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ハッピーエンドの作り方

前回の記事で、この地球を一つのテーマパークにたとえた話をしました。

ある意味で、この地球というテーマパークは刺激的なようで、中毒性の高いところのようです。

その理由はというと、楽しいテーマパークであればあるほど何度も行ってみたいと思うのと同じ原理が働くからです。

テーマパークに行くと様々なアトラクションがあり、そういったアトラクションのすべてを全部巡ってみたいと思うものです。

しかも、たくさんあるアトラクションの中でも、特にお気に入りのものを見つけたりすると、そのアトラクションに何度も何度も挑戦してみたくなるものです。

このため、テーマパークのすべてのアトラクションを網羅するには、何度も通いたくなるものなのです。

そして、何度もテーマパークに通い、様々なアトラクションを体験し、もう十分満喫したと思えると、そのテーマパークを卒業できるようになっていきます。

テーマパークには、ジェットコースターのような急傾斜の山あり谷ありの一瞬で終わってしまうようなアトラクションもあれば、お化け屋敷のようなスリリングな場所もあります。

いずれにせよ、人気のアトラクションのほとんどはハラハラドキドキするものが多く、ハラハラドキドキ感がアトラクションの魅力でもあります。

とはいえ、ハラハラドキドキのアトラクションでも何度も体験していると、次第に飽きていくものです。

すると今度は、テーマパークにあるレストラン巡りとか、テーマパークの照明とか音楽を楽しんだり、テーマパークの植栽を楽しんだりするなど静的な楽しみ方をする人もいることでしょう。

いわば、テーマパークの全体性を楽しむといった通の楽しみ方を味わうようになっていったりもします。

いずれにせよ、そうやって刺激の強い動的なものから静的なものへと移っていって、やがてテーマパークでの体験を十分味わうことができたと思うことができたとき、そのテーマパークから卒業していくものです。

様々なアトラクションやテーマパークの施設などの雰囲気を通じて、いろんな感情を十分に味わうことができると満足しながら、テーマパークを後にしていくものです。

この地球上での体験もこういったことと同様に、様々な人生を味わう場所であると考えることができるし、一度の人生では、すべてのアトラクションを味わうことができないため、人は何度も何度も輪廻転生を繰り返してしまうものです。

この地球上に来た当初は、やはり動的な体験を求めてしまうものであり、ハラハラドキドキの経験を望むものです。

しかし、そういったハラハラドキドキの体験も十分味わうことができると、次第に静的な経験を求めるようになっていきます。

そして、最後に、それまでの輪廻転生で経験したことを総括するような体験をして、この地球というテーマパークを卒業していくことでしょう。

この地球上での経験を総括して、幸せとは何か、生きることとは何か、ということの答えを導き出して、この地球上での体験を終えていくことでしょう。

我々がこの地球に来るときは予備知識を一切持たずにやってきます。

映画もテレビドラマも小説も、結末を知っていては物語を楽しむことはできません。

なので、映画もテレビドラマも小説も予備知識を持たずに見る方が楽しめたりします。

ただ映画もテレビドラマも小説も自分の好みがあるように、地球でどんな人生を歩むかは自分の好みのものを選んできます。

映画もテレビドラマも小説も様々なジャンルがあるように、自分がこれから過ごす人生は、どんなジャンルの人生を歩むかはある程度選んできます。

しかも、多くの映画やテレビドラマや小説がハッピーエンドで終わるように、自分の人生もハッピーエンドで終わるよう設定した上で、そういった設定を地球に来るときに一旦忘れてやってきます。

そういった意味では、この人生は自作自演のストリーを演じているということもできます。

とはいえ、人生が必ずしもハッピーエンドで終わるとは限りません。

生れてくる前に描いたストリーを忘れて生まれてくるので、必ずしも予定通りにいかないからです。

そういったこともあり、テーマパークで様々なアトラクションを体験するように、我々は輪廻転生を繰り返してしまうといっていいでしょう。

もちろん、自分の人生を俯瞰で観ている魂は、この地球に来る前に設定した通りの人生を歩んで貰いたいと思っているため、現実世界で生きる「私」が設定から外れるようなことをしていると、軌道修正をさせるような出来事を起こします。

バット・エンドにならないように、半ば強制的に考え方を変えるようにして、ハッピー・エンドを迎えるように軌道修正をさせたりします。

人生の軌道修正は、考え方を変えることでできます。

それまでの考え方を改めて、違った生き方で歩んでいけるようにすることで軌道修正ができるようになるものです。

しかし、半ば強制的に考え方を変えるような出来事が起こっても、考え方を変えることができないでいるとバット・エンドに向かっていってしまいます。

そういった意味では、人生に何かしらの滞りが起こっているときは、生き方に対する考え方を変えなければならない時期でもあるのです。

魂は「私」にハッピー・エンドを迎えて欲しいと願っています。

だからこそ、魂は「私」がバット・エンドに向かっていると分かると、強制的に軌道修正をさせて共生的に生きるように仕向けるのです。

このため想定外の出来事が起きたときこそ、生きることの考え方を変えなければならないときでもあるのです。

人が共生的に生きるとき、ハッピーエンドに向かうことができるようになります。

なぜかといえば、共生こそがこの地球上で生きるための大きなテーマだからです。

我々は、分離した意識の中で生きながらも、共に生きることの大切さを見つけることが、この地球上で人生を体験するための大きな目的だからです。

このため、地球というテーマパークでの体験を終えようとするとき、俯瞰的に物事を見ることができるようになっていきます。

ジェットコースターやお化け屋敷といったアトラクションの限定的な視点ではなくテーマパークを全体で見るような俯瞰的視点で、物事を見るようになっていきます。

というのも俯瞰的な視点で見なければ、地球というシステムがすべては共生という構造でできていることを知ることができないからです。

そして、我々個人に強制的に共生に向かわせようとする働きと同様に、我々の多くが共生に向かうことができなかったりすると、今度は地球がそれを正すような出来事が起こすようになります。

そうならないようにするためにも、現在、多くの人が共生的に生きることが求められています。

現在は、我々の多くの人がハッピー・エンドを迎える道を歩んでき、一人でも多くの人が共生的に生きることが求められているといっていいでしょう。

動的な生き方から静的な生き方へ、近視眼的な生き方から俯瞰的な生き方へ、今、我々が求められているのは考え方の転換なのです。

共生とは喜びで生きるということです。

喜びを互いに分かち合うことが共生です。

テーマパークは、そこにいるすべての人たちが喜びを分かちあえるからこそ、そこが幸せの場所になるといっていいでしょう。

テーマパークを運営する人も、そこに訪れる人も互いに喜びを共有することで、そこを幸せな天国のような場所を生み出すことができるのです。

そのためにも、まずは「私」が幸せになること。

「私」が幸せになれば、自然な形で喜びを分かち合えるようになって、それが共生の礎となることでしょう。

では、どうすれば「私」を幸せにすることができるのか。

その方法は、昨日のつぶやきでも紹介させて貰いましたが、ネドじゅんさんの動画に、そのヒントがあると思います。


いつか、この動画が削除されてしまう可能性があるので、今のうちにご覧になられるといいかと思います。

今をいき、生きていることに幸せを感じることで、我々は共生的に生きていけるようになるでしょう。

多くの人が「幸せ」にフォーカスして、「喜び」を原因にして生きることができるようになると、共生の意識で生きていけるようになるでしょう。

この地球を幸せな場所にするためには、「私」が喜びを表現して生きることです。

日々の一瞬一瞬を、「幸せだね~、生きているね~」と味わって、それを態度に表していくことが欠かせないでしょう。

喜びで共に生きれば、自然と幸せがやってきます。

それがハッピー・エンドの作り方です。

いまここで生き、幸せを感じて生きることができると、我々はこの地球での体験を卒業できるようになるでしょう。

そのためにも、幸せを原因にして生きることが欠かせないのです。

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