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73)「フィーリング」が最高の結果を生み出す。

人は、時として自分より別な何かを上に置いてしまうことがある。

たとえばお金。

普段はお金の存在を自分より上に置いていなくても、時折、決定権がお金になることがある。

自分の思いよりお金を優先してしまうことで、なんとなく居心地が悪さを感じる場合がある。

もちろん何かを決定する際に「お金」を基準にすることに問題はない。

ただし「自分が感じる心地よさ」を知ることができれば、現状では金銭面を理由に決断したとしても、それを次の目標にすることができる。

だから「心地よい私の感情」を無視ぜずに、それを聞いておく必要があるといっていいだろう。

「ニュートラルな自分の思い」をないがしろにしてはいけない。

たとえば情報。

何かの情報に自分が惑わされているとき、自分よりその情報を上に置いていたりする。

得た情報に自分の居心地のよさを感じながらも、その情報をもとに決定を下すとき、その情報が「私」の上に立ってしまう。

あるいは、尊敬する人や有名な人がいった言葉を無条件に取れたりするのも情報に私を明け渡すことになる。

たとえそれが尊敬する人や有名な人がいった言葉だとしても、自分の感情と照らし合わせ違和感を感じるようであるならば、鵜呑みにするのではなく精査する。

その言葉の真意を探っていく。

真意を探った上で納得できれば、それを採用すればいい。

瞑想中にブッダが出てきたらブッダを殺せという言葉があるが、それは「自分より上に何かを置くな」ということ。

あくまでも基準は自分自身。

もちろん、得た情報でいいことは参考にすべきだし、賛同できることはどんどん取り入れていけばいい。

情報は情報でしかなく情報の下に自分を置かないこと。

どんなときでも自分のフィーリングを、自分の心地よさから生まれる感情を最優先にしていくことを忘れてはいけない。

「お金」や「情報」に主導権をやすやすと渡してはいけない。

「お金に使われる」のではなく「情報に惑わされる」のでもなく、「心地よい私」、「余裕を持って生きている私」のあり方が最上位となる。

「心地よい私」や「余裕を持って生きている私」は、今を生きているからお金や情報に惑わされることはない。

未来が心配になるから、お金や情報を基準にしてしまう。

基準はいつでも、今ここにいる心地よい私であり、今ここに余裕を持って生きている私なのだ。

何かに違和感を感じるのは、私の本質が高次の存在だったから。

「私」は、もともと制限のない存在だったから制限を受けるような情報に触れると違和感を覚えるようになっている。

お金や情報も違和感を感じときは、何かしらの合図がそこにある。

違和感は、今の自分と高次の自分とのギャップを表しているといってもいいだろう。

その違和感が新たな気づきを生むこともある。

違和感の原因を見ていくと、それが気づきへと変化していく。

今の自分と高次の自分は「心地よさ」を感じているときや、「余裕のある状態」に一致するから、そういった状態の心理を基準にし、その思いを優先して生きていく。

そういった基準をもとに現状の中のベストを選択していく。

どんなときでも「心地よい私」を最上位に置いて生きると、自然と自分を高めていけるようになっていくだろう。

何かを決断する時は「心地よい私」、つまり「高次の私」の声を聞いていけばいい。

本田圭佑氏はそれを「リトルホンダ」と名付けていたが、自己対話の相手は「リトル」ではなく「ハイヤー」だ。

心地よい状態の私なら何をすると考えたとき、ハイヤーセルフとの自己対話ができるようになるだろう。

私の感情を育むと高次の自分に近づいていく。

心地よさというフィーリングが、お金や情報を超える結果を与えてくれる。

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