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古典ゆえの奔放

藤井貞和『割れ殻の秋(自装版)』限定四部のNo.4、1984年4月14日、元版1978年9月10日、謄写55部
何故こんなものを買えたのか、買ったのか。表紙まわりは、詩集『ラブホテルの大家族』のカバーの裏。
下段に藤原定家の和歌、上段にその現代詩訳、という一冊。
例えば、定家「あだし野の風に みだるゝ糸薄 くる人 なしに 何まねくらむ」を
 化し野の風にみだるる糸すすき繰る人なしに
 来る人なしに
 秋をまねきの
 病みくたれの猫は
 その眼にぬく糸すすき
 あなめ野にしらほね
どうしてこうなってしまうのだろう。猫はどこからやってくるのだろう?
まねく→まねき、の、猫か…えっ?
化野から、しらほねか。
あなめ、とは、ああ目が痛い、の意。それ、藤井さんのこと。その前に、目病み猫か。
定家の歌があるからこその、奔放か。
藤井は、古典文学者とは思えない、あるいは、古典文学者であるからこその、文学の現在性に鋭敏な人。文学と言語学と創作から、現代人が長い歳月の中で欠落させてしまったものを探っている。少しチョムスキーに似ているかも。厳しく険しい言葉を持っている人。

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