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幸せは、今を大切にすることで実現される

人は常に未来を考えて生きているといってもいいだろう。

というのも、人の欲求は常に未来にあるわけであり、その欲求を満たすために今を使うからだ。

たとえば、食事を取りたいという欲求が生まれたとする。

もし目の前に何か食べられるものがあるならば、その欲求はすぐに満たされる。

しかし、目の前に食べられるものがなかったなら、食べられるものを買いに行くか、食材を使って料理をしなければならない。

いずれにせよ、その欲求を満たすために、今という時間を使って行動し、今という時間に食事を取ることで欲求が満たされる。

そして、食事を取り終えると、今度はすぐに新しい欲求が生まれてくる。

お茶を飲みたいとか、のんびりしたい、とか、途中だった仕事を終わらせたいとか。

人は欲求を満たすとすぐに、また新たな欲求が生まれてくるものだ。

そうやって絶えず生まれてくる欲求を満たすために我々は、毎日行動していて目の前の小さな欲求や、ずっと先にある大きな欲求を追い求めて生きている。

欲求を満たすには、必ず「how」を考える。

欲求とその欲求を満たすまでの間を理解することができていたら、人は迷わずに欲求を満たすことができるようになる。

しかし、この「how」が分からない、という状況が生まれたとき人は戸惑ってしまう。

だからこそ、我々は「how」を追い求めることになる。

もしかすると、人生の半分以上を、この「how」を追い求めていきているのかもしれない。

「どのように」とか「どうすれば」を意識的に、あるいは無意識的に追い求めて生きている。

この「どのように」とか「どうすれば」ということを追い駆けるのが、いってみれば人間の宿命なのかもしれない。

しかも、この「どのように」とか「どうすれば」をどう選択するかが、その人の個性となるし、その密度の濃さで人の性格が決まるといってもいいだろう。

つまり、「どのように」とか「どうすれば」にどう向き合うかが、その人その人の生き方になる。

人は誰もが「幸せ」になりたい、と考えて生きている。

自分が思う「幸せ」に向かって、どのようなアプローチで向かって行くかが、その人その人の生き方になるといっていいだろう。

しかも、どのような「幸せ」を思い描くかで、そこに向かって行くアプローチが変わっていくから、自分の思い描く「幸せ像」を思い描かないと、「どのように」といった選択もできない。

このため、自分がどのような「幸せ」を求めているかを明確に知る必要があるといっていい。

「幸せになる」という欲求を満たすためには、自分の欲求をより具体的にしていく必要がある。

では、自分が思い描く「幸せ」とは何なのか、どのようにすればその「幸せ」にたどり着けるようになるのだろうか。

「幸せ」になるためには、物質的なアプローチと精神的なアプローチがある。

僕はnoteで、主に後者の「精神的なアプロ―チ」について書いている。

なぜかというと、物質的なアプローチについては、大抵のことは調べればわかるからだ。

それが実現できるかどうかを別にすれば、物質的なアプローチの方法論はすぐに手に入れることができる。

しかし、「精神的なアプロ―チ」については一筋縄ではいかない。

こうすれば、こうなるといった明確な道筋を示すことができない。

お店に行って、お金を払って商品を手に入れれば欲求が満たされて幸せになれる、というような明確な答えを示すことができない。

コンビニに行っておにぎりを買えばいい、というような安易な答えを提示することはできない。

とはいえ、だからそこに面白さがあるといっていい。

明確な答えがないからこそ、夢中になれるものであり、しかも、そういった明確な答えのないところから、ある一つの仮説を導き出すのが面白いのかもしれない。

そこで、そのひとつとして、僕個人が最近感じている「幸せ」についてを一つの仮説として提示するならば、「今、したいと思うことをすぐにして、その欲求をすぐに満たす」ということが、「幸せ」になるための最短のアプローチなのではないかと思う。

身近なところから、すぐに出来るところから、自分の欲求を満たしていくことができれば、すぐに幸せになれるため、結果として願いを叶い続けることになる。

しかも不思議な事に、そうやって願いを叶い続けていると幸せの規模が次第に大きくなっていく。

一足飛びに驚くようなことが起こるわけではないけれど、じわりじわりと幸せの規模が大きくなっていく。

もちろん生活している中で、やりたくないと思うこともある。

しかし、そういったことでもやらなければならないのであれば、すぐにやる。

すぐにやれば、やりたくないと思いながらもやらなければならない、という欲求を解消することができる。

つまり、「やりたくないと思いながらもやらなければならない」という欲求をすぐにすることで、願いを叶えたことになる。

また、心からやりたくないと感じることは、やらないと決めれば、その時点で、自分の欲求を満たすことができるようになる。

また、やると決めたことは、できるだけ丁寧にする。

できる範囲でいいから、丁寧にすることを心掛ける。

すると、自分の欲求を予想した以上に満たすことができるようになる。

どんなことでも丁寧に向き合っていると、不思議な事に心が満たされていく。

そうやって、ひとつ一つの欲求を丁寧に満たしていくと、大きな幸福感で、日々を過ごせるようになっていく。

そういった幸福感が、人の心を前向きにさせ、その前向きさによって新たな欲求が生まれ、そういった欲求を満たし続けることで、幸せは膨らんでいく。

これは、少し先にある未来の欲求を、今を使って丁寧に満たし続ければ、誰でも幸せになれるのではないか、という個人的な仮説である。

遠い未来を考えるのではなく身近な未来を満たし続けることで、人は幸せになることができるようになり、そういった身近な幸せを積み上げていけば、遠い未来を思い悩むこともなくなっていく、と思う。

もちろん、自分の欲求だけを満たせばいい、というわけではない。

欲求を満たすには「喜び」と「調和」が欠かせない。

むしろ調和があるからこそ、そこに「喜び」が生まれるものだったりする。

しかも、調和とは丁寧さから生まれるものでもある。

丁寧に物事を運んでいけば、それは必ず調和が取れるようになる。

少し先の未来を満たすために今を使って丁寧に実行していく。

すると、そこに「幸せ」が生まれてくる。

幸せは、今を生きることで生まれる。

幸せは、今を大切にすることで実現される。

幸せは、すぐにでも届くところにある。

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