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リトアニア 旅備忘録 2023年4月-5月


はじめに

4月某日、リトアニアを含むバルト三国行きのフライトをとった。
正直、恥ずかしながらリトアニアに対する知識はほぼなく、首都についても今回の旅で初めて知った。
"バルト三国をいつか周ってみたい"
それだけの理由しかなかった。
なぜ周ってみたいのかの理由についても具体的にない程、正直知識不足であった。

空港からヴィリニュス市内へ

4/29(土)の12時頃に空港へ降り立った。
空港は非常に小さく、首都のそれとは思えないほどだった。

空港から市内へはいくつかルートがあるのだが、時間帯、値段的に一番合理的なバスを利用した。
(リトアニアは電車よりバスの方が利便性が高いことが多い)

空港から市内はバスで15分ほど。
途中IKEAや並木道を通り、市内へ向かう。

バス車内

歴史情緒溢れるヴィリニュス

街の規模感

肌感覚、半径2kmほどに全ての見どころが詰まっていた。
歩いて2時間〜3時間あれば主要な見所は全て周れる。

バスなどの公共交通機関もあるのだが、旧市街は走っていないので結局徒歩が一番効率的だった。

雰囲気

旧市街は中世の街並みが残っており、非常に心が躍った。
赤い屋根の街並みをメインストリート沿いに歩いていくとヴィリニュス大聖堂がある広場に辿り着く。そこの右手にある古代の城跡がある丘を登ると市内が一望でき、南側には旧市街の美しい街並みが北側には街の発展を象徴する高層ビルが立ち並んでいた。

多くの教会はカトリックのものに非常に近い印象だった。
ロシアが近いのでロシア正教っぽいものがだろうと思っていたが、予想と外れ、ちょっとした衝撃だった。
恐らくこれにはこの国の人のロシアへの嫌悪感みたいなところがあるのではと、感じている。
(あと、国民の半数以上が無宗教らしく、ヨーロッパの国にしては珍しい国民性に少し驚いた)

また首都にしては非常に緑が多く、とても空気が綺麗な点も特徴である。

街中には違った見どころもある。
旧ユダヤ人街である。
第二次世界大戦ごろ、多くのユダヤ人がここに固まって住んでいたらしい。
ナチスが訪れ、この場で虐殺が繰り返されていたらしく、いまだにその傷跡が残っていた。
地元民曰く、その後ナチスに変わって支配をしたロシアの方が非常に残虐だったとのこと。

未承認国家ウジュピス共和国

旧市街の東側に位置するエリアにウジュピス共和国がある。
ここは1997年に独立宣言をした"国"である。(未承認)
独自の国旗、憲法、大統領を持っているとのこと。
芸術家が多く住んでいることから、"ヴィリニュスのモンマルトル"と呼ばれているそう。

レストラン

Restoranas GABI
リトアニア名物ポテトパンケーキが絶品だった。

The pub Leičiai
リトアニアの伝統料理Cepelinaiをいただいた。
もちもちとした芋の中にミンチ肉が入ったとても面白い料理だった。


宿泊先

City Hotels Rūdninkai
旧市街まで歩いて5分、飲屋街まで歩いて10分ほどと立地が最高だった。
部屋自体も綺麗で広く、コスパも最高。


古城と湖畔の街トラカイ

アクセス

バスを利用した。
ヴィリニュスバスステーションからトラカイの街の入口のバス停まで片道30分であった。

行きはバス停のカウンターでチケットを買うのだが、帰りは運転手からチケットを買う。カードが使えない&大きい札はものすごい嫌がられるので注意が必要。(往復チケット買っとけば良いじゃんという話だとは思う)

トラカイの街並み

非常にユニークな街だった。
カライム人というユダヤ系の少数民族が作るコミュニティがあり、彼らの家のスタイルが非常に可愛らしく、いまだその伝統を守りコミュニティを維持していた。

また、トラカイ自体、中世戦略的重要拠点として捉えられていたらしく、城がいくつか建造されていた。現在は現存のトラカイ島城だけがあるが、街のシンボルとして多くの観光客を惹き寄せているようだった。

トラカイ島城

ドラクエ感溢れる中世の城。
個人的にはこれに尽きる。
島への橋、城門、城壁、やや入り組んだ城内の造り、剣や盾、鎧などの展示物はもうもうワクワクが止まらなかった。

また、訪れた日は天気も非常に良く、青空、波ひとつない水面が神秘性を引き上げてくれていた。

日本人外交官の記憶が残る街カウナス

アクセス

今回は列車を利用した。
ヴィリニュス駅から1時間半ほどで到着。
カウナス駅の周りには、ほぼ何もなく見どころまで結構歩く必要ある。
ちみなに、列車は非常に快適で、2等車でもシート座席は広く、Wifiも問題なく使えた。

杉原記念館

この街を訪れたメインの理由であった。
ナチスが猛威を振うヨーロッパで、ナチスと手を組もうとしている日本政府のもと、ユダヤ人を救う為の"命のビザ"を発給し続けた杉原千畝外交官の記念館である。

正直、杉原千畝が日本の歴史の教科書に載っていたという記憶は私にはない。
ただ、リトアニアの歴史の教科書に載っていたり、ユダヤ人の中で彼の話は語り継がれていたりと、助けた人々の記憶にはしっかりと残っているらしく、私が訪れた日もユダヤ人の方や、恐らく現地の方の訪問が見て取れた。

彼の言葉で
"彼らは人間で、助けが必要だった。喜ばしいことは自分の中にその助けを与える決定をする力を見出したことである"
といったものがあった。
ただ、そうしたいと思うだけではダメで、実行をするだけの力が自分の中にないといけないんだ、と感じた。
日々研鑽すること、そして有事に躊躇わず、惜しみなく、その力を行使することが非常に重要なのだと考えさせられた。

カウナス旧市街

杉原記念館を後にし、カウナス旧市街へと向かった。
これがめちゃくちゃ遠かった。街の端から端、約4kmほどある。

新市街の街並みをずーっと歩いていくと、ある所を境に中世の街並みが広がる。

カウナス自体、少し歩くと、タウンホール広場にたどり着く。
さらに奥に進むと、カウナス城がある。中世の城跡がそのまま残され、中も見学ができるようだった。(この日は休日で開いていなく断念)

ちなみにカウナスはリトアニアの2つの川、ネムナス川とネリス川の合流ポイントになっている。合流後はネムナス川となり、バルト海に注ぐ。
この街が中世発展していった一端を見た気がした。

与太話 in Lithuania

リトアニア人のロシア嫌い

リトアニア人は本当にロシアが嫌いらしい。
街中にウクライナの国旗を掲げ、新興ビルの上には"プーチン、ハーグに出頭しろ"といった具合に。
この理由としてはロシアがリトアニアの人たちに行っていた非道な行いもあるのだが、どうやら経済的な遺恨もあるらしい。

バーで出会った人によると、第二次世界大戦前のリトアニア経済はフィンランドと同等であったと。ソビエトが来て彼らが統治を行ったせいで自由な経済が妨げられ、フィンランドとは今や雲泥の差をつけられたと。

もしかしたら、人道的な恨みは当世まで、経済的な恨みは後世にと、恨みのポイントは生きている人の時代によって違うのかもしれない。

どこにでもある都市間ライバル意識

埼玉vs千葉、東京vs京都といった具合にリトアニアにもヴィリニュスvsカウナスといったものがどうやらあるらしい。
ヴィリニュスの人からしか話を聞いていないのでフェアではないが、カウナスの人は閉鎖的で暗い、ヴィリニュスの人は開放的で明るい、とのことらしい。
都市間ライバル意識は人の性なのだろうか。

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