。

そして、自分を楽しませ続けていると「許せない」というようなことを考えるよりも、楽しいと感じることを考えるようになっていくものです。

言い方を少し変えるなら、ネガティブなことをぐるぐると考え続けることから、意図してポジティブになれることをぐるぐると考えるように仕向けたということもできます。

ぐるぐる考えられるということは、ある意味では集中力があるということでもあります。

なので、その集中力をポジティブなことに使えば、ポジティブな方で威力を発揮できるようになります。

noteで記事を書き始めたところは、1日に2つくらいの記事を書いて上げていたこともありました。

今思うと、なぜそうしていたかというと、余計なことを考えないようにするために、そうやって自分で自分を仕向けていたように思います。

自分を苦しめてしまうような思いを考え続けないように、半ば強制的に別なことを考えるように仕向けていたのかもしれません。

そうやって辛いと感じることを考えない、楽しいと思うことを考えるように自分を変える努力をしていたのかもしれません。

こういった感じで「許せないを緩ませる」には、楽しいと感じることをしたり、嬉しいと感じることをするのも一つの方法だと思います。

楽しいと感じること、嬉しいと感じることをしていると、自然と自分を許せるようになっていき、やがて自分を好きになっていくものです。

しかも、目の前のことに夢中になっていると、許せないと感じている他者のことを考えている暇がなくなっていき、結果的に他者を許せるようになっていきます。

また、何か嫌なことが他者との間にあったとしても、自分の好きなことや夢中になれることをしていると、それを考えている暇がないためネガティブな出来事も自然と忘れてしまいまうものです。

なので、許せないを緩ませる方法は、どんなことでもいいので「自分を楽しませることをする」ということだったりします。

「許し」は、我々人類の大きなテーマかもしれません。

多くの人が、自分を緩ませ他者に対する思いを緩ませていけるようになると、我々は平和な世界に向かっていけるようになることでしょう。

とはいえ、人は無理に何かを許そうとしても許せるものではありません。

しかし、無理に許そうとするのではなく、まずは自分を楽しませることからはじめていけば最終的に許しが起こると考えます。

許せないという思いは、主体を相手に置いていたりするから生まれるものです。

しかし、主体を自分に置くことができたとき、世の中の見方が変わってきます。

主体を自分に置くということは、自分が楽しいと感じることをすることです。

自分に主体を置きながら、自分を苦しめるようなことはできないはずです。

そういった意味でも、自分に主体を置いて自分を楽しませられるようになったとき許しが起こるのではないかと思います。

自分を楽しませることができる人がたくさんいる世界は楽しい世界です。

そんな楽しい世界を創るためにも黒くて重い球は手放して、自分を楽しませ緩ませていくことが大切なのではないかと思います。

黒くて重い鉄の球がたくさんある世界ではなく、カラフルな風船がたくさん飛んでいるような世界を創っていけたらいいなと思います。

そのためにも、まずは自分を楽しませていくことが欠かせないのだと思います。


我々の自我を風船のように軽くすることができたとき、人類としての存在の次元を上昇できるようになるでしょう。

重くなっている自我も、嬉しい楽しいといった思いをたくさん抱くことで軽くすることができるようになります。


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