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76.「いまここ」に意識を合わせて生きる醍醐味

ここ最近は、呼吸に意識を向けて瞑想をするようにしていますが、どうしても、左脳のおしゃべりである「自動思考」が働いてしまいます。

自動思考が働いてしまうとどうなるかというと、意識は呼吸ではなく思考するその内容に向けられることになります。

意識が思考する内容に向けられるということは、過去の出来事に思いを寄せたり、まだ訪れていない未来についてのあれこれに考えを巡らせることになります。

その一方で、呼吸に意識を向けるということが、しっかりとできるようになると、それだけで「いまここ」に意識を合わせることができるようになり、瞑想の目的を達成できることになります。

我々の身体は、常に「いまここ」にあり、呼吸も「いまここ」で行われています。

しかし、呼吸から意識が逸れてしまい「過去」や「未来」の出来事に思いを巡らせてしまうと「思いのベクトル」と「身体のベクトル」が一致していない状態になってしまいます。

もちろん、日常生活のすべてを「思いのベクトル」と「身体のベクトル」を一致させることは不可能ですが、せめて瞑想中はこの二つのベクトルを一致させたいと思うものです。

呼吸は常に「今」にあります。

この「今」にある「呼吸」に意識を向けることができると、「心身を一致」させることができます。

瞑想の目的は、意識を「今」に置くことで心身を一致させることです。

そして、心身がぴたりと一致できると、深いリラックスができるようになり、まさに「いまここ」を体感できるようになります。

人が完全に「いまここ」を体験できると、「静寂」を感じられるようになって、その静寂によって深いリラックスが得られるようになるものです。

また、人は「いまここ」の状態で何かができるようになると、緊張とリラックスのバランスが適切にとれて、高い集中力を維持できるようになる「ゾーン」の状態に入ることができます。

「静寂による深いリラックス」や「今に夢中になって生きる」ことは、どちらも「心地よさ」を感じられることであり、こういった「心地よさ」が、人の生命力を向上させるものです。

しかし、この「心地よさ」を邪魔をしてしまうのが、左脳のおしゃべりである「自動思考」になります。

では、なぜ人は「自動思考」が知らず知らずのうちに起こってしまうかというと、それはおそらく人にはすべきことがたくさんあるからなのではないかと思います。

人には、日常生活の中でも、人生の中においても「〇〇をしなければならない」という思いがたくさんあるため、この「ねばならない」が「いまここ」を邪魔をすることになってしまうといっていいでしょう。

しかし、この「ねばならない」を手放して「いまここ」に没入し、「いまここにある静寂」に身を委ね深いリラックスを体験したり、「今に夢中になること」ができると、人が本来持っている「本質的な自由さ」を認識できるようになっていきます。

しかも、こういった「本質的な自由さ」を実生活の中に広げていくことができれば、生活そのものを「いまここ」で生きられるようになっていき、生きることが楽しく、楽になっていきます。

人が楽しく楽に生きられない原因の多くは不安や怖れに基づく思考にあります。

不安や怖れといった思考が強ければ強いほど、人の行動力を奪っていくものであり、その結果、今を楽しめなくしてしまいます。

しかし、逆説的ですが、人が「いまここ」を意識して生きていけるようになると、その瞬間に不安や怖れが消えていくものです。

そして、この不安や怖れの全くない「いまここ」の状態で生活することができれば、それが「幸せの最高の形」になるといっていいでしょう。

瞑想は「想いを瞑る」と書きます。

想いを瞑るとは、過去や未来に対する思いを瞑ることであり、別ないい方をするなら「いまここの状態になる」ということです。

このため、瞑想は目を閉じて静かに座っているだけでなく「いまここ」の状態になることができれば、それが瞑想になります。

つまり、今この瞬間を心から楽しむことができれば、それも瞑想状態であるといえるのです。

今この瞬間を楽しめているとき、そこに「不安や怖れ」を感じることはできません。

そこで、一日の多くの時間を「いまここ」で生きられるようになると、不安や怖れのない瞑想状態で過ごせるようになることができます。

瞑想は意識を今に向けることで達成されます。

そして、どんなときでも意識を今に向けられるようになると、「不安や怖れ」のない人生を歩んでいけるようになることでしょう。

目の前の「いま」にベクトルを合わせて生きることができると、心身が一致する状態になるため意識がぴんと真っ直ぐになり、心地よさを感じられるようになります。

しかも、この「いま」という真っ直ぐさを最短・最速で感じられるのが、呼吸であり、呼吸に意識を向けさえすれば、人はいつでもどこでも「いまここ」の状態になることができるといっていいでしょう。

そういった意味では、人は呼吸と仲良くなることができれば、誰でもどこでもどんなときでも瞑想状態になることができます。

なぜかというと、呼吸は誰もがいつでもしていることだからです。

もちろん、呼吸に意識を向けていれば、当たり前のように自動思考は起こってくるものです。

しかし、それでも丹念に呼吸に意識を向け続ければ、どんなときでも「いまここ」で過ごせるようになっていくものであり、この「いまここ」という不安や怖れのない状態で過ごすことができるようになれば、やがて、不安や怖れが本当に消えてなくなることでしょう。

不安や怖れを持って生きていると、不安や怖れを引き寄せます。

その一方で、「いまここ」の喜びで生きることができるようになると、その喜びが新たな喜びを引き寄せることになり、それまで問題と思っていたことさえも自然と消えていくものです。

自分の思いがそのまま現実となるのが、この宇宙の法則であるため、「いまここ」で生きられるようになるだけで、目の前に現れる現実を変えられるようになります。

これが「いまここ」に意識を合わせて生きることの醍醐味といってもいいかもしれません。

ここ数日、だいぶ呼吸を楽しめるようになってきました。

もちろん、左脳のおしゃべりである自動思考は頻繁に起こります。

しかし、呼吸を楽しめるようになったことで、いろんな発見もありました。

そういった中で、上の赤い針の図が思い浮かんだので、この図を言語化して見ようと思って、今回はこの記事を書きました。

しかも、この記事を書いたことで、「いまここ」の大切さについてあらためて整理することもでき、人は「いまここ」で生きることができれば、それだけで大丈夫である、ということも理解できました。

こういったことを理解できたのも、呼吸を意識した瞑想のお陰といっていいでしょう。

といったわけで、呼吸の瞑想を通じて何かしらの発見があれば、今後もそれを記事に書いていきたいと思います。

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