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結婚10周年。結婚生活は幸せ?不幸せ?

SEX AND THE CITYのキャリーに憧れ、2020年よりフリーランスのライターになった私(笑)。今はWebライティングや、取材ライティングが主ですが、キャリーのようなコラムニストとして活躍したい野望があり、今日は結婚から10年が経った心境を綴ろうと、筆を執りました。皆さんの結婚生活は幸せですか?それとも不幸せ?

昨今、若年層の「結婚離れ」をよく耳にします。筆者は現在30代半ば、結婚して明日で丸10年の時が経ちます。いわゆる、”ゆとり世代”を生きてきた私たちの多くは、何の迷いもなく、大人になったら結婚をして、子どもを持つもの、と思っていたでしょう。無論、私もそうした価値観のひとりでした。

私の両親は、当時では珍しく共働き。3歳離れたなんとも頼もしい姉がいたので、寂しくお留守番をすることはなかったものの、幼い頃の私は「なんでうちは、お母さんも働いているのかな」と疑問でした。両親共に夜勤のある仕事だったので、家族揃って夜ご飯を食べられる日は、安心感と幸福感で心が満たされていた記憶があります。母がずっと家にいたらどんなに嬉しいかと思っていましたが、その一方で気持ちはどこか矛盾していて、誇りを持って女性が働くことへの尊敬もありました。そのせいか、自分もいつか家庭を築くことになったら、母のように共働きするんだ、と強い確信みたいなものがあったのです。

そんな私が結婚したのは、社会人2年目の夏。出会いは、私が勤めていたハウスメーカーで、夫の実家を建て替えるため、夫家族が設計や内装の打ち合わせに来ていた時のこと。会社の階段で何度かすれ違い挨拶。その後、夫実家の営業担当であり私の先輩が、私と夫を顔合わせする機会をつくってくれたのがきっかけで、出会いから1年ほどで入籍。自分で言うのも恥ずかしいお話ですが、猛烈アプローチをしてくれたので、「この人なら一生愛して、大切にしてくれるだろう」と迷うことなく、結婚しました。私は自宅以外の場所や、他人と一緒に寝るのが苦手なタイプなのですが、夫とは不思議と、初めてのお泊まりからぐっすり安眠できたのも、結婚の決め手だったかな。

住宅業界の営業職として、バリバリ働き、25歳の時にはすでに大学の奨学金全額返済、また営業車として購入した自家用車のローンの支払いを完済するほどに、夢中で働き続けました。”玉の輿に乗りたい”、”専業主婦になりたい”という願望とは無縁の私は、人生で最も高い買い物とされる住宅の営業職にやりがいを持っていました。残業は当たり前、業績達成のためには休日返上もやむを得ない、体力的にはブラックな会社でしたが、お客様に感謝される仕事であること、そもそも家を建てようと検討しているご家族に悪い人はいないことが、私にとっては非常に心地の良い環境でした。

転機が訪れたのは、結婚してから3ヶ月が経った頃。末っ子長男と結婚した私は、相手の家族との同居を前提に、結婚しました。私が外で働くことへ理解と協力のある義母が、突然倒れてしまったのです。原因が分からないので、検査のための入院生活がスタート。1ヶ月間毎日検査をした末、病名が発覚。担当のお医者さんから説明がありましたが、初めて聞く病名に驚きつつ、これからの暮らしを咄嗟にイメージし、直感でこのまま営業として働き続けるのはやめようと決心。

悩んだり、迷ったりするのが嫌いな性格の私は、いつだって決断は瞬時に行うのがマイルール。翌日、会社に出社し、上司に事情を説明。営業を辞めて、新しい部署を一人で立ち上げたい、と無謀にもお願いしたのです。理解ある上司、会社の体制に恵まれ、数ヶ月後には新部署を設立。家庭と仕事を両立するライフスタイルへと一変させました。ちなみに、営業職だった頃は、3食オール外食。お酒を飲む量も多く、遅かれ早かれ、私が体を壊していたかもしれません(笑)。

営業職を辞めた頃から、夫婦の時間が増えたのにも関わらず、夫婦関係は悪化。それと反比例し、義母の体調はみるみる改善し、発病から数年後にはほぼ完治。夫婦関係が悪化した要因は、どちらにもありますが、私の主張が強すぎて、知らず知らずのうちに、夫を我慢させてしまっていたのだと思います。それに気付かせてくれたのは、私の父と姉でした。夢に見たような幸せな結婚生活が送れず、心がポキっと折れた私は、実家に出戻り。そこで待っていたのは、娘や妹を庇う言葉ではなく、まさかの私への叱責。当時の私はまだまだ子どもで、自分が中心に世界が回っているかのように、まるでお姫様かのように、自由奔放に生きていたのでしょう。

数ヶ月間の実家出戻り生活のおかげで、自分を見つめ直すことができ、夫婦関係は徐々に修復。結婚生活とはつくづく、本人同士だけでなく、両家の理解と情があってこそと、この時痛感しました。私が14歳の時、父と母が離婚し、私と姉は父に引き取られ、当時では珍しく父子家庭で育ちました。一方で、夫の両親は熟年離婚。夫は母方についていたため、私は義母を実の母のように、夫は私の父を、実の父のように慕っています。今振り返ると、この両家のバランスが、私たち夫婦には心地良かったのだと感じます。互いに足りない存在を補い合えたことで、”義母”や”義父”といった関係よりも、一歩踏み込んだ間柄でいられるのでしょう。

両親が離婚した時、父が唯一私たちに言った言葉が「お母さんとは会わないで欲しい」でした。離婚の原因は、母が統合失調症を患っていたことが大きいのだと子どもながらに解釈していますが、働きながら二人の娘を育ててくれた父への恩義もあり、私は20年間、実の母と会うことはありませんでした。正義感の強い姉は、離婚後も母に会い、身の回りの世話以上の負担を、一人で抱え込んでいました。姉も正社員で忙しい日々を過ごしていたため、心労が重なり休職せざるを得ない状況に。それがきっかけで、まさか20年振りに母と再会することになるとは・・・。

話は結婚生活に戻り、当たり前に子どもができると思っていた私たちにとって、自然妊娠がこんなにも奇跡的な出来事であると実感したのは、ほんの最近のことです。体外授精はしない、と始めた妊活だったので、6回目の人工授精に失敗した時は、一瞬絶望的な気持ちになりましたが、今思い返しても悔いのない不妊治療だったと、私は思っています。友だちに子どもができても羨んだり、妬んだりすることがなかったのは、実は私自身が子どもが欲しいと心底望んでいなかったからなのか?それとも、先祖や神様が今ではないよと暗示しているのか?はたまた、私たちにとって夫婦で生きていくのがベストな選択肢なのか?何が答えなのかはわかりませんが、結婚10年間、色々と試行錯誤をして、妊娠しなかったのが現実。その事実から目を背けることなく、ありのままの現実を受け入れた結果、今の私たちがあります。

この10年間、楽しかったこと・嬉しかったこと・辛かったこと・悲しかったこと・腹が立ったこと、どの気持ちがいちばん強かったかは、自分でもわかりません。それくらい、色んなことを経験できているのだと思います。最近、姉から言われるのが、夫と結婚し「やっと人間らしくなってきたね」と(笑)。あまりに大真面な顔でそんなことを言うので、過去の自分はどんなに酷い奴だったのかと、自分で自分が怖く感じます・・・。結婚するまで洗濯機の使い方も知らなかった(知ろうとしなかった)私が、義祖母の介護に携わったり、義実家との同居生活を円満に、穏やかにやり過ごしているのを見て、私をよく知る叔母や友人は、驚くと同時に褒めてくれます。何歳になっても、誰かに褒められたり、認められたりする感情って、嬉しいのですね。

大人になったら結婚するのが当然と思っていた、幼き私が夢に描いていたのは、犬を飼うことと一軒家で暮らすこと。父が転勤族だったので、私が大学4年生まで我が家は、カビだらけの社宅住まい。犬に顔面を噛まれ、狂犬病予防の注射をお尻に打たれても尚、犬好きな私。この2つの夢だけは、大人になっても変わらずに抱いていました。犬を飼う夢は、すでに愛犬あんじゅを飼っていた、義姉と同居することで実現。一軒家で暮らす夢は、結婚とほぼ同時期に、義実家が新居を建て、素敵な新築戸建てでの同居生活がスタート。想いが強かったせいか、気が付くと、自然と夢が叶っていたのです。ちなみに、「自分で飼った犬じゃないじゃん」「自分たちだけの家じゃないじゃん」などと思ったことは、一度もありません。私は夫と出会い、結婚したことで、自分にとっての幸せな暮らしを手にできたと思っています。(今回の記事では書き切れないほどの、苦労もありますが笑。)

私たちには子どもがいないため、もちろん「パパ」「ママ」と呼び合うことはありません。そのせいなのか、恋人関係の延長にいるような感覚に見られ、周囲からは「ラブラブだね♡」と言ってもらうことが多いです(笑)。冒頭に書いた通り、SATCに憧れ、私がフリーランスになってから約4年間、365日24時間、夫と共に過ごしています。(※夫も自営業)周囲の人たちからは、「絶対無理〜!!」と言われますが、逆に「なんで無理なの?」と聞き返してしまいます。これだけ一緒にいると、本質的な部分の価値観の相違が起きることも無ければ、一切の隠し事もありません。よって、最高に仲良くいられるのです!夫は一癖も二癖もある変人なので、理解しがたい考えなどもちろんありますが、それはお互いさま。同じ時を過ごし、たくさんぶつかったことで、個性を受け入れる余裕ができたのだと思います。私がまだ会社員の時は、夫婦の会話は一緒にお風呂に入る30分〜1時間が精一杯でした。何のために結婚したのか、わからなくなったこともしばしば・・・。会社員同士の夫婦でも、共通の趣味を持ったり、ふたりの時間を捻出したり、互いの努力次第で、何とでも良い方向に向かうことはできるでしょう。しかし、今の私たちには、このライフスタイル(共に過ごす時間が長いこと)こそが、幸せのカタチなのだと感じています。近い未来「ふたりで日本と海外を行き来しながら、生きていこう」と話しています。

昨年、その先駆けとして、夫婦で北米を3ヶ月間放浪しました。ハプニングやアクシデントもたくさんありましたが、いつまで生きられるか分からない人生、悔いのないよう、色んな景色を見たいと痛感しました。お互いの親がまだ元気なうちに、出来るだけ多く、世界を歩くのが今の夢。共通の夢を持ち、明日結婚10周年を迎える私たちは、紛れもなく幸せです。

経済的理由から結婚を諦める人、そもそも結婚に魅力を感じない人。結婚したくないなら、無理してする必要はありませんよね。ただ、私が声を大にして伝えたいのは、結婚しなければ見えない景色がある、ということ。それに、結婚するとすべての感情が倍になります。悲しいことや辛いことも2倍だけれど、嬉しいことや喜びも2倍になるのです。そう思えるまで、随分と長い月日がかかってしまいましたが(笑)。メディアは不倫のニュースは長々とするのに、おめでたいニュースは一瞬。私は周りの友人と比べると結婚が早い方だったから、「結婚っていいよ!幸せだよ!」と言ってくれる人は少なかったように思います。残念ながら両家共に、離婚しているので、親を手本にすることもできません。だからと言って、離婚後、人生を謳歌している両家の親を見て、”離婚”という選択肢に否定的な訳でもありません。我慢して結婚生活を続けるほど無駄なものはないし、子どもが辛いことはないと思うのです。なぜなら、子どもは親の幸せをいちばん望む生き物なのだから。何が言いたいかって、心から「結婚は幸せだよ」と笑顔で、胸を張れる大人であり続けたい。そうしたら、幸せの連鎖が起きて、少子化にも歯止めがきいて、明るい日本の未来が待っているのではないかと。

拙い文章を最後まで読んでくださった方、ありがとうございました^^
よろしければ、皆さんの結婚観、結婚して感じたことなどなど、コメント欄で教えてください♩




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